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成果がないのに出世する人、仕事はできるのに没落する人の違い

ダイヤモンド・オンライン のロゴ ダイヤモンド・オンライン 2017/06/18 秋山進
成果がないのに出世する人、仕事はできるのに没落する人の違い: 仕事で出世するかどうかの分かれ道は、完全な実力だけでなく人柄や行動を含めた「運を招く」サイクルが関係するようです © diamond 仕事で出世するかどうかの分かれ道は、完全な実力だけでなく人柄や行動を含めた「運を招く」サイクルが関係するようです

 仕事を始めて30年くらいたった。周りを見ると、サラリーマンとしての「勝ち負け」はほぼ明確になってしまっている(もちろんプライベートの人生は別だ)。

 友人たちと

「Aさんは、社長になったよね。すごいねー」「ところで、どんな業績をあげたんだっけ」「新聞によると、○○を育てたとか書いてあるけど、あの事業は前任の○○さんが成功させて、そのあとを受け継いだだけだよね」

 みたいな話を(若干の嫉妬?を交えて)したり、

「Bさんは、また転職したらしい」「なかなか落ち着かないね。」「真面目にがんばる人なのにね。上司に恵まれないのかな」「ちょっと、最近こらえ性がなくなっているのかも」

 といった話をするようになった。

 それほど能力や実績があるとも思えないのに見事に出世する人もいれば、しっかりと仕事はしてきたはずなのに、窮地に追い込まれたまま浮き上がれない人もいる。どうも神様は万民に対して公平ではないような気がする。

出世運は天と地!経歴見事な「わらしべ長者」と業績不振を呼ぶ「不運な人」

 運のいい人のなかには、「わらしべ長者」のような人もいる。成長企業の経営者の仕事をそばで見て管理職になり、別の成長企業に転職し、役員として上場を経験、さらにその経験を買われて、再び成長企業にヘッドハントされ、役員として上場を経験。2度にわたる上場時に得たストックオプションで、ちょっとした資産家になってしまうといった人だ。

 履歴書の経歴は見事である。成長企業が上場できたのも、ひょっとしたらこの人が会社に良い運やそれまでの知見を持ち込んでくれたからかもしれない。受け入れ側の社長にとっては、当人の力量はどうあれ、少なくとも彼が一緒に働いてきたトップたちが、どんな場面でどのような基準に基づいてどのような意思決定をしたかという“見てきた”経験を披露してくれるだけでも、大きな価値があるとも言える。また同時にその人がいるだけで周囲が活気づく、といった不思議な「波動」を持ち合わせた人であるかもしれない。しかし、彼もしくは彼女自身に何かできるか?と問われると、特別なものは何もない。

 一方で、人事部門の人や採用に携わった人なら見た経験があると思うが、いい大学を出て、それなりのキャリアはあるのにもかかわらず、転職した会社がいつも業績不振になり希望退職を募る状況になる求職者もいる。たくさんある転職先企業の中から、なぜあえて、業績不振になる会社ばかりを選んでしまうのだろうか、という疑問を持ってしまうような不運の人だ。

 しかも、こういう人を採用するにはかなりの覚悟がいるから、どうしても採用に当たって慎重になる。そして、何が問題なのだろうかという観点でよく見てみると、いろいろ気になるところが出てきてしまうのだ。

何が人生を分けるのか運のいい人の世渡り術

 いったい、大した実力もないのにとんとん拍子に出世し活躍できる運の良い人とそうでない人は何が違うのだろうか。

 母集団の数、運の定義など、統計的な処理をすることは難しいから、印象論でしか語れないことをお許しいただきたい。

 運の良い人は、基本的に人の悪口は言わない。常に未来志向でポジティブ。俺が俺がとは前に出ず上司や周囲に花を持たせる。社交性があり、誰とでも仲良く話す。仕事をする仲間への心遣いを欠かさない。抜群の成果は出さないが、そこそこの結果は残す。ものごとの前提を問うような鋭さはない。そして、これが重要なのだが、スピーチや文章がうまく、仕事では大したことをしていないのに、あたかも一番成果を出した人のように、「あの人のおかげで成功したのだ」というように錯覚して記憶される……そして、嫌味なくおいしいところを持っていき、上から「引きたてられる力」を保有しているのだ。

 しかも、失敗をしたときも、決して言い訳をしたり人に責任を押し付けたりしない。ただ、皆に好かれ、何かと擁護されているので、失敗の決定的な犯人にされることもなく、なんとなく「愛嬌」で逃げきってしまう。それがまた悪びれたりせず、作為なく「天然」であったりするために、仮にそれに疑問を持つ人がいたとしても、そのことを指摘する人のほうが、「あんないい人を悪く言うなんて、根性がゆがんでいるのでは」と思われてしまったりする。

 現代の企業は仕事をするために集まる場ということになっているが、実際には感情を持った人の集団であり、社交性が高く好かれる人はそれだけで出世できてしまうのだ。

 そして、経歴を積むに従って、いかにもエグゼクティブらしい雰囲気を身につける。それでいて、偉くなっても偉ぶらずに、部下の言うことをよく聞き、意見を取り入れようとする。それは自分の意志が特にないからというだけの理由なのだが。人から聞いた口当たりの良いビジョンを掲げることで、組織は一瞬活気づき、だんだんその人をよく知らない人にまで、素晴らしく人望のある人と言われるようになっていく。そうなると、能力がない人ではなく、能力のある立派な人ということになってしまうのだ。そして、神に祝福されたとまではいわないが、「幸多く、プラスの雰囲気をまとう人」として完成されていく。

