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博報堂マンが見つけた"出世より大切な事"

プレジデントオンライン のロゴ プレジデントオンライン 2019/02/12 09:15 川下 和彦
QUANTUM クリエイティブディレクター川下和彦氏(撮影=原貴彦) © PRESIDENT Online QUANTUM クリエイティブディレクター川下和彦氏(撮影=原貴彦)

生き方の選択肢が増え続ける現代、どう生きるかの悩みは尽きない。博報堂のグループ会社QUANTUMでクリエイティブディレクターを務めるとともに、執筆活動も行う川下和彦氏は、「職業=アイデンティティにする必要はない。自らが向かうべき方向を示す“北極星”を見つけるセンスが大事だ。北極星に向かう過程を楽しめれば人生は豊かになる」と語る――。連載『センスメイキング』の読み解き方

いまビジネスの世界では、「STEM(科学・技術・工学・数学)」や「ビッグデータ」など理系の知識や人材がもてはやされている。しかし、『センスメイキング』(プレジデント社)の著者クリスチャン・マスビアウは、「STEMは万能ではない」と訴える。

興味深いデータがある。全米で中途採用の高年収者(上位10%)の出身大学を人数別に並べたところ、1位から10位までを教養学部系に強い大学が占めたのだ(11位がMITだった)。一方、新卒入社の給与中央値では理系に強いMITとカリフォルニア工科大学がトップだった。つまり新卒での平均値は理系が高いが、その後、突出した高収入を得る人は文系であることが多いのだ。

センスメイキング』の主張は「STEM<人文科学」である。今回、本書の内容について識者に意見を求めた。本書の主張は正しいのか。ぜひその目で確かめていただきたい。

第1回:いまだに"役に立つ"を目指す日本企業の愚(山口 周)

第2回:奴隷は科学技術、支配者は人文科学を学ぶ(山口 周)

第3回:最強の投資家は寝つきの悪さで相場を知る(勝見 明)

第4回:日本企業が"リサーチ"より優先すべきこと(高岡 浩三)

第5回:キットカット抹茶味がドンキで売れる理由(高岡 浩三)

第6回:博報堂マンが見つけた"出世より大切な事"(川下 和彦)

東日本大震災で「生き方」を考え直した

私は現在、博報堂からグループ会社のQUANTUMというスタートアップ・スタジオに兼務出向し、クリエイティブディレクターを務めています。博報堂では長年マーケティングやPR戦略を考える仕事をしてきましたが、QUANTUMで行っているのは、事業を創造することです。博報堂で培ったクリエイティブやリソースを活用してイノベーションを起こしたいと考えています。

この他に書籍や記事の執筆も行っており、広告であれ、事業であれ、書籍であれ、人が喜ぶものを作りたくて好きなことを行っている感じですね。こうした働き方のとおり、今の私は「職業=アイデンティティ」にする必要はないと思っています。

とはいえ、かつては私もそうした考え方ではありませんでした。博報堂に就職してマーケティングの部署にいた頃は、どちらかと言えば会社のメインストリームを歩み、ポジションが上がることに喜びを感じる人間だったと思います。普通であればそのまま当時の花形部署であるテレビCMのクリエイティブディレクターを目指す方向に進んでもおかしくはなかった。ところが、東日本大震災をきっかけに、私も生き方を考え直したのです。

37歳で気付いた「人生は有限」

あのとき、おそらく多くの人が感じたかと思いますが、「人生は有限である」ということを突きつけられたのです。このままの生き方を漫然と続けるのではなく、本当にやりたいことを行わなくてはならない――。そんな思いを抱いた当時、私は37歳でした。

その頃私はマーケティング部門を経てPR部門に所属していました。今でこそPRにも注目が集まっていますが、当時はまだそのような状況ではなかったように思います。でも、私は会社の王道を進むのではなく、これまでになかった新しい価値を生み出したいと考え、社内でイノベーションプロジェクトを立ち上げました。それが今のQUANTUMの仕事につながっています。当時の行動は、論理的に考えた結果というよりは、内省や内観による、ある種の“センス”によるものでした。

自らが向かうべき方向を示す「北極星」

先日、『センスメイキング 本当に重要なものを見極める力』(クリスチャン・マスビアウ著)という本を読んだのですが、このタイトルを見たときに、自分が大切にしていることが言語化されたように感じました。37歳の転機からこれまでの私は、本当に重要なものを見極め、そこに向けて動こうとしてきた気がします。

本書には、「『GPS』ではなく『北極星』を」という印象的な言葉がありました。説明を引用すると、「北極星を頼りに航海するように行く先を見極めるセンスメイキングが大事」とのことです。自らが向かうべき方向を示す灯りを北極星と表現しているのでしょう。

これは偶然ですが、私は本書を読む前から、仕事の中でよく「北極星」という言葉を使っていました。とくにクリエイティブの世界では顕著なのですが、チームで動くときには、それぞれにやりたいこと、あるいはやりたくないことがあるものです。そこで「我々の北極星はどこにあるか」という話し合いをすることで、自然とチームがまとまり、目標に向けた行動を起こすことができます。

「やりたいこと」×「自分の強み」

ここで大切なことは、北極星とは、他者から与えられるものではなく、自分自身の感覚から導き出されるものであるということです。生き方や働き方の選択肢は無限にありますが、頭上にある無数の星のなかから北極星を見つけ出すようなセンスが大事なのでしょう。

