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自分の存在価値を問い続ける【前編】

ダイヤモンド・オンライン のロゴ ダイヤモンド・オンライン 2019/08/14 06:00 作田久男

作田久男氏は、創業家以外から初めてオムロン社長に就任したサラリーマン出身の経営者である。現実を直視し本質に鋭く斬り込む行動力は、自分の生きざまを貫き続けてきた人だけが持つ、いぶし銀の迫力に富んでいる。そこには何かにおもねる忖度はない。あるのは、時代の変化を見据え、常に問い続けてきた「自分の存在価値」そのものだ。

 そんな作田氏は、必ずしも「結果」がすべてではないと語る。ミッション(何をやりたいのか)、ビジョン(どのように実現するのか)、バリュー(なぜやるのか)を明確にし、それを極めようとする「プロセス」こそ、自分の存在価値を示すのに重要だと言う。

 オムロンでは、21世紀にふさわしいグローバル企業になるための基盤を企業理念やガバナンスの根本から整備し、画期的な後継者選びの方法と相まって、同社を新次元へと脱皮させる契機をつくった。

 そしてオムロン会長退任後に託されたのは、「日の丸半導体」と呼ばれるルネサスエレクトロニクスの再生だ。

 日立製作所、三菱電機、NEC3社の半導体事業部門の合併で生まれ、連続赤字に歯止めがかからず倒産の瀬戸際にあった同社を、世界で戦える〝自律〟した経営体とするため、鬼気迫る生き残り策を展開。半導体製造の工程になぞらえて、「前工程=生き残り」と「後工程=勝ち残り」に分け、自分の役割を前工程と見定めて、すさまじいリストラにおいても矢面に立ち続けた。

 就任2年後には、初めて純利益が黒字に転換。営業利益率も2桁に乗せた。自律への前工程を完了させてルネサス会長を退任。後任に「後工程=勝ち残り」を託し、経営の第一線から退いた。

 だが、その1年後には再び請われて、日本特殊陶業の半導体事業を分離独立させた新会社、NTKセラミックの会長兼CEOに就任。すでにここでも黒字化の目処をつけている。5G時代の到来を目前に、作田流の「正眼の経営」がどのような勝ち残り策を描き、次に託すのか極めて興味深い。

 オムロン、ルネサス、NTKセラミック――これらのキャリアで共通するのは、現実に真っ正面から向き合い、「自律への闘い」をひたむきに実践したことだ。その覚悟と実践の方法論は、困難な現実に直面する日本のビジネスリーダーの経営姿勢を正すだけでなく、勇気ももたらすに違いない。

創業者に共鳴した

「適者生存の法則」

――このインタビューでは、作田さんの「経営者としての歩み」を振り返っていただきながら、経営のフィロソフィや方法論について伺います。

HISAO SAKUTA 1944年生まれ。1968年慶應義塾大学工学部卒業後、立石電機(現オムロン)に入社。長年、制御機器分野を担当し、1995年に取締役。その後、経営戦略室長などを経て、2003年に創業家以外から初となる代表取締役社長に就任。バブル崩壊以降、苦境に陥っていた同社を筋肉質な企業体へ変え、21世紀にふさわしいグローバル企業になるための基盤をつくった。8年間社長を務めた2011年、5年間かけてつくり上げた社長指名委員会システムにより、当時49歳の山田義仁氏に社長のバトンを譲り、取締役会長へ。そして2013年6月、産業革新機構からの強い要請により、オムロン会長退任と同時に、ルネサスエレクトロニクス代表取締役会長兼CEOに就任。巨額赤字で倒産の危機に瀕していた日の丸半導体の存続を賭け、鬼気迫る生き残り戦略を展開し、すさまじいリストラの矢面に立ち続けた。その結果、わずか2年で同社を利益の出る会社に再生させ、2015年6月に退任。それから1年後の2016年6月、今度は日本特殊陶業からの要請により、同社半導体事業を分離独立させた新会社、NTKセラミックの代表取締役会長兼CEOに就任。すでにここでも黒字化の目処をつけており、5G時代の到来を目前に、同社の次なる成長モデルを描いている。

