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チャンス大城の何とも波乱万丈すぎる生き方 壮絶な経験をネタにお笑いへとたどり着いた

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2019/01/10 07:40 村田 らむ
「正直、一昨年まではこのまま人生終わるんだなって思っていた」と話すチャンス大城さんが、きっかけをつかむまで送ってきた日々とは(筆者撮影) © 東洋経済オンライン 「正直、一昨年まではこのまま人生終わるんだなって思っていた」と話すチャンス大城さんが、きっかけをつかむまで送ってきた日々とは(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第50回。

チャンス大城さん(43)は、自身が経験してきた強烈なエピソードを披露して笑いを取る芸人である。

 現在はよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属しているが、それ以前には長らく無所属の時代があった。芸人はフリーランス要素が強い職業だが、どこの事務所にも所属していない人は珍しい。

 大城さんに、これまで歩んできた道のりを伺った。

「尼崎の中ではまだまし」と言われる場所で育つ

 大城さんは1975年、兵庫県尼崎市に生まれた。

 「当時の尼崎はかなりガラが悪い地域でした。でも僕が生まれた町は『尼崎の中ではまだまし』と言われる場所でした。それでも十分怖かったですけど(笑)」

 父親はブラジャーの金型工場で働く職人だった。

 「僕の芸風からか、すごい貧乏な家出身だと思われることが多いんですけど、実は中流家庭でした」

 両親は熱心なクリスチャンで、毎週日曜日に教会に通っていた。大城さんも大城アントニウス文章という洗礼名を持っていた。

 「ミサで侍者とかやっていましたね。ワインを持ったり、鈴を鳴らしたりしていました。教会では子どもたちに見せるための劇を、大人たちが演じていました。それには両親も出演していました」

 母親は、マリアが馬小屋でイエスを産むシーンに登場した。

 「母親はヤギの役でした。前に出たがる性格で、セリフをしゃべるマリア様の横で大声で『メー!!』って鳴いて注意されてました。

 父親はガリガリにやせていてヒゲも生やしていたので、十字架にかけられたキリスト役を演じることになりました」

 舞台のクライマックス、キリストはやりで突き刺されて絶命し天国に行く。皆興奮して、

 「イエスさま!!」「イエスさま!!」

 と口々に声援が飛んだ。

 「母親が興奮しすぎて『お父さーん!!』って叫んじゃって台なしになってました。めちゃくちゃ受けてましたけどね(笑)」

心臓が右にある

 小学1年生の内科検診の時、医者が聴診器を大城さんの胸に何度も当てた後、首を傾げ「中止や!」と叫んだ。ほかの医者を集めて皆で大城さんの体を診断した結果、

 「心臓が右にある」

 とわかった。

 「内蔵全部が逆向きでした。その時は『ああ、死ぬんだな』と思いましたね。でも結果的に生きていくうえで問題はなかったです」

 ただ心停止の際に使用するAED(自動体外式除細動器)を当てる位置は逆になってしまう。

 「千原せいじさんには身体にタトゥーで『心臓の位置が逆なのでココとココにつけてください』って書いておけって言われたんですけど。タトゥーしたら温泉入れなくなるから嫌なんですよね(笑)」

 心臓が右であることはその後たびたびネタにしたし「右心臓800」「昭和右心臓」とコンビ名にもした。

 「小学校の時は、アトピー性皮膚炎がひどく包帯を巻いて学校に通ってました。同級生には『ミイラマン』と呼ばれてからかわれました。成績も最悪で、小学校5年まで九九ができないくらいアホでした。ずっといじめられてました」

 大城さんは5年生のクラスのお楽しみ会で「F1のモノマネ」をした。口で「ブーンブンブーン」とF1の走行音を模写するオリジナルの芸だ。

 「それがすごい受けたんですよね。そしたらいじめられなくなりました。それまでお笑いをやろうなんて考えたことなかったんですけど、その出来事がキッカケで芸人になろうかな?と思い始めました」

 いったんいじめは収まったが、中学校に入って再び始まった。当時は中学生になって不良になる子も多く、みんな怖い雰囲気になっていた。

 「クラスの不良に目をつけられて無茶振りされるんですよ。

 『柔道部の畳を盗んでこい!!』

 とか。誰もいなくなったのを見計らって、鉄の定規を畳と畳のすき間に差し込んで畳を抜き取り盗みました。結局バレて、ボコボコにされました」

 ある時は、「図書室の本を半分盗んでこい」と命令された。

 下校時に教室の窓の鍵を開けておいて、夜中に忍び込んだ。図書室で本を担ぐと、学校近くの地下道まで持っていった。何度も往復してヘトヘトになった。

 翌朝、大城さんの通う中学校の校長先生が地下道を通りかかると、そこに住み着いていたホームレスが本で家を作っているのを見つけた。よく見てみると、自分の学校の図書室の本だった。校長先生は朝礼で、

