古いバージョンのブラウザーを使用しています。MSN を最適にご利用いただくために、サポートされているバージョンをご使用ください。

【中年名車図鑑】“小さなギャラン”から“ランタボ”へ。走り屋に愛された小型セダン

citrus のロゴ citrus 2017/09/26 大貫直次郎

MCA-JETシステムの開発などで排出ガス規制を乗り越えた三菱自動車工業は、来るべき80年代向けて主要車種のフルモデルチェンジを積極的に画策するようになる。1979年にはセダンモデルのランサーを新型に移行。さらに、1981年には高性能なターボモデルをラインアップに加えた。今回は“ランタボ”の愛称で走り好きから絶大な支持を集めたランサーEXターボで一席。

All About Navi, Inc. All Rights Reserved. © citrus All About Navi, Inc. All Rights Reserved.

【Vol.34 三菱ランサーEXターボ】

日本の自動車メーカーとして、いち早く外資の導入(米国クライスラー社との資本提携)を実施していた1970年代中盤の三菱自動車工業は、厳しい排出ガス規制やオイルショックに苦しむ国内自動車メーカー群のなかにあって、開発にあてる資金は比較的余裕があった。そのため、排出対策技術の研究と並行して主力車種の全面改良も精力的に行い、1976年5月には3代目ギャランとなる「ギャランΣ」、同年12月にはそのクーペ版の「ギャランΛ」をデビューさせる。また新規販売網のカープラザ店も立ち上げ、そこにギャランの兄弟車であるエテルナΣ/ギャランΛエテルナを投入した。さらに、同社初のFFモデルである小型ハッチバックのミラージュも1978年2月にデビューさせる。一方、排出ガス対策デバイスとしてはシリンダー内にジェット噴流を吹き込む第3の弁を設定した「MCA-JET」を開発し、これに小型の酸化触媒を組み合わせて排出ガス規制を乗り越えた。

■80年代型の小型セダンの姿とは――

© All About, Inc. 提供

ギャランΣで好評だったボクシースタイルを採用。駆動方式はハンドリングのいいFRとした。ターボチャージャーを組み込んだ「ランサーEX 1800GSRターボ」は81年11月の登場

中型クラスのモデルチェンジと新ハッチバックの導入、さらに排出ガス規制もクリアした三菱自工の次のターゲットは、小型セダンであるランサーの新型への移行だった。80年代をリードできるコンパクトセダンを企画するにあたり、開発陣はギャランΣで好評を博したボクシースタイルの採用を決断する。基本デザインに関しては、イタリア人デザイナーのアルド・セッサーノと共同で手がけた。駆動レイアウトについてはミラージュのようなFFも検討されたが、ハンドリングやメカニズムの信頼性を鑑みてオーソドックスなFR方式を選択する。エンジンはG32B型1597cc直列4気筒OHCの“サターン80”とG12B型1410cc直列4気筒OHCの“オリオン”を搭載し、後にG62B型1795cc直列4気筒OHCの“シリウス80”やG11B型1244cc直列4気筒OHCの“オリオン”が採用された。

■ターボ仕様の設定で一躍注目モデルに発展

© All About, Inc. 提供 © All About, Inc. 提供

ランサーEXはボクシースタイルならではの広い居住空間を持っていた

三菱の新しい小型セダンは、1979年3月に市場デビューを果たす。車名は従来のランサーにEXCEEDの略称である“EX”が付けられ、「ランサーEX」を名乗っていた。

キャッチフレーズに“広さ明快”と冠したランサーEXのルックスを見て、当時のクルマ好きや自動車マスコミは“ミニ・ギャランΣ”とか“小さなギャラン”というニックネームをつける。それほどギャランΣのスタイリングに似ていたのだ。一方、ボクシースタイルならではの広い居住空間や扱いやすいハンドリング、耐久性の高いエンジンなどが好評を博す。販売面では大ヒットとまではいかないものの、堅調な数字を記録した。

いい意味でオーソドックス、しかし地味なイメージがつきまとったランサーEXだが、その評価は1981年11月に追加設定された高性能モデルによって一変する。G62B型1795cc直列4気筒OHCユニットに三菱重工製TC05型ターボチャージャーの過給器とECI(電子制御燃料噴射装置)を組み込んだ新開発エンジンを搭載する「ランサーEX 1800GSRターボ」(A175A型)がデビューしたのだ。

135ps/20.0kg・mのパワー&トルクを発生する強力エンジンに専用セッティングの5速マニュアルトランスミッション、強化した足回り、さらに逆像の“TURBO”ロゴを貼った大型エアダムスカートや専用ストライプなどを装備した1800GSRターボは、たちまち走り好きたちから絶大な人気を集める。当時のユーザーによると、「G62はターボのパワーバンドさえキープすれば爽快な走りが楽しめた。後輪駆動なので、挙動も俊敏で操舵性も良かった」という。1800GSRターボは、次第にランサーEXの中心モデルに成長していく。そのころになると、ニックネームも“小さなギャラン”から“ランタボ”へと変わっていた。

1983年11月になるとマイナーチェンジを行い、ターボ付きG62B型エンジンに空冷式インタークーラーを装備する。パワー&トルクは160ps/22.0kg・mにまで向上した。また、サスペンションのセッティング変更やブレーキ系統の強化、ステアリングギア比の見直し、ボディのスポット溶接増し、エアロパーツの一部リファインなどを実施し、高性能セダンとしての完成度をいっそう高めた。

ターボモデルを中心にマニアックな人気を獲得したランサーEX。しかし、販売のメインに想定していた量販グレードの影はさらに薄くなり、その結果、トータルとしての販売成績は伸び悩むようになる。この状況を鑑みた経営陣は、1986年にランサーEXの生産中止を決定。しかも後継モデルを設定するのではなく、ミラージュの4ドアセダン版であるランサー・フィオーレに吸収させる形で、ランサーEXをカタログから落としたのである。この時点で、“ランタボ”の車歴も尽きることとなった。

■ランタボを駆ってWRCシーンに復活

© All About, Inc. 提供

82年のWRCでランタボは総合3位に入賞した

ところで、三菱自工は2度のオイルショックや排出ガス規制への対策に追われ、一時モータースポーツ活動を休止していたのだが、1981年には欧州仕様のランサーEX2000ターボをベースにした車両でWRC(世界ラリー選手権)の舞台に復帰する。再デビューの起点は1981年開催のアクロポリスラリーで、このシーズンは4戦にエントリーした。マシンの熟成が進んだ1982年シーズンでは、8月の1000湖ラリーでペンティ・アイリッカラ/ユハ・ピロネン選手組が総合3位に入賞。FRながらアウディ・クワトロなどの4WD勢に匹敵する速さを見せたランタボは、当時のラリー界で大きな話題を呼んだ。三菱は翌83年シーズンもランタボで参戦するが、4WD勢の速さにはもはや対抗できず、結果的にこのシーズンがFRランサーで出走する最後の年となったのである。

citrusの関連リンク

image beaconimage beaconimage beacon