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関東大震災直後に設立された富国生命が100年後を見据えて「規模より質を求める」理由

ダイヤモンド・オンライン のロゴ ダイヤモンド・オンライン 2019/02/12 06:00 武田 隆
関東大震災直後に設立された富国生命が100年後を見据えて「規模より質を求める」理由: 米山好映(よねやま・よしてる) 1950年山梨県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1974年富国生命保険相互会社入社。運用部門や企画部門を担当し、1998年より総合企画室長。バブル経済崩壊後の会社経営の舵取り役を担った。2002年取締役、2005年常務、2009年取締役常務執行役員。2010年より代表取締役社長(9代目)。人材開発本部長も兼ねて人づくりを推進。お客さまが安心できる「お客さま基点」の実践を目指し続ける。 © 画像提供元 米山好映(よねやま・よしてる) 1950年山梨県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、1974年富国生命保険相互会社入社。運用部門や企画部門を担当し、1998年より総合企画室長。バブル経済崩壊後の会社経営の舵取り役を担った。2002年取締役、2005年常務、2009年取締役常務執行役員。2010年より代表取締役社長(9代目)。人材開発本部長も兼ねて人づくりを推進。お客さまが安心できる「お客さま基点」の実践を目指し続ける。

二度の大戦の間に、徴兵保険会社としてスタートし、もうすぐ100年。相互会社を貫く創業からの相互扶助の精神、「最大たらんよりは最優たれ」の経営方針のもと、どんな危機が来ても、お客さまとの約束を守り続ける――。オンライン消費者コミュニティの開発・運営を手がけるクオン株式会社の武田隆代表取締役が、富国生命保険相互会社代表取締役社長の米山好映氏に同社の「企業の遺伝子」を聞いた。

(この記事は2017年11月1日収録のラジオ番組『企業の遺伝子』の内容を活字にしたものです/オリジナル番組制作:JFN、番組企画:クオン株式会社、画像提供:富国生命保険相互会社、構成・編集:編集工学研究所、番組パーソナリティ:武田隆、春香クリスティーン)

春香 さっそくですが、まずは富国生命の成り立ちから伺います。

米山 富国生命は、1923年に富国徴兵保険相互会社として創立された会社で、2018年に95周年を迎えます。

春香 徴兵保険という名称は初めて聞きました。どのような保険なのでしょうか?

米山 当時は、皆さんがご存知の生命保険と、徴兵保険の2種類の保険がありました。戦争が起こると、家族を徴兵にとられた家庭は働き手がなくなるわけですよね。徴兵保険はそこを保障する保険です。戦後、徴兵保険会社はなくなり、富国徴兵保険相互会社も、1945年9月に富国生命保険相互会社という現在の名称に変更しました。

武田 時代背景を感じます。米山さんは9代目の社長でいらっしゃいますが、創業者はどういった方なのでしょうか?

「鉄道王」を五年かけて説得

米山 創業者は根津嘉一郎という人で、東武鉄道の初代社長でもあり、他にも国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わって「鉄道王」と呼ばれた人物です。

春香 そうなんですか。鉄道王が、どうして保険会社を始めたのでしょう?

米山 実は、根津嘉一郎は創業者ではあるのですが、実質的な創業者は2代目の吉田義輝という人です。彼はもともと別の徴兵保険会社でセールスマンとして働いていたのですが、その会社は株式会社だったんです。彼は働く中で「保険というものは、株式会社ではなく、相互会社という形で運営すべきだ」と考え、会社を辞めて、同じ山梨県出身だった根津嘉一郎のもとを訪れ、「相互会社で徴兵保険をやりたいので、お金を出してください」と頼んだのが創業の経緯です。

春香 「相互会社で」というところが大きなポイントのようですね。

米山 そのとおりです。実は、根津さんは最初「株式会社でやるなら出資する」とおっしゃったそうですが、吉田さんがそれを5年かけて説得したそうです。ちなみに創業した1923年というのは、関東大震災があった年です。しかも、保険事業の認可が下りて、9月1日に創業しようとした当日に地震が来てしまったんです。そのため、実際に創立したのは11月22日になりました。

春香 創立しようとしていた日に大地震が……。何かの運命を感じます。それにしても、ひどい被害があったのに、2ヵ月後には会社をつくった吉田さんのパワーはすごいですね。

互いに助け合う「相互会社」という形態

武田 吉田さんがこだわった相互会社は、株式会社とはどう違うのでしょうか?

米山 実は相互会社というのは保険会社だけにある形態なのです。

春香 他の業界にはないんですか?

