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「ラルフローレン」が米旗艦店を閉店した事情 アパレル界の優等生に何があったのか

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2017/05/19 増田 海治郎
ラルフローレンはニューヨークの5番街にある旗艦店を4月半ばに閉店した(写真:ロイター/アフロ) © 東洋経済オンライン ラルフローレンはニューヨークの5番街にある旗艦店を4月半ばに閉店した(写真:ロイター/アフロ)  

 アメリカントラッドの象徴、ラルフローレンが苦戦している。先日、2013年にオープンしたばかりのニューヨーク5番街の旗艦店の閉店を発表。創業者のラルフ・ローレン氏に代わり、2015年11月に就任したばかりのステファン・ラーソンCEOは、5月1日付で退任した。1967年の創業以来、世界中の若者たちを魅了し続けてきたアメトラの旗手に何が起こっているのだろうか。

 ラルフローレンの業績に陰りが見えたのは、実はここ最近のことだ。世界的にアパレル業界が苦戦するなかで、2011〜2014年度決算は増収増益と好調だったものの、2015年度は一転して減収減益に。5月18日に発表された2016年度決算も、売上高が66億5200万ドルと前年比10%減ったほか、営業利益も3億6500万ドルと前年から12%落ち込んだ。

 こうした中、17日には、P&G(プロクター&ギャンブル)グループのビューティ部門のグローバルプレジデントだったパトリス・ルーベノ新CEO就任を発表している。

敏腕CEOがわずか1年で退任

 1代で帝国を築き上げた創業者兼デザイナーのローレン氏がCEOを退任し、ラーソン氏に舵取りを任せたのは2015年11月のこと。同氏はH&Mでキャリアを積み、オールドネイビーのグローバル・プレジデントとして業績を大幅に回復させた人物だ。

 就任から半年後の2016年6月には、大規模な再建計画「ウェイ・フォワード・プラン」を発表。50店舗以上の不採算店の閉鎖、全従業員の8%にあたる1000人の正社員のリストラ、ECの強化などを進めてきた最中の退任だった。退任の理由は、ラルフローレンとのクリエーティブ面でのビジョンの違いが大きかったといわれるが、わずか1年半の短い“結婚”はラルフローレンの迷走ぶりを象徴しているといえよう。

 5番街の旗艦店の閉店は、この再建計画の一環で、推定で年2500万ドルといわれる家賃が大きな負担となったといわれている。閉店に関する諸経費は3億7000万ドル(約412億円)かかるが、以降は毎年1億4000万ドル(約156億円)のコスト削減が見込める計算だ。2階にあった新業態のカフェ「ラルフズ コーヒー(Ralph's Coffee)」は、好評だったため、他店での継続・発展を模索するという。

 ニューヨークのラルフローレンの象徴がなくなってしまったような印象を受けるかもしれないが、決してそういうわけではない。長い歴史を持つマディソンアベニュー867番地のメンズの旗艦店、同888番地のウィメンズの旗艦店は健在で、単純に3年前の状態に戻っただけともいえる。

 決算も2期連続の減収減益とはいえ、日本の大手アパレル企業と比べれば、十分すぎるくらいの利益を生み出している。しかし、アメトラの象徴として君臨してきたラルフローレンの将来に、暗雲が立ちこめてきているのは紛れもない事実である。

アスレジャーに乗り遅れたワケ

 ラルフローレンが苦戦している理由は、大きく3つある。1つは、世の中のトレンドと商品が合っていないことだ。ラルフローレンは、アメトラに古き良き時代のイギリスのテイストを加えることで、豊かなライフスタイルを連想させる唯一無二の世界観を築き上げた。最新のモードを提案するのではなく、確固たる世界観に旬な要素や旬な別ラインを加えることで旬を表現してきたわけだが、ここ数年はその“旬を提案する能力”が衰えてきている。

 なかでも、アメリカで爆発的に成長している「アスレジャー」市場に対応できていないのが痛い。アスレジャーとはアスレチック+レジャーを掛け合わせた造語で、スポーツやフィットネスクラブで着るスポーツウエアを、日常着としても着るスタイルを指す。ギンザ シックスに出店し、再上陸を果たしたばかりのカナダ発のアスレチックウエアブランド「ルルレモン」が2000年代初頭から提唱してきたスタイルで、今ではナイキ、アディダス、アンダーアーマーなどの大手スポーツブランドから、ギャップ、Jクルーなどのカジュアルブランドまでが参入し、しのぎを削っている。