 「悲しいお知らせがあります」

 と、顛末を話した。

 「どうせならホームレスさんに本を読んでもらえたらいいなと思って地下道に置いたんですけど、まさか家にしてしまうとは……」

「面白い人はいじめられない」という言葉を思い出す

 「いじめは、だんだんエスカレートしていたのでなんとか止められないかと考えました。ダウンタウンの松本人志さんが『面白い人はいじめられない』って言ってたのを思い出しました」

 自分が面白いということを示せば、いじめられなくなるかもしれないと考えた大城さんは、当時関西地方で大変人気があったTV番組「4時ですよーだ」のオーディションを受けることにした。

 「オーディションを受けたら合格しました。そして本番で1人コントをしたら、まさかの優勝をしてしまいました」

 景品には、セガ・エンタープライゼスから発売したばかりの家庭用ゲーム機「セガ・マスターシステム」が送られた。

 翌日、学校に行くと一躍スターになっていた。当時大城さんは中学2年生だったが、中学3年生の校舎に呼ばれ、皆の前でネタをやるよう言われた。そしてネタをやると受けに受けた。

 しかし幸せは長くは続かず、すぐに同級生の不良たちに呼び出された。

 「『調子に乗ってたらいかんぞ』って脅されてて、もらったばかりのセガ・マスターシステムを取り上げられました。それからホウキでガンッて顔を殴られて腫れ上がりました。それを見ていた不良たちは大爆笑していて、本当に腹が立ちました」

 いじめはなくならなかったが、それでも『お笑い』に対して少しだけ自信を持つことができた。

 そして中学3年生で吉本興業が創立した吉本総合芸能学院(NSC)に入学することにした。

 「第8期で、同期は千原兄弟、FUJIWARA、バッファロー吾郎というそうそうたるメンバーを排出しています。

 僕はゆるい気持ちで入ったので、ほかの芸人さんのレベルの高さに参っちゃいました。それで途中で行かなくなってしまいました」

 両親も「高校に行け」とうるさかったので、素直に従い高校を受験することにした。

 「塾に通って勉強したのに、高校受験は失敗してしまいました。結局、定時制高校しか行くところがありませんでした。両親はブチ切れて『塾代返せ!!』と怒っていました」

 大城さんは、働きながら定時制高校に通った。夜の9時から活動するサッカー部に入ったり、58歳の同級生と合同コンパをしたり、楽しい学生生活だった。

 だが、またしても不良に目を付けられてしまった。

 「当時は昼間に同級生の和田英雄と2人で建築現場で働いていました。仕事が終わると日当の1万円をもらって、それを持って高校に行ってました」

 不良の5人組の先輩に声をかけられた。

 「その1万円を貸せ!!」

 と言われて、受け取ったばかりの日当を取り上げられた。そして居酒屋やカラオケに連れて行かれた。大城さんと和田さんの稼いだ金は、連日遊びで使われてしまった。

 その先輩たちの悪行はだんだんエスカレートしていった。彼らは深夜の公園に出かけ、デートをしているカップルにナイフを見せてお金を脅し取った。警察は彼らに対し逮捕状を出した。

 「僕らは無理やり居酒屋やカラオケを付き合わされてましたけど、それでもはたから見たらつるんでいるように見えますからね。ヤバイぞってなりました」

 とりあえず、建築現場のアルバイトも、学校も休むことにした。そして和田さんと2人で知人の家にかくまってもらった。

 「先輩たちが逮捕されたら、改めて仕事も学校も復帰することにしました。それまでは和田と一緒に知人宅で身を隠していました。それでもお腹がすいて深夜にこっそりコンビニに買い出しに行ったら、お店の前にヤンキー仕様の自動車が数台停まっていました」