責任感と正義感が空回り組織で浮く「不運」を招く習慣

 かたや、運の悪い人の多くは、実際には責任感と正義感がある。人一倍真面目で自分にも他人にも厳しいために、上司や他人のミスを人前で指摘することを躊躇しない。原因の追及を徹底的にやるだけでなく、誰にその責任があるかまでしっかりと分析して明確にしなくては気が済まない。ひとたび欺瞞に気づくと、小さな不正でも決してなあなあにはしない。大きな目的のために小さな不備や不正をのみこんだり、清濁併せ呑む、ということができないのだ。「一言多い」というタイプである。

 実際には客観的に見て正しいこと、全体にとって良いことを言っているにもかかわらず、組織の中では鼻つまみ者になってしまう。それでも、成果が出ているうちはよいのだが、一度でも失敗すると、周りから袋だたきに遭ってしまう。もしかしたらその人だけが悪いのではなく、元凶は他にあったかもしれないが、その人がスケープゴートのように、責任を引き受けざるを得なくなり、だんだん居場所がなくなっていく。上司や周囲から「引き下げられる力」を持っているのだ。そこで、心機一転、新天地を求めるために転職を試みるが、なかなか決まらず、不人気な会社、すなわち業績的に危ない会社の人員補充に入る。そしてそこでも組織の問題点を指摘し……という危険なサイクルに入ってしまうのだ。

 そして、この悪いサイクルに入ってしまうと、仕事で成果も出ず、だんだん自信を失い、あらゆることにネガティブな「文句言い」になり、最終的には、「マイナスの空気をまとう人」になってしまう。自分では何もしていないのに「幸多くプラスの空気をまとう人」とは正反対だ。悲しいけれども、どの会社にもこういう人が若干いる。

「運の悪さ」の改善にはコミュニケーションの工夫ができる

 仕事はしっかりとできるのに運の悪い人を、このままにしておくのは本当にもったいない。実は少し言い方を変えるだけで周りとの関係はずいぶん変わる。

「○○の問題がある」を、「○○には、もう少し改善できる余地がある」に。

「○○の原因はだれだれだ」ではなく、「○○の際には、予期せぬ状況の変化があったため、現場の対応だけでは解決できない状況にあったと思われるのですが、これからは…」

 といったように、問題から機会へ、ミクロからマクロへ、過去から未来へ、視点と言い方を変えるだけでも周りの受け止め方はずいぶん違う。上司や周囲に言い方の指導をしてくれる人がいれば救われるのだが、その機会に恵まれないと、サラリーマンとしては厳しくなってしまう。

 言い方を変えることを、生き方そのものの変節ととらえる向きもあろうが、周りから受け入れられ、組織的かつ建設的な改善につなげたいという結果志向に立って考えてみれば、言葉を少し言い変えることなど、あまり大したことではない。

 もともと人は「言われた内容そのもの」に怒りを覚えることはまずない。「言い方が悪い」ために、感情を逆なでされるだけなのだ。何を言うか、What to sayではなく、どのように言うか、How to sayがすべてといっても過言ではないのだ。

 本当に少数精鋭の組織では、そう簡単に真の実力による序列は壊れない。やはり多くの人の意思が絡まり合う一定以上の規模の組織であればこそ、このような摩訶不思議な現象がまかり通るのだろうし、大きな組織であればあるほど、人が権謀術数を弄する余地も生まれやすく、派閥もできやすいので、どの派閥にも属さない八方美人的な人が、誰にも憎まれずにひょいひょいとおいしいとこ取りをすることもありうるのだ。まったくの偶然で、会社の業績が好調なときにたまたま事業部門にいて、業績を評価され、会社が低迷したときにはたまたま間接部門にいて、責任を逃れてきたという人がいるのも、大きな組織ならではだろう。

わらしべ長者が社長になったら企業経営は任せられるか

 さて、最後に、考えておきたいことがある。

 能力はないのに出世する人は、個人としては見事に出世するわけだが、果たしてこういう人を出世させていくことは会社に取って良いことなのだろうか。

 残念ながら、この件について何かを語るには、サンプルが少なく、再び、印象論になることをお許しいただきたいのだが、たとえば「わらしべ長者」が過去働いてきた会社はどこもピークを超えて衰退期に入っている。人の話をよく聞き、組織に活力を与えた経営者は、結局、いろいろな人の意見をよく聞くあまり、絞り込みができず、総花的な経営を続けている。

 私は、こういう運のいい人を、「寄生樹(やどりぎ)」と呼んでいる。会社の栄養分をいつのまにか、もっぱら自分の栄養分に変えてしまう人だ。社交性と処世術が優れていることは良いことだが、それだけで偉くなった人は、周りへの配慮のあまり、厳しい意思決定をせずに先延ばしにする傾向がある。こういう人は、中間管理職としては組織の潤滑油になるものの、それ以上に重要なポジションにつけてしまっては禍根を残す。経営幹部は、性格は良くなくてもよいから、厳しい目を持ち、ときにはなにかを「切り捨てる」という果断を交えながら、将来を創り出す仕事をしなくてはならない。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山進、構成/ライター 奥田由意)

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