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コロナ禍で病院内の「免疫」はどう機能したか、問われる医療安全の本質

ダイヤモンド・オンライン のロゴ ダイヤモンド・オンライン 2020/11/22 06:00 木原洋美
写真はイメージです Photo:PIXTA © ダイヤモンド・オンライン 提供 写真はイメージです Photo:PIXTA

コロナ禍は多くの医療機関で医療安全の対策上、大きな混乱が生んだ。折しも、本日から「医療安全推進週間」。「医療安全」のパイオニアして全国的に知られる名古屋大学医学部附属病院副院長で患者安全推進部教授の長尾能雅医師らは、どのように対応したのか。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

病院における患者安全は

人体における「免疫」の働きと似ている

 長尾能雅氏(名古屋大学医学部附属病院 患者安全推進部教授/医療の質・安全学会理事長)は、日本の医療安全のパイオニアの一人として知られている。

「当院の患者安全推進部では、スタッフ全員がインシデントレポート(現場で起きた、事故につながりかねないインシデントについて報告し、医療事故・医療過誤防止に生かす)を読んで、自分が大事だと思ったことに投票する仕組みになっている。どのレポートを重視するかはスタッフの職種や経験によって違う。現場の職員は、院内の至るところでリスクを見つけ、レポートして提示する。それを私たちが読み、対応することで、医療の質の向上と安全の確保が実現する。全職員がプレーヤーになり得るという点において、患者安全は人体における『免疫』の働きと似ている」

 2019年5月の取材に対し、長尾氏はこう語った。名大病院の患者安全推進部は、医師、弁護士、看護師、薬剤師、システムエンジニア、事務職員などからなる多職種連携チームである。

 こうした病院における「免疫」は、未曽有のコロナ禍に対してはどのように機能したのだろうか。主として第一波を迎えた2020年2月~5月までの約4カ月間について振り返った長尾氏の手記「COVID-19と患者安全」(日本医師会COVID-19有識者会議に寄稿)を参考に掘り下げてみたい。

「感染」は「安全」の兄

連携・分業体制の真価が問われている

「新型コロナウイルス対応における患者安全部門のミッションは、病院全体の有事対応を支援しつつ、同時にそれらを俯瞰(ふかん)し、医療の質を保ちながら患者の安全確保に全力を尽くすというものである」と長尾氏は述べている。

 感染第一波襲来に際して、安全部門が果たした役割は感染制御部門のサポートであり、長尾氏はスタッフに再三「非常事態といえ、患者安全を疎かにしてよいものではない」「コロナ危機に注意が削がれ、医療ミスを多発させては私たちの存在意義はない」と伝えたという。

 要するに、日本中がパンデミックに動揺している非常時こそ、自分たちの役割である「患者の安全確保」の使命を見失ってはならないというわけだ。

 またこの間、新型コロナウイルスについては、陽性の重症患者を6人、疑いの重症患者を38人受け入れ、治療している。最初の疑い例の入院は2月14日、最初の陽性例の入院は2月29日。その後、陽性例のみに絞っても、人工呼吸管理5件(のべ117日)、同ECMO使用1件(のべ19日)、EMICUの平均入室日数34日など、その治療経過は他聞に漏れず過酷なものとなったが、スタッフの献身もあり、幸い全例が快方に向かい、死者は出なかった。治療は主に救急科と、救急・内科系集中治療部が担当した。

 名大病院は中部地方におけるがん診療、小児医療、高度先進医療など、特定機能病院としての機能維持が最重要命題である。従って、当初は重症患者のみを1~3床程度まで受け入れることとし、院内発生、および重篤な基礎疾患を持つかかり付け患者の院外発生を除き、軽症患者の受け入れは行わない方針を立てていた。しかし、行政からの重症患者の受け入れ要請は途切れることなく続き、5月末までに陽性例、疑い例合わせ、44人の重症患者を治療し、結果的には、愛知県(名古屋市含む)で発生した新型コロナウイルス陽性重症患者の4分の1余りを引き受けたことになる。

 これだけの働きができたのは、充実した感染制御体制と集中治療体制があったればこそだろう。

「国民の多くは知る術もないが、日本の医療機関において、感染制御に従事できる医師や看護師・薬剤師・多職種チームがすでに数万人規模で育まれており、20年以上の部門横断的な活動実績を有し、組織内ガバナンスに確実に組み込まれていたことは、本邦が今回のパンデミックの第一波を迎えるにあたり、最も幸いに作用したことの一つであったと考えている」