 運が悪いことに不良の先輩たちだった。

 「お前らどこに隠れとった!! 裏切りやがったな!!」

シャベルを渡され、穴を掘らされ、埋められた

 怒鳴られた。言い訳をするひまもなく無理やり車に乗せられた。そして、そのまま自動車は夏の六甲山を登っていった。山奥にある、有名な心霊スポットまで連れて行かれた。

 「自動車に積んであったシャベルを渡されて、穴を掘れって言われました。正直、殺されるんだって思ってヒザがガクガクになりました」

 大きな穴を掘り終わると、大城さんはその穴に埋められた。穴から顔だけ出した状態で、工事現場用の凝固剤で体を固定されてしまった。

 和田さんは正座させられ、大城さんが埋められる様子を泣きながら見ていた。彼も埋められると思っていたが、なぜか彼は自動車に乗せられ、不良たちと一緒に去っていった。大城さんは穴に埋められた状態で1人残された。

 「ひょっとしたら冗談かもしれない……」

 という淡い期待を胸に、しばらく埋められたまま待っていると、見知らぬカップルが肝試しにやってきた。おっかなびっくり歩いているカップルに

 「すいません……すいません……」

 とそっと声をかけると、懐中電灯を持った女性が

 「今なにか聞こえなかった?」

 と男性に聞いた。男性は

 「幽霊なんかおらんねん、びびらすなや」

 と怒ったが、女性は懐中電灯で当たりを照らした。そして地面に、大城さんの首が落ちているのを見つけた。

 「カップルは『ぎぃやああああ』って叫んで逃げて行きました。『おーい!! 待ってくれー!!』って何度も叫んだけど、聞く耳持たず去っていきました」

 それからは待てど暮らせど誰も来なかった。さっきのカップルが生き残るラストチャンスだったのか、そしてそれをまんまと逃したのかと思うと悔しくて涙があふれてきた。

 季節は夏。徐々に脱水症状になり、意識がもうろうとしてきた。

 「心のそこから死にたくないと思って

 『助けてくれ!!』

 と叫びました。すると山の向こうからも『助けてくれ!!』

 と聞こえてきました」

 やまびこかな?と思ったが様子がおかしい。大城さんはハッと気がついて『わだー!!』と友人の名を叫んだ。すると山の向こうからは『おおしろー!!』と返ってきた。

 「なんと和田は向かいの山に埋められてました。結局、昼頃になってその土地の管理人に助け出されました。もう少しで本当に死んでしまうところでした」

 結局不良たちは警察に捕まり鑑別所に入った。そして出てきた後に大城さんの元にやってきた。

 「出てきたばかりだから無茶はできひん。もう臭い飯食いたくないねん。あと1万円だけくれ。そうしたらもう今後はかまわん」

 と言われた。

 「理不尽なお願いだけど渡さないって選択肢は選べませんでした。母親に1万円を借りて、不良に渡しました。それからは本当に付きまとわれなくなりました」

もう一度NSCへ

 そんな波乱の高校生活は4年で終わり(4年制の高校だった)、大城さんは19歳になった。そこで中学時代に途中であきらめてしまった、吉本総合芸能学院(NSC)にもう一度入学することにした。第13期生、同期にはブラックマヨネーズ、野性爆弾、次長課長などがいる。

 「自分が以前NSCに入っていたことはなかったことにしました。もう一回、ゼロから頑張ってみたかったんです」

 1994年にはビックママというコンビを組んだ。コンビの相手はなんと、高校生時代一緒に穴に埋められた和田英雄さんだった。

 だが残念ながら、2年ほどで解散してしまった。

 「お笑いに限界を感じてました。それで俳優をやろうと思って、とにかく東京に行こうと決めました」

 上京の資金をためるため、携帯電話の画面のガラスを制作する工場に入った。

 上京した後は、お笑いではなく俳優の芸能事務所に入ろうと思っていた。

 上京して初めて住んだのは、新宿上落合にある家賃1万8000円のアパートだった。そこに、知人と2人で住んだ。ネズミがうじゃうじゃいた。隣室には不良外国人が4人で住んでいて、警察が踏み込んできたこともあった。

 大城さんは、俳優になろうと思っていたものの結局とあるお笑い系の芸能事務所に入った。そこで下働きをしながら、生活費は相変わらずアルバイトで稼いでいた。

 イベントホールの設営の仕事や土建業の仕事などなんでもこなした。

 「いちばんつらかったのは漫画喫茶を宣伝するための看板持ちでした。一日8時間看板を持って、ひたすら立ち続けないといけないんです」

 そんな時は「もし、自分が野球選手になっていたら?」という妄想をした。

 妄想の中の自分は高校野球大会に出場し勝ち上がっていった。高校卒業後は阪神に入団し好成績を収めて、メジャーリーグに行った。妄想の中の自分が野球選手を引退する年頃になっても、アルバイトの時間は終わらなかった。

