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「荻窪ラーメン」50年の名店が迎えた最後の日 一代で築いた「中華三益」は淡々と幕を閉じた

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2018/07/07 08:00 井手隊長
荻窪ラーメンの老舗「中華 三益」(筆者撮影) © 東洋経済オンライン 荻窪ラーメンの老舗「中華 三益」(筆者撮影)

 荻窪ラーメン。JR中央線、東京メトロ丸ノ内線・東西線の荻窪駅(東京都杉並区)周辺にあるラーメン店が提供しているラーメンのことだ。鰹節や煮干しなどの魚介系の和風スープに濃いめの醤油ダレを合わせたラーメンが多い。いわゆる「ご当地ラーメン」とは少し違うが、1980年代のバブル期からテレビや雑誌で特集が組まれ、「荻窪ラーメン」という名でインスタントラーメンが発売されたこともあって、全国的に名が広まった。

 荻窪ラーメンのお店には、「丸長」「丸信」など信州出身の蕎麦屋からの転業が多い(「丸長」の「長」は「長野」、「丸信」の「信」は「信州」を指す)。「春木屋」は特に有名で、いずれもマスコミにも引っ張りだこの名店である。

名店「中華 三益」が50年の歴史に幕

 そんな荻窪で1968年(昭和43年)創業の老舗ながら、マスコミにあまり取り上げてこられなかった名店「中華 三益」が、今年6月30日に50年の歴史に幕を閉じた。

 「中華 三益」は御年86歳になる店主の寺田信三さんが一代で築いてきた。1973年に一度移転をしたものの、長きにわたって荻窪の地で一貫してラーメンを提供し続けてきた。その価格はなんと1杯350円。東京に残るまさに時の止まったような空間で、常連やラーメンファンを中心に多くの人の舌と心を喜ばせてきた。基本的に取材を受けてこなかった店なのだが、筆者は2年前から取材に応じてもらっている。

 寺田さんはもともと1948年から「銀座 更科」など数々の日本蕎麦の名店を渡り歩いた蕎麦職人だった。蕎麦は漆塗りの器や茹でるための釜などが非常に高価で開業資金が大きすぎるため、ラーメン店を始めることにした。親戚が荻窪に住んでいたこともあり、土地勘もあるこの地を選んだのだ。

 「お客さんが来て、お店が繁盛して、またお客さんが来て益々繁盛するように」という「三」つの「益」の意味を込めて「三益」と名付けた。

 荻窪は大正から昭和初期にかけては「西の鎌倉、東の荻窪」と言われるほどの庶民のあこがれの地だった。文化人や文豪が多く住み、別荘地としても栄えていた。戦後から荻窪駅の北口にはラーメン屋が並び、「荻窪ラーメン」が特集されるようになる随分前から実はラーメン激戦区だった。これらのお店には作家文人のファンも多く、彼らの著作や映画の舞台になったお店も数多い。

 寺田さんは、蕎麦職人時代にラーメンを作ったことがあったので、製麺からスープや具の仕込みまですべて自分でやった。製麺機は開業当時から使っていたものだ。朝5時20分に来て、まずは麺打ち。最終日まで毎日続けていた。製麺機のメンテナンスまで自分でやっていたという。

当時から庶民的な価格でラーメンを提供

 開業時の値段は1杯50円。周りのお店はだいたい90円ぐらいだったが、値段を抑えた。蕎麦やうどんも80~90円、コーヒーは1杯100円の時代。当時から庶民的な価格でラーメンを提供していたことがわかる。あこがれも目標もない。生きていくために店を始めて気づいたら50年が経った。

 カップラーメンブームの頃にお店存続の危機が訪れた。お店の近くにあるサウナから毎日のように出前が来ていたが、カップラーメンが出て2年間パッタリ来なくなったからだ。それでも毎日自家製にこだわってラーメンを作り続けた。お客さんは再び戻ってきた。

 ラーメンの味は50年前からまったく変わっていない。具はチャーシュー、ネギ、メンマ、ノリ。麺は自家製麺で中縮れの柔らかめ。魚介がほんのり利いた何ともホッとする1杯。当時を生きていなくても懐かしさを感じる、とてもおいしいラーメンだ。ラードでベタッと炒めたチャーハンもおいしい。ラードと醤油ダレは昔から味の核となっている。

 「物のない時代はラードと醤油だけで何とか旨く作ってたものだよ」(寺田さん)

 筆者はこのたびの閉店にあたっても最終日にお邪魔し、「中華 三益」の最後の日を見届けた。

 その日は遊びに来ていた寺田さんのひ孫が「準備中」の札を「営業中」にひっくり返して営業スタート。寺田さんはいつもどおり白衣姿だった。「着るものは絶対に白。白衣ってのは汚れが目立つために白なんだよ。やっぱり医者と飲食業は白を着ないと」(寺田さん)

 常連さんや地域の人々、かつて通っていたお客さんまでもが次々とひっきりなしにお店を訪れ、最後の1杯を食べ、寺田さんにお礼やねぎらいの言葉をかける。

 小学生の頃から同店に40年以上も通い続けた作家の印南敦史氏はこう語る。

 「小学校の頃、嫌で嫌でたまらなかった剣道の稽古の帰りに食べる三益のラーメンがおいしくて。その頃から通っています。おじさんはいつもと全然変わらないんですが、常連がしんみりしてしまいますね」(印南さん)

後継者がいない

 寺田さんから後継者の話は聞いたことがない。

 23年前に奥様を亡くされた後も弟子は取っておらず、近所の方に手伝いに来てもらって営業を続けていた。「東池袋大勝軒」の山岸一雄さんは奥様を亡くされた後は弟子を取り、孫弟子やひ孫弟子も入れると今や300人以上ともいわれ、大勝軒のDNAがラーメン界に受け継がれている。

 一方、「三益」のように一代でひっそり閉店していくお店も数多いのが個人経営の中華料理店、ラーメン店の現実だ。厚生労働省が2016年に発表した「飲食店営業(中華料理店)の実態と経営改善の方策」によれば、個人経営の中華店の経営者の年齢は50歳以上で74.3%にも上る。5年前は同72%だったので、さらに高齢化した。

 「後継者がいない」と答えたお店は何と全体の69.1%に上った。これも5年前の62%から上昇。店主の高齢化が進み、後継者探しも難しく、長時間労働となると閉店もやむなし。実数を把握できないが、2000軒以上のラーメン店・中華料理店を食べ歩いている筆者から見ても、「町中華」は確実に町から減ってきている。

 「家業」という制度自体が崩壊しつつある今、後継者不足というよりはそもそも自分の代で終わりにしようと決心している店主も多いだろう。50年の歴史に幕を閉じた「中華 三益」はそれを象徴しているようだ。

 寺田さんは昨今のラーメンブームについてこう話している。

 「自分のお店だけお客さんが来ていればいいのか、と言いたい。お客さんはあっちが旨い、こっちも旨い、と毎日いろんなお店で旨いものを食べてもらえばいい。共存共栄の考えが大事だよ」(寺田さん)

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