 それは、自分の中にある何かと、一真さんの言葉がビビッと共振したということですか。 まずは、ビジネスパーソンとしての礎を築かれ、創業家以外から初めて社長に就任されたオムロンについてです。入社の経緯からして、作田さん流で面白いですね。

作田(以下略):大学4年の4月だったと思います。就職ガイド本を見て、創業社長の立石一真さんの言う「適者生存の法則」に興味を持ちました。チャールズ・ダーウィンの進化論のように、環境に適した会社が勝ち残ることだろうと想像しましたが、とにかくその真意を聞きたくて、自腹で京都の本社に行ったのです。

 一真社長に直接会えると思っていましたが、そんなに甘くはありませんでした。でも、突然のアポなし訪問にもかかわらず、人事課長さんが社長との間をつなぐメッセンジャーとなり、真摯に対応してくれたのです。そこで私は、率直に「適者生存の法則」の意味を問いました。それに対し、一真さんはこう答えました。「強い者だけが勝ち続ける社会じゃ、面白くないわな」と。

 私は、強い者が勝つのが当たり前だと思っていたので驚きました。そこで、「強さとは何なのか。『変化対応力』のことをおっしゃっていますか」と再び尋ねました。すると一真さんは、「その通りです」と。なんだかんだで3時間くらい粘っていろいろ聞いたのですが、やはり、「強い者だけが勝ち続ける社会じゃ、面白くないわな」という最初の言葉に、一番インパクトを受けました。

――それは、自分の中にある何かと、一真さんの言葉がビビッと共振したということですか。

 そうです。学生の頃から自分の中で大事にしていた言葉に「Change, Challenge, Create」という3つのフレーズがあります。

 人間の最大の特徴は創造性(Create)があることですが、その創造性は変化(Change)からスタートすると思っています。ただし自分も含めて、多くの人間は変わることが怖かったりする。恐怖心から、いままでと同じことを明日もやるほうが安心です。しかし、それでは明日は今日と何も変わらない。前に進むにはChangeが大事で、そのためにはChallengeが必要になります。そして、そのChallengeする“もがき”の中から、Createが生まれるのです。

 学生時代にそこまできちんと整理していたわけではありませんが、なんとなく「Change, Challenge, Create」の重要性をわかっていました。ちなみに私は高校・大学と柔道をやっていたのですが、小柄なほうだったので、自分より体格のよい相手にどうやって勝つかをいつも考えていました。技を仕掛ける時に柔道では「崩す」と言いますが、押したり引いたりしながら、相手の防御態勢を崩す(Change)わけです。そして、その試行錯誤(Challenge)から、技を決めるという創造(Create)が生まれる――柔道を通じて、そんな感覚を持っていました。

 ですから、一真さんが言った「適者生存の法則」がすぐに心に響きました。つまり、「変え、挑み、創造する」=「変化に対応できた者だけが生き残る」だと思ったのです。生意気ながら、まさに「この経営者に興味あり」でしたね。

――オムロン(当時は立石電機)に入られて、「チャレンジし、創造につながった体験」はありましたか。

 私が入社する前年の1967年の売上げは130億円程度でしたが、毎年20~30%という、ものすごい勢いで伸びていました。ですから、会社の成長と自分の成長のリンケージを取るだけで精一杯、という感じでした。

 アイデアはすぐに商品化され、とにかく売れる。創業者も新入社員も、全員が一心不乱で一生懸命でした。世の中が期待するものに応えようという挑戦と創造力が、会社を成長させる原動力だったのです。

 それを体感したエピソードはいくつもありますが、あくまでも断片にすぎません。ダイナミズムにあふれた会社で必死にもがいているうちに私も成長した、というのが偽らざる実感です。

――「リーダーとしての自覚」や「経営のツボ」を実感できたのは、いつ頃ですか。

 43歳頃でしたか、温調機器の事業部長の時です。開発、生産、販売のすべての機能を持って、小さいながらも事業経営を託されていました。いまでは、3C(Customer, Competitor, Company:顧客、競争相手、自社)という言葉が当たり前になりましたが、当時も常に、QCD(Quality, Cost, Delivery:品質、コスト、納期)という生産管理の3要素で、競争相手と比較されました。