 その象徴的なアイテムがレギンスである。ナイキのマーク・パーカーCEOは、2014年に「レギンスは新たなデニムである」と発言している。素材としてのストレッチデニムの進化は、体にピタリと沿うスキニージーンズを生み出したが、その「楽チンな履き心地」がレギンスに帰結したというわけだ。

 ラルフローレンは、1990年代に人気を集めた「ポロ スポーツ」というスポーツラインを2015年に復活させ、ポロテックという機能素材を使ったスポーツウエアを提案している。アスレジャーに対するラルフローレンの回答ともいえるが、これはメンズのみのラインであり、女性向けの “レギンス需要”には対応できていない。他社のアスレジャーへの力の入れようを考えると、明らかに力不足である。

 今、ニューヨークの街中は本当にアスレジャーだらけである。男女ともスポーツウエアに身を包み、足元は申し合わせたように最新のスニーカーを合わせている。ファッショントレンドというよりは、もはや世代を問わない完全なマスのファッションとして定着してきているのだ。一度スポーツウエアの機能性と快適性に慣れてしまうと、もうジーンズのごわごわした履き心地や、ジャケットの構築的なフォルムは、前時代的なものに感じてしまうのだろう。

 アメリカの若者ファッションのマスがアスレジャーなら、コアなファッション好きは「ラグジュアリーストリート」を嗜好している。カニエ・ウェストらのヒップホップアーティストや、フィアオブゴッドらの新興ファッションブランドなどが牽引し、世界中のファッショニスタの間で国を超えて流行しているスタイルである。

「中途半端」な価格帯が足かせに

 1990年代のラルフローレンは、1993年に立ち上げた「ポロ スポーツ」で、勃興期のヒップホップシーンから高い支持を受け、黒人のヒップホップ系アーティストはこぞってラルフローレンを愛用した。しかし、当時以上にファッション業界においてラッパーの影響力が増す中、ラルフローレンを身に着けるラッパーはほとんどいないのが現状である。

 つまりラルフローレンは、新しい中価格帯の大衆向けトレンド、アスレジャーと、新たなトレンドであるラグジュアリーストリートに乗り遅れた結果、ブランドとしての“鮮度”を失いつつあるのだ。

 2つ目の苦戦の理由は、2000年代後半に急速に存在感を増したファストファッションの影響である。

 格安価格で最新のトレンドを提案するH&M、トップショップなどのファストファッション、長く着られる定番商品を安価に提案するユニクロなどの躍進は、消費者の服の価格に対する概念を変えてしまった。直接的なライバルではないが、ブランドとしては比較的買いやすい価格帯だったラルフローレンは、この10年の間に大きな値上げをしていないにもかかわらず、相対的に高く見えてしまうようになってしまったのである。いまや消費者に求められているのは下か上で、中間的な価格帯のブランドは、業界を問わず苦戦を強いられているのだ。

 もちろんラルフローレンは、この流れをただ黙って見ていたわけではない。2004年にスタートした「ラグビー」は、メンズとレディースのヤング市場(10代半ば〜20代前半)をターゲットとした廉価ラインだったが、2013年に終了。2011年に登場した若い世代向けのカジュアルライン「デニム アンド サプライ」も、2016年に終了した。双方ともに、価格に対して高い価値を備えていたが、価格面ではファストファッションとは勝負にならなかったのだ。

 3つ目の理由は、ECの普及による小売りの環境変化である。アメリカの小売りにおけるEC比率は、日本同様7%前後だが、アパレル、小売業界ではその比率は年々高まってきており、百貨店の2017年1月期のEC化率はニーマンマーカスが29.0%、ノードストロムが22.2%まで伸びてきている。しかし、それと並行するように実店舗の売り上げが落ち込んでおり、不採算店の閉鎖・集約は、アメリカのアパレル企業の共通の課題なのだ。

 ラルフローレンは、再生計画の一環として、EC事業の強化を掲げており、その手始めとして従来のシステムからセールスフォース社の「コマース・クラウド」への移行を推進。約1割の不採算店の閉店を進めつつ、より充実したECの環境整備を急ぐ方針だ。