米山 はい。なぜ保険会社だけにあるのかといいますと、そもそも保険自体が、「お互いに助け合う」という相互扶助の考えから始まっているからです。相互会社の場合には、契約者=社員になります。例えば武田さんが契約したら、富国生命の社員になるんですね。なおかつ病気になられたら、富国生命が給付金をお支払いする。社員でありながら利用者でもあるんです。

春香 なるほど。そういうシステムなんですか。

武田 富国生命は甲州人が設立した会社ですが、山梨の「無尽」という習慣と関係がありますか?米山 よくご存知ですね。私も山梨の出身なのですが、無尽というのは何人かでお金を出し合って、その中の誰かが必要なとき、例えば結婚式をしたいなどという時に、集めたお金を融通するものです。相互会社のもとには、この無尽という考えがあって、相互銀行はもとは無尽銀行と言ったんです。

武田 そうだったんですか。近年はシェアリングエコノミーが注目されていますが、無尽に始まる相互扶助の考え方は、そういう精神とも近く感じますね。

米山 相互にシェアするといいますか、そういう点は共通するかもしれません。

春香 昔は、保険会社は基本的に相互会社だったんですか?

米山 ええ。例えばアメリカでも以前はメジャーな生命保険会社はほとんどが相互会社でした。ところが、この20年ほどの間に、相互会社から株式会社に変わったケースが多いんです。

武田 それはどういう理由からなのでしょうか?

米山 やはり「市場での成長を目指す」ということでしょう。株式会社になれば、資金を投資家から集めて、より成長していけます。また、M&A(合併・買収)でホールディングカンパニーをつくって会社を拡大する場合は、相互会社よりも株式会社の方がやりやすいという面もあります。日本でも同じように、この十数年の間に、何社かが相互会社から株式会社に変わりました。国内では、相互会社はもう5社しかありません。

武田 株式会社になるということは、成長がしやすくなる一方で、株主というステークホルダーが存在するわけですから、いわゆる相互扶助の精神だけではやっていけなくなりますよね。

米山 おっしゃるとおりです。相互会社の場合には契約者=社員なので、利益は基本的に契約者に配当として還元します。しかし株式会社化した場合には、株主という存在が出てきますので、契約者と株主の間で利益相反が生じることがあるんですね。

春香 なるほど。2代目社長の吉田さんは、株式会社の保険会社に勤めていたので、そこに矛盾を感じていたのでしょうね。

生命保険は成長が目的であってはいけない

米山 はい。株式会社の保険会社では、利益を株主に還元している。これは契約者にとって問題なのではないか、だから相互会社でやりたいのだという強い信念があったのです。生命保険会社は、お客さまから20年、30年という長い契約をいただいているわけで、経済危機や自然災害が起こった時にも、保険金や給付金を確実にお支払いしなければいけません。

 日本では1997年頃に数社の生命保険会社が倒産しましたが、本来はそういう大変な経済危機の時こそ、きっちりとお支払いしなければいけません。生命保険会社の最大の使命は、「契約が続くかぎり確実に保険金・給付金を支払っていくこと」です。

春香 たしかに、大変な時期に保険が下りない、なんてことになったら悲惨です。

米山 ですから、やはり相互会社は最も適した会社形態だと考えています。

武田 無理な成長を強いられず、市場に振り回されないということですね。

米山 そうです。契約者のために会社の運営をしていけばいいわけです。もちろん、長期にわたって約束を果たしていくために、徐々に成長していくということは、相互会社にとっても大事です。ですが、それは保険金を確実に払うために必要な成長であって、株式会社のように成長自体が目的化するものであってはなりません。

春香 お話を伺っていると、本当に2代目社長の吉田さんの想いが、そのまま米山さんにも受け継がれていると感じます。

最大たらんよりは最優たれ

米山 2代目社長の言葉が『フコク生命創業の心』という小冊子にまとめられていて、従業員全員が持っています。私も何かあるたびにページを開いて、心得を確認しています。

春香 直接アンダーラインが引かれていますね。

米山「保険はご契約者、そのご家族に対して精神的かつ経済的な幸福と利益を与えるものである」。ここに富国生命の本質が表れています。「精神的にも豊かになってほしい」ということです。社名が「富国」ですから、やはり豊かさ=「富(とみ)」ということにはこだわりがあったんだと思います。

春香 受け継がれている企業理念や経営哲学には他にどのようなものがありますか?

米山 「最大たらんよりは最優たれ」という言葉があります。成長よりも未来永劫確実にお支払いをしていくために、規模よりも質を求めていきなさいということです。これは4代目社長の言葉で、従業員に刻まれている精神です。

武田 「最大たらんよりは最優たれ」ですか。富国生命のような大会社が、量よりも質と言い切るのはとても興味深いです。米山さんもお若い頃、先輩たちの仕事ぶりからそういう精神を植え付けられたんですか?

バブル景気でも「株は絶対に買うな」

米山 その精神を実感したのは、1980年代後半のバブル経済の時期、私が入社して十数年経った頃です。当時は、新聞には売上成長何パーセントだとか、時価総額はどこが一番だという見出しが躍り、株価や土地の値段もどんどん上がっていた時代でした。しかし、当時の6代目の社長が「株は買うな」と言ったのです。

春香 株がどんどん上がっている時期なのに、ですか?

米山 ええ。生命保険会社は、保険を販売することと、お預かりした保険料で資産運用を行い、そこで得た利益をお客さまに配当としてお返しするというのが、車の両輪になっています。当時は本当に好景気で、株価や土地の値段がどんどん上がり、どの企業でも株や不動産を買って資産運用をしていたのですが。

春香 それなのに「株を買うな」とは、なぜでしょう?