 そこでは自社製品のよさを主張するのですが、認められる場合も認められない場合もあるし、認められても、儲からないケースも儲かるケースもあります。つまり、メーカーと顧客が「価値」をめぐって綱引きをしているわけです。

 そして、その綱引きの中で、顧客による我々への評価は「粗利率」に表れるのだと気づきました。たとえ同じ製品であってもメーカーが違えば、粗利率が30%、50%と違いが出ることがあります。言わば粗利率は、顧客から我々に対する「評価のバロメーター」だといえるのです。

 ちなみに粗利から販管費やR&D費を差し引いた営業利益は、間に入る経費をどう使うかによってどうにでもなります。でも粗利そのものは、そう簡単に上げ下げの操作はできず、自分たちの実力が端的に表れるものです。では粗利率を上げるにはどうしたらいいか。それは次の2つしかありません。

 (1)売価を上げる、もしくは原価を下げる。

 (2)粗利率の低いものは売らない。

 (1)は競合に勝る機能、性能、品質で売価を上げるか、それが難しければ、原価を下げる必要がある。大幅に下げるには生産の抜本的な見直しが必要になります。

 また、さまざまな製品がある中で平均の粗利率を上げるには、(2)のように粗利率の低い商売をできるだけ少なくする必要がある。

 事業部長になって経営の一部を任されたという変化点が、私に粗利率の重要性を教えてくれました。顧客の信頼と期待は粗利率に表れている、それを痛感したのです。

創業家への異論をも恐れない

強い信念と勇気

――作田さんがオムロンで実践された「経営者としての仕事」で、3つ印象に残っています。まず1つ目は、ITバブル崩壊後に実施した「大規模な人員削減」です。

 1990年代から業績不調が続いていたオムロンは、2001年度にITバブル崩壊で大幅な赤字に転落、株価も急落しました。この時、社長の立石義雄氏と執行役員専務の作田さんは、リストラをめぐって大げんかをしたと聞きます。「早期退職者募集が急務だ」とする作田さんに対し、「俺のポリシーは雇用を守ることだ」と主張する義雄社長。

 そこで作田さんは、「仕事がないのに給料を払うのは飼い殺しで、一番やってはいけないことだ」と、信念に基づいて義雄社長を説得されたそうですね。創業家社長のポリシーに異を唱えるのは、強い信念と勇気がなければできないことです。この時の作田さんの思いを教えてください。

 私はどちらかというと鈍感なのです。義雄社長は創業家の三男坊で、その人の意に反することを言えばどうなるか。冷静に考えればわかることです。ですが、私はそういうことに無頓着な人間でした。相手が誰であっても、自分が思ったことを言うのを我慢できないタイプ。まったく忖度しないわけではありませんが、その度合いが低いのでしょうね。

 でも当時の状況を考えれば、私は忖度なんかしていられなかった。というのも、1991年のバブル崩壊以降、多くの日本企業が一気に業績が悪化し、オムロンも例外ではなかったからです。少しでも売上げを上げようと、さまざまな模索をしました。新日鐵(現日本製鉄)がうなぎの養殖に乗り出したり、我々オムロンもトマト栽培を始めたりしました。しかし、どれもうまくいかなかった。そこへさらに追い打ちをかけたのが、2001年のITバブル崩壊。それにより、再び危機に陥ったわけです。

 だから、リストラは急務でした。実際、2002年には約1800人の早期退職を実施しました。ただ、オムロンは財務的には小金持ちの会社でしたから、そのまま社員を雇用し続けることもできました。でも、私はそれは絶対にすべきではないと考えたのです。

 なぜなら、私には「仕事とお金はリンクしなければいけない」という信念があります。人は仕事を通じて成長するもの。社員一人ひとりは会社という舞台の役者であり、それぞれが演じるべき役割(仕事)があります。その役割を演じ切る中で成長するものなのです。ですから、役割がない人に給料を与えることは、飼い殺しになります。その後の長い人生を考えれば、ほかの舞台に移ってもらったほうが絶対にいい。そう信じていました。