カルバンクラインやゲスは復活傾向

 ライバル勢に目を移すと、新しい動きを始めたブランドが目立つ。各ブランドはともに、ラルフローレンよりはるか前に苦境に陥っているからこそ、大胆で思いきった動きが見られるようになってきているのだ。

 その筆頭がカルバンクラインだ。1980〜1990年代にジーンズやトランクスブリーフで一世を風靡した同ブランドは、2017年秋冬シーズンから、チーフクリエーティブオフィサーに世界的なデザイナーのラフ・シモンズ氏を起用。2月にニューヨークで発表したコレクションは好評で、一気にクールなブランドへ返り咲きそうな気配が漂っている。

 1990年代に人気を集めたジーンズブランド「ゲス」も、人気ラッパーのエイサップ・ロッキーとのコラボレーションラインを発表。1980〜1990年代テイスト全開のユルい雰囲気は、この時代に生まれたミレニアル世代の感性とピタリと合っている。1990年代のヒップホップシーンで人気だった「ノーティカ」は、19歳の赤髪のラッパー、リル・ヨッティをクリエーティブアドバイザーに起用。異例ともいえる若手の登用だが、こちらも発表されるや否や大きな話題を集めている。

 2018年に創業200年を迎えるアメトラの父、ブルックス ブラザーズは、アメリカのスターデザイナーの1人であるトム・ブラウンとの協業ライン「ブラックフリース バイ ブルックス ブラザーズ」を、2015年に休止。ブランドのイメージは大きく向上したものの、ビジネス面での旨味は少なかったようだ。現在は、売り上げの2割を占めるレディースを強化しており、アメリカの若手デザイナー、ザック・ポーゼンを、2016年春夏シーズンからウィメンズのクリエーティブディレクターに起用。こちらはシーズン毎に評価を高めてきている。

 日本は、アメリカ本国以外では、最もラルフローレンのファンが多い国だろう。

 1970年代からインポートショップを通して少数が輸入され、1980年代後半の渋カジブームで当時の高校生、大学生の間で人気が爆発。1990年代はヒップホップカルチャーからも高い支持を受け、女子高生の間ではワンポイント入りのセーターやソックスがステータスとなった。

 2000年代に入ってからは、ビンテージラインの「RRL」がコアなマニアの間で争奪戦となり、2000年代後半にはプレッピーの再ブームを牽引した。しかし近年は、ビッグポニーのポロシャツを着ている人は頻繁に見かけるが、全身をラルフローレンでまとめた人を見かける機会は少なくなったように感じる。

 前述のとおり、唯一無二の世界観をつくり上げたラルフローレン。それに共感した人が国、世代、時代を超えて多かったからこそ、今のラルフローレン帝国があるといえる。ラルフローレンは前衛的なデザイナーではないが、ことライフスタイルを演出することにかけては右に出る者がいない偉大なファッションデザイナーなのだ。

ラルフローレンに足りないものは?

 ラルフローレンがこれまで苦戦とは無縁だったのは、不変の世界観を維持する一方で、柔軟な発想を取り入れた時代の先を行く別ラインを展開してきたからだ。移り変わる流行に対して、本流の世界観とは異なるラインをつくることで、つねに新鮮さを保つことを忘れなかったのである。1990年代のポロ スポーツ、2000年代のRRLの復活など、時代の流れに応じて新しいラインを増やすことで、トレンドの波を乗り越えてきたのだ。

 再建計画では、細かく分かれていたラインを廃止してメインラインに統合する戦略を推進しているが、今のラルフローレンに最も欠けているのは、時代をリードするような新しいラインの存在。統合が一段落した後は、時代を再びリードするような新ラインの立ち上げが不可欠である。

 現在はブランド設立以来、初めて足踏みをしている時期。それでも、ラルフローレンにはこの苦境を乗り越える実力が備わっているはずだ。今は外部からデザイナーを招聘してリブランディングを図るのが当たり前になってきているので、個人的には、外部デザイナーによる別ラインの立ち上げを期待している。今最も旬なアメリカ人デザイナー、オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブローのヴァージルが手掛けるラルフローレンなんて、想像しただけでワクワクしてしまうではないか。

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