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トヨタ車「発祥の地」、実は解体寸前だった 関係者の「聖地」となった試作工場を公開へ

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2018/06/13 08:00 冨岡 耕
© 東洋経済オンライン

 解体するはずたった木造建築物が、なぜトヨタグループの”聖地”となったのか――。

 トヨタ自動車の創業期の試作工場が7月18日から無料で一般公開される。豊田章男社長の祖父である豊田喜一郎氏らが1935年に試作1号車を造った建物に見学室を設置。グループ17社が共同で運営するトヨタ産業技術記念館が「トヨタ創業期試作工場~クルマづくり出発の地~」として、一般の人にも広くトヨタのものづくりの原点を伝える構えだ。

章男社長の「鶴の一声」

 試作工場は1934年に完成。現在は愛知製鋼の刈谷工場の敷地内にある木造平屋だ。東棟と西棟を合わせて約1700平方メートルの広さがあり、そのうち東棟に、ガラス越しに工場内部を見られるシェルター式の見学室を設けた。見学室以外の壁や窓ガラス、床などは当時のまま残している。事前申込制で平日1日6回、合計300人まで受け入れる。

 試作工場は愛知製鋼が資材用の倉庫として使っていたが、関係者によると、「耐震強度が低いため、2016年2月末をメドに解体を予定していた」という。そのことを知った豊田章一郎名誉会長が2016年の年明けに訪問。「子どもの頃に走り回った思い出を懐かしそうに話していた」(関係者)という。内山田竹志会長も訪れ、章男社長にも「最後に訪問しておいたほうがいい」と促したという。
 
章男社長が訪問したのは2016年2月24日。解体予定日の直前だった。偶然だったかもしれないが、同日は2010年、章男社長が米国での大規模リコールで窮地に陥っていた際にワシントンの下院公聴会に出席した特別な日であり、トヨタが「再出発の日」として毎年大事にしている日だ。

 そんな日に試作工場の場に立った章男社長の思いは格別だっただろう。社長は周囲に「創業期のオーラを感じる。このままの姿で後世まで保存したい」と伝え、解体から一転して保存へと動き出した。「まさに鶴の一声だった」と関係者は言う。耐震工事は見学室のみにとどめ、できるだけ当時のままの姿で保存することが決まった。

 今や年間1000万台以上を販売するトヨタだが、車づくりはまさにここから始まった。豊田自動織機を率いた豊田佐吉氏の長男として生まれた豊田喜一郎氏は、米国視察で自動車産業の重要性を痛感。豊田自動織機内に1933年、「自動車部」を立ち上げ、翌年には板金・組立工場、機械・仕上工場、倉庫、材料試験・研究室で構成される試作工場を愛知県刈谷の地に設立した。

トヨタ関係者の行脚が絶えない

 当時、米フォードと米ゼネラル・モーターズ(GM)が、関東大震災後の復興で急増した自動車需要に対応し、日本国内で組み立て生産を開始。その数は年間3万台強に及んだ時代だ。市場の9割を海外メーカーの国内組み立て車や輸入車が占める中、トヨタはまさにゼロからの車づくりにチャレンジした。見学室には当時の資料や写真も紹介されている。喜一郎氏の信念だった「自分たちの手でクルマをつくり、日本に自動車事業を興し、人々の生活を豊かにしたい」との思いが伝わる内容だ。

 エンジン試作ではシリンダーブロックの鋳造で不良品の山を築くなど、試行錯誤の末、ついに誕生したのが「A1型試作乗用車」の1号車だ。その後、開発や量産、量販の体制を整え、自動車部設置から5年後に、月産2000台の挙母(ころも)工場(現トヨタ本社工場)を立ち上げた。

 ただ、歴史を重んじるトヨタグループの関係者ですら「自動車部発祥の地は豊田自動織機にあるかと思っていた」と言うほどで、愛知製鋼内にある試作工場の存在はあまり知られていなかった。そんな中、「オーラのある場所」との章男社長の発言が伝わり、保存が決まった後は「グループ関係者の行脚が絶えず、毎日2~3組が足を運び、見学に来ている」(関係者)ほどで、今ではトヨタ関係者の聖地となっている。2018年5月には戦前の建物として歴史的価値も高いと判断され、国の登録有形文化財にもなった。

 章男社長は最近、原点回帰を唱え、祖父で創業者の喜一郎氏への思いを記者会見の場などで赤裸々に語ることが増えている。電動化や自動運転など100年に1度の変革期にある中、グループ一丸となって戦うために一段と求心力を高めたい思いがあるはずだ。創業の地の保存はまさにグループ結束力を高めるものになるだろう。

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