 だから、「無理をして社員を残すことは、会社にとっても社員個人にとっても、けっしてプラスにはならない」と義雄社長に言い続けたのです。私の思いが通じ、義雄社長も早期退職者募集の方針を固めてくれました。そして、退職者には通常の退職金に3年程度の年収分を加算しました。そうすることで、自己実現のための新たな舞台を見つけるチャレンジを、会社として支援したかったからです。

 2002年4月に義雄社長は記者発表の席で、早期退職をはじめとする再生計画とともに、「来年6月に退任する」とみずからの進退を表明しました。そして、大方の予想に反して私にお鉢が回ってきました。次期社長を引き受けることになったのです。

 この一連の出来事は、昨日のことのように覚えています。あれから20年近くが経ちましたが、経営者としていまでも肝に銘じているのは、「企業は人を成長させなければならない」ということ。その成長の糧となる仕事を社員に与えられない状態は、経営者として最も恥ずべきことだと自分を戒めています。

――2003年にオムロン初となる創業家以外からのサラリーマン出身社長に就任し、会社復活という重大なミッションを背負いました。何をすべきかは見えていましたか。

 経営者がやるべきことは「企業価値を高める」ことです。そして、そのために採るべき戦略は次の2つあります。

 (1)事業ドメイン拡大

 (2)運営改革

 さまざまな人に舞台と役割を与え続けるためにも、会社は大きくなる必要があります。かつての私のように「海外で働きたい」と考えている社員がいれば、当然ながら海外に仕事がなければならない。外国人を含めていろんな人材が集まってきますから、できるだけ彼らのやりたいことを実現できる、多様な舞台を用意する力が経営者に問われます。それゆえ、事業ドメインを広げながら会社を大きくする必要があるのです。

 ちなみに私は、どちらかというと②の運営改革のほうにエネルギーを費やしたいタイプです。もちろん①の事業ドメイン拡大に無関心ではありませんが、そこには顧客も競争相手もおり、そう簡単に新たなマーケットを開拓できるわけではありません。

 一方、運営改革は基本的に社内で済みますからスピードが速いし、やればやっただけの成果も出ます。企業価値を高めるという意味では、運営改革による効果のほうが大きいのではないか。私はそう考えています。

 ただし、社内改革は経営者だけではできません。だからこそ重要なのは、与えられた舞台と役割の中で、社員一人ひとりをいかにその気にさせるかということ。「あなたにしてほしいこと」と「自分がやりたいこと」を会社という舞台で整合する必要がありますが、我々経営者が舞台と役割を明確に示すことができれば、たいていの社員は納得し、その気になってくれます。

 もちろん一部には、与えられた舞台と役割が自分のやりたいことと整合せず、文句を言う社員もいます。その場合は、残念ながら舞台を変えてもらうしかありません。クビを切るという話ではなくて、「自分のやりたいことにマッチする舞台に立たないと、あなた自身がつらいでしょう」ということ。

 それだけ社内改革に際しては、社員一人ひとりの「ロール・アンド・レスポンシビリティ」が求められます。それができなければ、「企業価値を高める」ことはもちろん、その最たるものである「人材価値を高める」ことはできないのです。

――作田さんは創業一族ではないということで、ドラスティックな変革が難しかった側面はありましたか。

 それはいっさいないです。立石家からそういう束縛はまったくありませんでした。私は鈍い人間ですから、気づかなかっただけかもしれませんが(笑)。

 ちなみに立石家の次男で相談役であった信雄さんや三男で会長であった義雄さんに、いろんなアドバイスをもらいました。その時によく言われたのは、「作田なぁ、俺たちはお前に気を遣ってるんやぞ。ありがたく思えとまでは言わんけどな、気を遣っていることぐらいは知ってほしいんやけどなぁ(笑)」と。私は「あぁ、すんません」と答えていました。いつもそういう感じでしたので、創業家に対しての不満は何も思い浮かびません。

