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三菱自動車 このまま日産と「一蓮托生」でいいのか

NEWSポストセブン のロゴ NEWSポストセブン 2018/12/07 07:00
RJCカー・オブ・ザ・イヤーも獲得した三菱「エクリプスクロス」 © SHOGAKUKAN Inc. 提供 RJCカー・オブ・ザ・イヤーも獲得した三菱「エクリプスクロス」

 日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者の逮捕により、日産、仏ルノー、三菱自動車という3社連合の先行きが懸念されている。中でも日産の傘下入りで業績回復の兆しが見えていた三菱自動車は、またも不安定な立場に立たされている。果たして、三菱自動車の未来はどうなってしまうのか。ジャーナリストの河野圭祐氏がレポートする。

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 三菱自動車工業という会社は、よくよく翻弄される運命なのだろうか──。ようやく業績が好転し、11月に入ってRJCカー・オブ・ザ・イヤーをSUVの「エクリプスクロス」で獲得。間もなく、同じ田町エリア(東京・港区)ながら竣工したばかりの高層ビルに本社も移転する。その矢先に起きた“ゴーン・ショック”だった。

 今年3月から国内販売を開始した「エクリプスクロス」は月販目標が1000台で、直近は9月が847台、10月が504台だったが、3月の同車の発表会では、三菱自動車の益子修CEOが感慨深げにこう語っていた。

「このクルマは、当社としては2014年2月に出した(軽自動車の)『ekスポーツ』以来、実に4年ぶりの新車であり、世界80か国で販売する世界戦略車。シャープでダイナミックな、クーペスタイルの四輪駆動車です。また、日産自動車と資本提携する前に開発したクルマであり、我々の判断と力で開発したという点で、強い思い入れ、特別な愛着を持ったクルマでもあります」

 その後、新型の「アウトランダーPHEV」や「デリカD:5」も投入、販売的にはこの2車種のほうが「エクリプスクロス」より台数は出ており、今年1月~10月のトータルで見ても登録車、軽自動車ともに、三菱自動車の国内販売は前年比超えを続けている。

 とはいえ、中位メーカーのマツダ、スズキ、スバルと比べて登録車の販売台数ではかなりの開きがあり、軽自動車のそれもマツダ、スバルよりは上だが、スズキ比では比較にならない。

 三菱自動車の強みであり主戦場はASEAN、特にインドネシアだ。インドネシアでは、デリカD:5のデザインにも似た、クロスオーバーMPVの「エクスパンダー」が大ヒットし、今年3月と7月には、同国での車種別販売ランクで1位にもなったほど。

 完成車の無資格検査問題や排ガス、燃費データの改ざんなど、同業他社の敵失が目立つ中、三菱自動車はその間隙をぬって業績がスルスルッと上がってきた印象があったのだが、ゴーン・ショックによって会社の先行きが不透明になってしまった。

 振り返ると、三菱自動車の絶頂期は1980年代後半から1990年代前半だった。

 1987年、同社は「ギャラン」で初めて日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞したが、これは当時の社長だった舘豊夫氏が「絶対に獲れ!」と厳命してもいた。理由は、翌1988年に2つのビッグイベントが控えており、弾みをつけたかったからだ。1つは東証1部への直接上場、もう1つがクライスラーと合弁で立ち上げた、米国での乗用車現地生産工場が稼働を開始することだった。

 前後してメルセデス・ベンツと販売提携もしてベンツを併売、三菱自動車のブランドイメージを上げようと試みた。1990年には、トヨタ自動車の「セルシオ」、日産の「シーマ」といった3ナンバー車ブームに乗じて「ディアマンテ」を投入、このクルマも日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞している。

 その後、バブル崩壊の過程で日産やホンダが低迷し、三菱自動車の当時の社長だった中村裕一氏は「日産の背中も見えた3位だ」と自信を見せ、ホンダのメインバンクが旧三菱銀行だったことから、当時、三菱自動車とホンダの合併説まで出ていた。また、ベンツ社との提携深化に執念を持っていた事務系の舘氏に対し、技術系出身の中村氏は欧州での乗用車現地生産パートナーにボルボ社を選ぶなど、舘氏から次第に実権を奪っていった。

