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国生さゆり「バレンタイン・キッス」が34年の大定番になったのには理由がある

AERA dot. のロゴ AERA dot. 2020/02/14 11:45
アイドル時代の国生さゆり (C)朝日新聞社 © AERA dot. 提供 アイドル時代の国生さゆり (C)朝日新聞社

 2月14日はバレンタインデーだ。その盛り上がりに長年、貢献してきたのが国生さゆりのデビュー曲「バレンタイン・キッス」である。テレビのチョコレート特集では必ずというほど流れ、この時期の風物詩といっていい。

 イベントソングとしての定番度では「クリスマス・イブ」(山下達郎)に匹敵するだろう。あるいは「冬の広瀬香美」「夏のTUBE」のように「バレンタインの国生」と呼ぶこともできそうだ。

 そんな「バレンタイン・キッス」が発売されたのは、86年2月1日。つまり、34年にわたってこの時期に流れ続けているわけだ。この曲以外にもバレンタインものはあるのに、この強さは何なのか。そのあたりを検証してみたいのである。

 まず、作詞者の秋元康はこんな分析をしている。

「彼女はそんなに歌が上手い方ではありませんでしたので、何かムーブメントと一緒に売り出さないと売れないなと思い、バレンタインデー用に書き下ろしました。(略)彼女の歌のあまり上手くないところが逆に効を奏して“バレンタインデー・キッス”という部分の、少々音をハズした不安定な感じがこの曲をヒットに導いたと言えます。アイドルの曲は通常、仮歌を入れる段階では音楽大学を出たおねえさんが譜面通りに歌ってくれるのですが、それをそのまま歌っても面白くない。つまり、彼女のあの不安定さがアイドルらしい“味”を出したと言えるんじゃないでしょうか」

 02年に作詞活動20周年を記念して編まれたベスト盤「秋元流」の歌詞カードに記された彼自身のコメントだ。

■秋元とそのスタッフたちの慧眼

 国生はおニャン子クラブからソロデビューした3人目にあたるが、第1号の河合その子は歌唱力が高く、次の新田恵利は圧倒的人気があった。そこを補うべく、季節のイベントと結びつけたわけだ。

 さらに、渡辺美奈代と白石麻子をバックコーラスとして参加させ、国生にはない正統的アイドル性を付け加えた。とまあ、使えるものは何でも使えという発想でヒットを狙ったのである。

 ちなみに、秋元は「曲や振り付けなども含めてアメリカンポップスっぽい愛らしい感じになりました」とも語っているが、このメロディーは国生のために書かれたものではない。ミュージシャン志望だった瀬井広明が「バンドで出したい」とレコード会社に持ち込んだものを、本人了承のうえ、彼女のデビュー曲に回したかたちだ。途中に何度も繰り返されるドゥーワップ風のフレーズも、デモテープの段階から存在したという。

 ただ、そのどこか懐かしくて親しみの持てるメロディーは、国生のたどたどしいボーカルやいい意味で野暮ったいキャラとも見事にハマった。これに目をつけた秋元とそのスタッフたちは慧眼というほかない。

■「恋するフォーチュンクッキー」との共通点

 そして後年、秋元はAKB48でもこの経験を活かしたふしがある。「恋するフォーチュンクッキー」を聴いたとき「バレンタイン・キッス」を思い出したものだ。スイーツと告白という題材、誰でも歌って踊れる古めのサウンド、そして何より、これは指原莉乃の初センター作品だった。歌唱力や正統的アイドル性ではない持ち味でブレイクした女の子を輝かせるにあたって、彼は国生での成功をヒントにしたのではないか。

 さて、おニャン子はAKB以上に「女子高生」や「学園」というコンセプトにこだわったグループである。シングルでは、デビュー曲の「セーラー服」から「教師」「卒業」「チカン」といったテーマを続けて繰り出していった。

 そこには阿久悠が70年代にフィンガー5で展開した世界からの影響が見てとれる。こちらは「卒業前の告白」「女教師への恋」「席替え」といったテーマを歌にしてみせた。

 また、阿久は80年に柏原よしえ(現・芳恵)のセカンドシングルとして「毎日がバレンタイン」を書いた。阿久が亡くなったとき、秋元は交友こそなかったものの尊敬しているということから、自らを「遠くの弟子」だと表現したが、ある意味「バレンタイン・キッス」で「遠くの師匠」を超えたともいえる。

