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マクラーレン・ホンダ MP4/5(1989)は3.5L NA初年度のチャンピオンマシン【ホンダF1活動第2期の10年 ⑨】

Motor Magazine のロゴ Motor Magazine 2019/07/12 12:30 Webモーターマガジン編集部

セナとプロストのあの「鈴鹿のシケイン接触事件」が起きた1989年は、「3.5L NA 元年」となる年でもあった。そしてこの年もまたマクラーレン・ホンダはプロストとセナで10勝、4度の1-2フィニッシュを記録してシリーズを圧倒した。(写真:金子 博)

© Motor Magazine LTD 提供

ターボが禁止されてもマクラーレン・ホンダは速かった

1989年はエンジン規定が大幅に変更された年として記憶されている。ついに1.5L ターボが禁止され、3.5L自然吸気エンジンに統一されることになった。新しい規定のエンジンの開発を進めるという狙いもあり、この年1989年からホンダはマクラーレンに独占してエンジンを供給することになる。

圧倒的なホンダの速さもここでリセットされることになったが、燃費技術で先行していたホンダの優位は変わらなかった。アラン・プロストとアイルトン・セナというドライバーの布陣は相変わらず強力で、前年ほどではなかったが、16線10勝という好成績をあげた。

マクラーレン・ホンダ MP4/5はエンジン変更(1.5L V6ツインターボから3.5L V10自然吸気)に伴う改良が施された正常進化版で、やや保守的な前進とも言えたが、常勝チームであっただけに無謀なトライを避けるのは当然のことだった。

むしろ問題となったのは強力すぎるドライバー陣だった。セナとプロストは前年も激しくチャンピオンの座を争ったが、表面上は大きな問題となっていなかった。しかし、1989年に入るとチャンピオンを巡って確執が表面化。「1コーナーを制した者を尊重する」という紳士協定も災いし、チームメイトの仲は険悪なものとなっていった。プロストはシーズン中盤にはシーズン限りでのチーム離脱を発表し、セナは次第に心を閉ざしていくようになる。

そんな中、日本GP、鈴鹿サーキットのシケインでふたりのマシンが接触。セナはレースに復帰しトップでゴールしたものの失格となり、プロストのチャンピオンが決定するという事件が起きた。1989年はエンジン大変革の年であると同時に、ふたりの天才ドライバーとマクラーレン・ホンダ MP4/5に彩られた年だった。

優勝は4回にとどまったが、2位6回とシーズンを通して安定した成績をあげたプロスト。マクラーレン・ホンダ勢の争いは、プロストの3度目のチャンピオンという結果に終わった。

優勝は4回にとどまったが、2位6回とシーズンを通して安定した成績をあげたプロスト。マクラーレン・ホンダ勢の争いは、プロストの3度目のチャンピオンという結果に終わった。
© Motor Magazine LTD 提供

マクラーレン・ホンダ MP4/5

McLaren Honda MP4/5(1989)

エンジン:Honda RA109E

●形式:水冷72度V10 DOHC

●排気量:3490cc

●ボア×ストローク:92.0×52.5mm

●最高出力:685ps/13000rpm

シャシ:McLaren MP4/5

●デザイナー:ニール・オートレイ

●車体構造:カーボンファイバーモノコック

●ホイールベース:2896mm

●トレッド前/後:1820/1670mm

●サスペンション:ダブルウイッシュボーン

●タイヤ前/後:12-13/16.3-13インチ

●トランスミッション:マクラーレン製6MT

●車体重量:500kg

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