 だが、三菱自動車の快進撃は1990年代後半に暗転する。1996年に米国でセクハラやパワハラ事件が発覚、翌年には総会屋への利益供与事件も明るみに出た。さらに2000年にリコール隠しが発覚、その後、ダイムラークライスラー傘下に入るも、2004年に再びリコール隠し事件を起こす。

 ダイムラークライスラーは三菱自動車の経営から手を引き、暫定的に三菱御三家(三菱重工、三菱商事、三菱UFJ銀行)が支える形に。一方、2005年に三菱商事出身の益子氏が登板するまでの10年間で、外国人社長1人を含めて、実に8人のトップが入れ替わるという異常事態にもなった。

 その後、2011年に日産と三菱自動車の折半出資で、軽自動車の共同企画・開発会社のNMKVを設立。設立当初、同社の遠藤淳一社長(日産出身)は、

「日産と三菱は比較的、似た価値観を持った企業ではないかと思う」

 と語っていた。ともに、EV(電気自動車)で先駆者的存在という共通点があったほか、日産はかつて銀座に本社を置いていた頃、官僚的な社風から“銀座通産省”と揶揄され、一方の三菱自動車も個性より組織重視の風土だから、ケミカルは合ったのかもしれない。

 さらに2014年、技術系出身で「ekワゴン」やEVの「i-MiEV」を開発した生え抜きの相川哲郎社長(※父親はミスターコストと呼ばれた、三菱重工元社長の相川賢太郎氏)が誕生し、反転攻勢を強めるかに見えた。が、それも2年後の2016年に燃費不正問題が発覚して霧消して相川氏も2年で辞任、同年日産が拒否権を発動できる34%を出資し、ゴーン会長が舞い降りていた。

 そして現在、ルノー、日産、三菱自動車の3社連合の行方は小康状態だ。とはいえ、ゴーン前会長に代わる会長をルノーが送り込み、日産との資本関係も現状のままとは考えにくい。

 今後は、ルノーが日産への出資比率を引き上げたり、逆に日産がルノーへの出資を積み増すこともあり得るほか、可能性は低いかもしれないが、ルノーの日産の持ち株43%を日産が買い取る事態もゼロではない。いずれの状況になっても、三菱自動車は日産と一蓮托生だ。

 企業規模や提携の背景は異なるが、過去、2009年にスズキがフォルクスワーゲン(VW)と資本提携し、VWが約20%のスズキ株を持った際も、2年後の2011年には両社の対立が表面化して提携解消を発表。ただし国際仲裁裁判所が中に入り、スズキがVWから株の買い戻しができたのは2015年と、実に4年間も「冷戦」が続いていた。その買い戻し額は約4600億円だった。

 もし仮に、同じことを日産がしようと思えば、買い戻し額はスズキのケースに比べて3倍から4倍の巨額になると目される。ただ、異業種ではあるが、サントリーホールディングスが米国のウイスキー大手、ジムビーム社を買収した時も、金額は1兆6000億円にのぼった。資金調達のスキームがうまく組めれば、日産にもできないことはないだろう。

 場合によっては、三菱自動車に20%出資して持ち分法適用会社にした三菱商事(今年、三菱重工や三菱UFJの持ち株分を三菱商事が買い取ったため)が、投資資金潤沢で業績も絶好調なだけに、一役買うこともあるかもしれない。

 同社は営業グループを10の括りに改編し、来年4月からは「自動車・モビリティグループ」もスタートする予定で、自動車ビジネスにはより一層、注力していくからだ。とはいえ、現実的な解としては、3社連合は維持しつつ、日産がルノーと対等に近づく人的、資本的構成に、どう持っていけるかが焦点になっている。

 来年の東京モーターショーイヤーは新車登場が多くなる年と言われ、日産でいえば「ジューク」や「フーガ」「エクストレイル」、三菱自動車も「ekワゴン」や「パジェロ」がフルモデルチェンジすると目されている。今年、20年ぶりにフルモデルチェンジされたスズキの「ジムニー」が大人気となったことから、三菱自動車も軽四駆の「パジェロミニ」復活の待望論も出てくるかもしれない。

 3社連合の経営の主導権を巡る混乱や攻防が長引けば、それだけライバルメーカーを利することにも繋がり、何よりもユーザー不在の戦いだ。なるべく早い決着は、日産やルノー以上に、これ以上振り回されたくない三菱自動車のほうが、より強く望んでいるだろう。

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