 なお、秋元も阿久も作詞家としては企画型に分類できる。一方、芸術型の代表が松本隆だ。「バレンタイン・キッス」と同じ週には、松本の世界を受け継ごうとしたシングルが発売された。坂本龍一の曲に松田聖子が詞をつけた「くちびるNetwork」(岡田有希子)だ。

 オリコンチャートでは後者が1位となり、前者は2位に甘んじた。ただ、レコード店での光景を見る限り「バレンタイン・キッス」のほうが明らかに売れていた印象で、これは当時も今も謎である。

 また、のちの時代への残り方でも、さらには日本の文化にもたらした変化を考えても、前者が一枚上だろう。たとえば、松任谷由実がスキーやサーフィン、クリスマスの楽しみ方を広めたように、この曲はバレンタインというイベントを一気にメジャー化した。いわば、企画が芸術に勝利したのである。

 とはいえ、秋元にすればこれも数あるヒットのひとつにすぎない。では、国生にとってはどうだろう。

■長渕剛との不倫を経て

 彼女は高校時代に、ミス・セブンティーンコンテストの全国大会に出場。ここでレコード会社に声をかけられたものの、デビューの確約はなく、自慢の快足を活かしたレコード会社対抗運動会くらいしか活躍できなかった。卒業後は就職も内定していたが、おニャン子のメンバーに選ばれたことで運命が一変する。

「バレンタイン・キッス」の勢いでその半年後には、カネボウのCMソングを自らも出演して歌うまでになった。翌年には映画「いとしのエリー」に主演するなど、女優としても活躍。ただ、90年代に入ると、別のイメージが加わり、失速してしまう。

 長渕剛との不倫だ。91年のドラマ「しゃぼん玉」で出会い、恋に発展した。それが終わったのは、95年に長渕が大麻取締法違反で逮捕されたときである。彼女自身にもクスリ疑惑が浮上したが、

「長渕さんの奥さんと対面し、関係を清算することを約束しました」「尿検査を受けて無実です」

 と、会見で語った。

 00年には、一般人と結婚するも離婚。12年には、別の一般人と再婚したが、また離婚してしまう。15年には、メッセンジャーの黒田有との熱愛を報じられたが、破局した。

 ただ、こうした恋愛遍歴によって加わったイメージが、よくも悪くも彼女を芸能界で生き延びさせてきたともいえる。特に、バラエティでは、恋多き女というキャラや自由で正直な物言いが重宝されてきた。もともと、おニャン子時代からヤンキーっぽいイメージでその系統の男子に人気のあった人だ。

■「一生一度のチャンス」をものにした

 18年には「梅沢富美男のズバッと聞きます!」で、過去を振り返り、

「自分の責任なんだけど。ちょっとやらかしすぎでしょ。恋愛も周りの人は止めたもん。だから、人のいうこと聞いておけば良かった」

 と、反省の弁。こういうところが案外、憎めない魅力になっているのではないか。

 さらにいえば、現在のイメージが面白がられるのも「バレンタイン・キッス」の成功が大きい。たったひとつであっても、特大の一発を持っていることが、彼女をひとかどの芸能人として一目置かせることにもつながっているのだ。

「バレンタイン・キッス」は他のアイドルやアーティストにもちょくちょくカバーされているし、彼女自身も何度かセルフリメイクしている。それほどの名曲にデビューでめぐりあえたのは、ひとつの奇跡である。それこそ「♪一年一度のチャンス」どころか「一生一度のチャンス」をものにしたわけだ。

 そうは言っても、そろそろ新しいバレンタインソングの定番にも出現してほしい気がする。ただ、秋元自身、手持ちのアイドルで何度となくバレンタインソングに挑戦しているが、目を見張るような成果は上がっていない。「バレンタイン・キッス」の壁はとんでもなく高いのだろう。

 実際、新たな定番が出現しても、国生が忘れられることはないはずだ。新旧のバレンタインソング共演みたいな企画に呼ばれて、嬉々として歌う、そんな姿が目に浮かぶようである。

●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。

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