 「結局、その事務所には13年いました。そろそろ楽になるかな?というタイミングで、辞めざるをえない状況になってしまいました。それで2009年に事務所を離れて、ガチのフリーの芸人になってしまいました」

フリーランスの芸人が呼ばれるライブ

 フリーランスの芸人には基本的にオーディションが振られることはない。テレビの仕事など、はるか遠い国の出来事のように感じた。

 「呼ばれるのはおかしなライブばっかりでした。出演者全員が挙動不審な『挙動不審寄席』、ライブの途中で一度だけお笑いの舞台に忍者がスッと通る『忍者が出るライブ!!』、自分が靴擦れだと申告すれば入場料がタダになる『靴擦れ寄席』などです。お客さんはもちろん多くはないですね。

 正直、一昨年まではこのまま人生終わるんだなって思ってました」

 そんな大城さんに光が刺した。

 きっかけは、ちらかり放題だった大城さんの部屋を後輩芸人である漫才コンビ「飛石連休」の岩見よしまささんと片づけていた時だ。

 「NSCの第8期生だった頃のノートを岩見さんが発見したんです。そのノートには同期の芸人さんの芸に対して僕が独断で点数をつけていました」

 点数は10点満点でつけていた。そして千原兄弟の芸に対して辛口の5点をつけていた。

 それを岩見さんは面白がって、千原兄弟の千原せいじさんにメールで送った。

 「その後、千原兄弟が毎月開催してる『チハラトーク』というお笑いライブに呼んでいただきました。せいじさんの居酒屋でバイトさせてもらったことはあったのですが、舞台で千原兄弟さんとガッツリ絡むのは初めてでした」

 ライブは、千原せいじさんの

 「なんで俺らが5点やねん!!」

 というクレームで始まったが、話題は大城さんの持つ強烈なエピソードに移っていった。心臓が右にある話、学生時代いじめられた話、そして山に埋められた話などを壇上で披露するととても受けた。

 そこからトントン拍子で、人気番組『人志松本のすべらない話』(フジテレビ)のオーディションを千原ジュニアさんの推薦枠で受けるチャンスがめぐってきた。そして狭き門を突破して出演することになった。

 「草野球をやっていたら急に、読売巨人軍に入団させられてしまったという感じでした。テレビ局では目に映る人全員が一流の人ですからね。それはもう緊張しましたよ」

 大舞台でも「心臓が右にあってケンカを売られた話」と「不良に山に埋められた話」をした。僕はテレビで見ていたが、腹を抱えて笑った。

 「うまく話せなかったなって後悔してる部分もありますけど、でも出演させてもらえて本当によかったです」

 『人志松本のすべらない話』への出演がきっかけで、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに籍を置くことも決まった。

 「千原兄弟さんと、岩見さんには本当に感謝してます。よしもとさんにも本当によくしていただいて。こんな老犬をやとってもらって、本当に申し訳ないです。たまに番組出させてもらうんですけど、空回りしがちで……早く期待に応えないとって焦ってます」

 現在はお笑いの稼ぎは月に5万~6万円だという。今でもアルバイトをしなければ食べていけない額だが、不満はない。

お笑いでお金をもらえるという発想がなかった

 「そもそもお笑いをしてお金をもらえるって発想すらなかったので。今はそれだけもらえたら十分です。

 僕は見た目も汚くて華もないし、話す内容はきわどいものばかり。そもそも、人前で話すのも苦手で緊張してしまうんですよね。話し方も下手くそなんだと思います。

 せめて見た目くらいはキレイにしたほうがいいかな?と思い、今は舞台で着るスーツを新調するためのお金を貯めてます。

 何より面白いエピソードをもっと増やしたくて、いろいろな場所に行ったり体験しようと思ってます」

 と大城さんは語った。

 確かにチャンス大城さんの話を聞いて、洗練されているという印象を持たない人が多いと思う。

 しかしいかにも人の良さそうな口調から放たれる、リアルで強烈なエピソードはドンッと胸に来る。そしてやっぱりとても面白い。インタビューのために話を聞いていて、何度も爆笑してしまった。

 チャンス大城さんの新作エピソードを、テレビなどのメディアで聞ける日を楽しみにしている。

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