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瀬戸内寂聴さんと佐藤愛子さん、冨士眞奈美が語る偉大な女性作家との思い出

週刊女性PRIME のロゴ 週刊女性PRIME 2022/01/15 11:00 週刊女性PRIME [シュージョプライム]
故・瀬戸内寂聴さん © 週刊女性PRIME 故・瀬戸内寂聴さん

 女優・冨士眞奈美が語る、古今東西つれづれ話。今回は、故・瀬戸内寂聴さんと、佐藤愛子さんについて言葉を紡ぐ。

今も恋人がいらっしゃるんですか?と聞くと

 作家・僧侶の瀬戸内寂聴先生が永眠された。枠にとらわれない破天荒な姿に魅せられた女性は、多かったのではないかと思う。

 親友の和子っぺ(吉行和子)とは、実は寂聴さんの原作ドラマ『妻と女の間』(1969年/毎日放送・現TBS)で知り合った仲だった。撮影は、現在は『レモンスタジオ』と呼ばれている砧にある撮影所で行われた。

 彼女とは姉妹という設定。私が入院をしているところに、和子っぺがやってきて、“ベッドの上で花札(こいこい)をやる”というシーンがあった。そのときに、「この人とは仲よくなりそうだな」と感じたことを覚えている。

 この作品は、毎日新聞社から'69年に刊行され、'76年には映画化もされている。発表された当時の寂聴先生は、まだ御髪を下ろす前。女性の情念を克明に綴った『花芯』という作品から“子宮作家”と呼ばれていた。

 ドラマの撮影が終わり、打ち上げパーティーのとき。寂聴先生は、渋く素敵な着物をお召しになられていた。私が「今も恋人がいらっしゃるんですか?」と尋ねると、寂聴さんはこともなげに「もちろんよ、当たり前じゃないの」と笑った。おそらくそれは、道ならぬ恋のお相手であった作家の故・井上光晴氏だったんだろうなって、今にして思う。

実生活を生きる

 寂聴先生は99歳で泉下の人となった。同じ時代を生きた作家のおひとり、佐藤愛子先生も'22年で白寿を迎えるが、「もうダメよ」とおっしゃるけれど大変お元気でいらっしゃる。今年は『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』(小学館)を上梓され、『増補版 九十歳。何がめでたい』(同)では対談をさせていただいた。

 愛子先生とは仲よくしていただき、お宅にも何度かお伺いしたことがある。愛子先生は、実生活を生きてらっしゃる。ご自身で料理を作る、電話が鳴ればすぐに取る、インターホンが鳴るとご自分で玄関まで行く──。実生活を生きているからこそ、日々の機微が鮮やかで、愛子先生の作品群は小説だけでなく、エッセイ集も面白いのだと思う。

 愛子先生の代表作のひとつに『血脈』がある。佐藤家の荒ぶる血をまとめた大河小説である。個性の際立った中心人物のひとりとして異母兄である詩人・サトウハチローさんの姿が描かれている。実は、私はハチローさんとも共演したことがある。

 日本各地の民謡・舞踊・郷土芸能を、ミュージカル仕立てで紹介する番組『東は東』('60〜'62年/フジテレビ系)に出演していたとき。この番組では、画家の山下清さんも出演していて、山下さんと自衛隊を訪問して、一緒に戦車に乗った。おかげで私は長い間ペンフレンドだった御殿場の戦車部隊の隊員さんとお会いすることができた。

 その番組にハチローさんの詩『ちいさい秋みつけた』をバックにご本人が登場した。いま思えば、山下清さん、サトウハチローさんが出演する番組があったなんて、とても贅沢なことよね。

 '08年、私は『瀧の裏』という句集を上梓した。その記念パーティーに、愛子先生が駆けつけてくださり、スピーチまでしていただいた。ところが、いつもはお着物をびしっと着こなしている愛子先生が、そのときだけは、カーディガンにスカートという、ラフなスタイルでいらした。

 スピーチの後、なぜだろうと思って先生に尋ねると、元の旦那さんである田畑麦彦さんの病状が思わしくないと。愛子先生は、「これからまた病院に戻るのよ。ごめんなさいね」とおっしゃって会場を後にされた。私はありがたくて涙をこらえた。

 一刻を争う状況の中、私なんかのために駆けつけてくださって本当にうれしかった。鋭い観察眼があるから思いやりも深い。そんなところが、いつまでも愛子先生が愛される理由のひとつだと思う。これからもお元気でご健筆をふるってくださいね。

冨士眞奈美 ● ふじ・まなみ 静岡県生まれ。県立三島北高校卒。1956年NHKテレビドラマ『この瞳』で主演デビュー。1957年にはNHKの専属第1号に。俳優座付属養成所卒。俳人、作家としても知られ、句集をはじめ著書多数。

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