価値観のプラットフォームを

共有し、行動を変える

――作田さんがオムロンで成し遂げた仕事の2つ目は、2006年の「企業理念の改訂」です。社長に就任されて3年後のことでした。この時、作田さんは企業理念のことを「価値観のプラットフォーム」だと、うまい表現をされています。

 社長になって3年目が一つの契機でした。新人社長として、一通り仕事を覚えた時期です。そこであらためて、自分はこれから何をすべきかと考え、足下を見直しました。

 ちなみに当時の社員は3万6000人。その3分の2が外国人でした。この人たちのモチベーションを引き出し、次の成長につなげたいと思いました。そこで思い立ったのが、「企業理念の改訂」です。

 オムロンの企業理念(注1)の根幹を成す社憲は、創業者の思いや会社の歴史を表していましたが、日本人には理解できても、外国人には複雑で理解しにくい内容でした。社員だけでなく、株主も半数近くが外国人でしたし、売上げも6割がグローバルとなっていて、今後もそれらの比率が高まっていくのは見えていました。

注1)

オムロンの企業理念は現在、「社憲」(われわれの働きで、われわれの生活を向上し、よりより社会をつくりましょう)と、「3つの価値観」(①ソーシャルニーズの創造、②絶えざるチャレンジ、③人間性の尊重)で構成。「企業は社会の公器である」ことを、さらに具体化した内容となっている。

 そうなると問われてくるのは、「Who Is OMRON?」です。オムロンとはいったい何者なのか──その原点に立ち返って、外国人や若い人にも納得できるように表現を変えなければいけない、と思ったのです。

 そこで社憲の精神を踏襲しつつ、「企業は社会の公器である」という基本理念をシンプルな言葉で企業理念の中核に据え、社会と共生する企業であり続けることを宣言しました。日本人だけでなく、世界の誰もがわかる「価値観のプラットフォーム」が共有できれば、行動が変わる。それを企業理念の改訂で成し遂げたいと思ったのです。

 そして、「公器とは何か。何をしたらいいのか」と聞かれたら、私はこう答えました。「まずは、いますぐ動け」と。動くことはChangeの第一歩だからです。変化しようと動いた瞬間にChallengeが生まれ、そのもがきの中で人はCreateする。つまり、ここでも「Change, Challenge, Create」につながります。ですから、私は何よりも、その前提となる「行動」を重視しています。

 ちなみにオムロンには、私が社長時代の2008年から始まり、会長時代の2012年に正式スタートした「TOGA」(注2)という、企業理念を実践した社員を毎年1回、創業記念日に表彰する制度があります。これは、勇気を持って行動した社員やチームを評価するだけでなく、「Change, Challenge, Create」というプロセスを全社で共有する仕組みでもあります。強制参加ではありませんが、いまでは数万人もの社員が参加していると聞いています。

 頭だけではなく体で理解し、行動する。そういう学生っぽいことを平気でやるオムロンが、私は好きなのです(笑)。

注2)

The OMRON Global Awardの略。複数エントリーが可能で、2018年は、社員数3万6000人を超える6万2400人が6900テーマで参加。社員が現場で企業理念の実践にチャレンジしている。

――価値を実現する際には、「点→線→面→立体」が重要だとおっしゃっています。具体的に教えてください。

 オムロン時代だけでなく、どの会社にいても私が唱えているのは、価値実現における「点→線→面→立体」というプロセスです。

「点」は、存在はあっても面積はない。しかし、点と点をつなげば「線」になる。そして、線と線を結べば「面」になる。さらに、面と面を組み合わせれば「立体」になる。顧客から見れば、線は方向感を示すものとなり、面や立体になれば、目指す形がより明確になってくる。

 このように「点→線→面→立体」の順で価値実現のプロセスをとらえることで、自分たちも前へ進んでいけるわけです。

 日本の会社は点だけで勝負しがちですが、どんなによいものでも点だけを一生懸命つくっていてはダメ。「点→線→面→立体」へと、視点と発想をダイナミックに変えていく必要があると思います。

*つづき(後篇)はこちらです

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