私の場合、「やりたいこと」と「自分の強み」の両方が重なるところを意識しています。自分が積極的に行動することができ、かつ勝てる領域を見つけることが大切です。私が博報堂に入った理由も、昔から人を喜ばせることが好きだったことと、クリエイティブを活かせる仕事を求めたことにありました。

ただし、「やりたいこと」と「ただのわがまま」の違いは自覚しておく必要があるでしょう。会社にいる以上、ただのわがままが通ることはなく、何らかの貢献をすることが最低限求められます。したがって、会社に貢献できるポイントをつかみながら、新しいことにもチャレンジするバランス感覚が必要で、そういった意味でもセンスは求められるのです。

元NHKディレクターが立ち上げた「注文をまちがえる料理店」

私の知人で、自らの北極星に向けて動いていると感じる人を紹介したいと思います。一人目は、NHKのディレクターだった(現在はフリー)小国士朗さん。「クローズアップ現代」や「プロフェッショナル 仕事の流儀」などを制作された方です。私が最初にお会いしたのは、連載記事の取材でお話を聞かせていただいた時でした。

当時の小国さんは、体調を崩し番組制作にドクターストップがかかったことから、番組制作からは退き、番組を話題化するためのPR戦略に取り組み、Webやアプリ、イベントなど、既存の手段とは違う方法で視聴者の関心を引き寄せていました。

そんな小国さんが立ち上げたのが「注文をまちがえる料理店」というレストランです。このレストランはニュースなどで話題になったため、ご存じかもしれません。認知症の方がスタッフとして働くレストランという、ユニークなコンセプトで運営されています。

「北極星」が見えていれば手段はなんでもいい

小国さんが注文をまちがえる料理店を始めるきっかけは、「プロフェッショナル 仕事の流儀」の制作で取材した介護福祉士の和田行男さんとの出会いにあったそうです。彼はそのときに自分自身の北極星を見つけ、より寛容な社会を目指してアクションを始めたのでしょう。

NHKのディレクターでありながら、レストランを作る。これは小国さんなりの北極星があったからできたことだと思います。小国さんは以前から「番組を作らないディレクター」と自分自身を説明されていましたが、私もクリエイティブの目的語を限定する必要はないと考えています。北極星が見えていれば、番組作りであろうがレストランであろうが、手段はなんでもいいわけです。

注文をまちがえる料理店は、2日間の試験オープンを経て、今はクラウドファンディングやNPOにより運営されています。自らのセンスを信じ、仲間とともにムーブメントを起こした小国さんは、非常にいいセンスメイキングの事例です。

星を求めなくなったミシュランシェフ

もう一人紹介したいのが、シェフの松嶋啓介さんです。広告・広報の仕事がきっかけで出会い、現在はQUANTUMでパートナー契約を結ばせていただいています。彼はフランスで外国人最年少シェフとしてミシュランの一つ星を獲得したことで注目された人ですが、実は今はミシュランの星を取っておらず、獲得を目指してもいません。ここに私は面白さを感じています。

ミシュランの星は、ある意味では会社の査定に近いものがあります。そのため、かつての松嶋さんは、博報堂入社当時の私と同じように、ある意味“褒められる”ためにがむしゃらにやってきたのかもしれません。その努力が実り、ミシュランの星を獲得することができたのでしょう。

ここで、普通であればお店の星を増やすことを目指すところを、彼はもっと大切なことがあることに気が付いたようです。それは、たとえばおふくろが作ってくれる「がめ煮」のような、じわっと幸せを感じられる豊かな食によって世界を良くしたいという思いでした。

彼は、現代人の食に危惧を抱いています。必ずしも身体によくない食品が出回っている現状があり、なかにはうつ状態の原因となるものもあるようです。とくに問題があるのは、塩、砂糖、油を過度に使った、いわば“アッパー系”の味付けへの依存でしょう。アッパー系の旨みにさらされ続けると、味覚が衰えたり、人生の豊かさが損なわれたりすることにもなりかねないと松嶋さんはおっしゃいます。

「過程」を楽しめれば豊かな人生になる

話は少し変わりますが、salary(給料)の語源はラテン語のsal(塩)にあることをご存じでしょうか。たしかに、給料と塩には似た面があると感じます。塩(給料)がなくなると渇望が生まれ、与えられると気持ちよくなる。でもしばらくするとまた渇望が生まれてしまいますよね。そう考えると、私たちは、いわば給料や塩の奴隷になっているのかもしれません。

松嶋さんは、提供する料理を通して、実はそんなに塩を使わなくても豊かな味わいがあることを伝えようとしています。味わいを探すこと自体に喜びがあり、人生の豊かさにつながる。これはセンスメイキングに通じる考えです。

私はこれまでの人との出会いから、「給料を気にしない人は強い」と感じています。小国さんや松嶋さんは代表例ですが、そうした人に限って後からお金がついてきたりするのも面白いところです。

自らのセンスに耳を傾けて北極星を見つけることができても、そこに向けて歩む過程で苦しいことがあるかもしれません。しかし、その過程自体を楽しみ、自分自身の人生を歩んでいる自覚を持つことができれば、それはきっと豊かな人生につながっていくはずです。

川下 和彦(かわした・かずひこ)

QUANTUM クリエイティブディレクター

1974年兵庫県生まれ。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。2000年博報堂入社。マーケティング部門、PR部門を経て、グループのスタートアップ・スタジオQUANTUMでクリエイティブディレクターとして新規事業開発を担当。著書は『コネ持ち父さん コネなし父さん 仕事で成果を出す人間関係の築き方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ざんねんな努力』(共著、アスコム)など。(構成=小林義崇 撮影=原貴彦)

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