米山 「高すぎるので、もう買うな」と。一方で、生命保険にも貯蓄性の商品もありますから、その当時は利回りの高い商品がたくさん売れました。一時払いで5~6%の利回りが提供できたんです。ところが、そういう商品も、富国生命としては「もうこれ以上売るな」と、高い利回りの商品を売り止めにしたんです。
春香 その結果、どうなったんですか?

米山 他の生命保険会社に、業績はどんどん追い越されていきました。それでも社長は方針を変えず、「今は株価も地価も上がっているけれど、これは正当な価値以上に高すぎるので、いつか必ず破綻する」と。社長としては「お客さまを守る」という理屈でした。

武田 当時、社内で反発はなかったのですか?

米山 私もまだ40歳手前の若さでしたから、「社長は何を考えているんだ」と批判していましたよ。どんどん他の会社に追い抜かれて、会社の将来が危ないのではないかと。ところが、日経平均株価は1989年末の3万8957円をピークに翌年から下がり、地価も下がってバブルが崩壊。そこから7~8年経って、先ほど申したように、何社かの生命保険会社が倒産しました。そこで初めて、すごい社長だなと気付きました。これこそが、「最大たらんよりは最優たれ」という精神なんだと。

武田 先人の教えを貫く、ブレない信念があったんですね。

セールスレディが「お客さま基点」の原点

春香 米山さんが9代目の社長に就任されてからのお話も伺いたいんですが、全国の支社や営業所に自ら足を運ばれているそうですね。

米山 はい。富国生命は全国に62の支社がありまして、その下に467もの営業所があり、そこで実際に生命保険を販売しているセールスレディが9000人以上います。

春香 これまで、どのくらいの拠点を回られたんですか?

米山 6年ほどかけて、支社はすべて2回以上行っていますが、今は北海道から沖縄まである467の営業所のうち、300くらいを回ったところです。お客さまに生命保険を販売しているのはセールスレディたちなので、現実にお客さまとの間でどういうことが起きているのかを知るには、実際に営業所に行って彼女たちと話をするのが一番なんです。どの仕事もそうだと思いますが、やはり現場です。

春香 全国となると大変だと思いますが、現場主義が徹底されていますね。

米山 私どもは「お客さま基点」ということを会社の価値観として運営しています。つまり、「もし自分が契約者だったらどういう風にしますか?」ということです。これは営業も、オフィスで働いている人も、富国生命のすべての従業員に求められることですが、一番の原点はやはり、セールスレディとお客さまとのやりとりにあります。

 ですから、その現場に行って彼女たちから直接話を聞くことは、「お客さま基点」を忘れないためにも重要だと思っています。とはいえ、「べき論」というより、実際に楽しいんですよ、私が。

春香 楽しむことができるからこそ実践できているのでしょうね。米山 まだまだ会社として本当の意味での「お客さま基点」が十分に実践できているとは思っていません。ですから現在、中期経営計画の中に、「徹底した差別化でお客さまから最も評価される会社となる」というビジョンを掲げています。富国生命では、利益をどのくらいに持っていくかというような数値目標はないんです。その代わり「お客さまの満足度が最も高い会社になりたい」ということで、これも「お客さま基点」です。武田 「お客さま基点」の考えに従うと、時代によって保険の内容自体も変化していきますか?米山 そうですね。たしかに時代によって商品のニーズは変化します。戦後すぐは、日本が貧しく、日本の社会全体で貯蓄が必要な時期だったので、貯蓄性の保険が多かったんです。それが高度経済成長期に入ると、貯蓄は銀行預金にするようになったので、生命保険は死亡した時の保障として切り分けるようになりました。今のような高齢化社会だと、医療保険や年金といった「生きるための保障」に対するニーズが非常に高くなっています。春香 時代によって求められるものは変わるんですね。米山 ええ。富国生命では、新しいニーズに応えるためにも、早い時期からこの「生きるための保障」に力を入れていて、これからも商品として発展させていきたいと思っています。

武田 「お客さま基点」という変わらないモットーがあるからこそ、時代によって保険の内容が変化していくんですね。

未来永劫、終わりのない仕事

春香 そんな米山社長に、最後の質問です。100年後の未来、富国生命保険相互会社は、どんな会社になっていてほしいですか?

米山 先ほどから申しているように、我々の仕事は、5年、10年先の話ではなく、未来永劫、終わりのない仕事だと思っています。そういう意味で、これまで約100年続いてきたように、100年後にも健全な内容を維持し、大災害や経済危機があっても、確実にお客さまとの約束が果たせる会社であり続けたい。

 そして、おこがましいかもしれませんが、精神的な幸福も含めた本当の幸せを追求できる会社でありたいと思っています。

【会社概要】富国生命保険相互会社(Fukoku Mutual Life Insurance Company)創業=1923年設立=1923年基金(株式会社の資本金にあたるもの)=1160億円(基金償却積立金を含む)従業員数=1万2654名(お客さまアドバイザー9782名、内務職員2872名/2018年3月時点)現在の主な事業内容=個人・企業向けの保険商品の販売と保全サービス、財務貸付・有価証券投資

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