 と長尾氏も力説する。

 そもそも日本における患者安全は、感染制御のスタートから5~10年ほど遅れて本格化し、その基本スキームは感染制御のトライ&エラーを参考にしながら成長してきた。感染と安全は、業務内容は異なるものの、マネジメントにおける方法論に通じるものがあり、事務機能や居住スペースを同じくしている医療機関も多い。それゆえ長尾氏は機会あるごとに「感染は安全の兄」と発言している。

 ちなみに長尾氏は、患者安全・感染制御・リスクマネジメント担当副病院長を任じられているが、感染制御について特段の専門性を有しているわけではなく、日常的な感染制御活動においては、感染制御部長の八木哲也教授と、感染管理看護師(ICN)の安立なぎさ師長のリーダーシップに委託しており、長尾氏も担当副院長として、その後方支援に徹することを原則としている。

「『感染』の一大事において、いかに『安全』が『感染』を支えて機能するのか、日本の医療現場が育んできた両者の連携・分業体制の真価が、今問われていると感じている」

インシデントレポートのアンテナ機能と

読み取ったヒント

 長尾氏が患者安全において最も重視しているのは「インシデントレポート」だ。患者のリスクのみならず、現場の変化や職員のストレスを察知しうる鋭敏な「アンテナ」となり、さらに、現場のスタッフが匿名で改善提案できる情報提供ツールともなるからだ。

 2020年1月1日~5月31日にかけて、名大病院で報告されたインシデントレポートは4646件。そのうち、「コロナ」「COVID」で検索、抽出されたレポート55件(49事例)について読み解いたことを教えてもらった。

 55件のレポートは主に4パターンに分類できた。

 1.十分な感染防護対策をしないまま診療・ケアが行われた

 2.対策・ルールが不明

 3.対策・ルールが導入されたことにより新たな問題が発生した

 4.陽性・疑い患者の治療中に発生したトラブル

 月別推移は以下の通り。

■2月「十分な感染防護対策をしないまま診療・ケアが行われた」(60%)

◎分析

 主な要因は、「感染の有無に関する患者情報が、スタッフ間で適切に共有されないまま、業務が行われる」というものだ。情報がありながら、スタッフ間の伝達ミスにより防護対策が甘くなってしまい、濃厚接触者・感染者が生まれてしまったとなれば、ヒューマンエラーの範疇であり、医療機関は管理不備を問われる可能性がある。

◎得られたこと

 第2波、第3波に向けての重要な課題が得られた。感染指導がパーフェクトであったとしても、患者情報の事務的な伝達・申し送り・引き継ぎといった業務に不備があれば、本来の効果が発揮されないどころか、時にそれはエラーと判断され得る。

 これらのエラーは個人の努力のみで克服できるものではなく、組織的対策が求められる。

■3月「対策・ルールが不明」(50%)

◎分析

「コロナ疑いの患者が来院したが、どのような手順で診ればよいのか」「基礎疾患のある職員や、その家族への対策を決めてほしい」等々のレポートから、患者対応が現実味を帯びてきているのがよくわかる。対策やルール作成、周知、浸透にはどうしてもタイムラグが生ずる。

◎得られたこと

 これらのレポートは病院にとって、極めて重要な情報と位置づけることができる。対策の伝達、浸透状況を間接的に量ることができるからである。安全部門の役割は、このようなレポートが、現場から気兼ねなく提出される状況を維持すること。匿名で報告できるインシデントレポートはパンデミック対策においても、有用なツールとなりうる。

■4月「対策・ルールが導入されたことにより新たな問題が発生した」

◎分析

「リモート診療の場で、患者を誤認した」「COVID用の特殊な挿管手技に集中するあまり、硬膜外麻酔を忘れた」など、ルールを導入したが故に発生した新たな問題を指摘するインシデントが増加していた。

◎得られたこと

 新しい医療に対し、新しいルールが導入されれば、新しいエラーが生まれ、いずれそれはリスクとして医療現場に定着していく。改めて「リスクの生まれ方」のようなものを確認することができた。

 このように、インシデントレポートを通じて、「感染」と「安全」が連携・分業できる点は、少なくとも20年前にはなかった体制であり、現代医療が獲得した大きな武器の一つと考えている。

■5月「陽性・疑い患者の治療中に発生したトラブル」が増えた(33%)

◎分析

 陽性・疑い患者に直接発生したインシデントが報告されていた一方で、「ECMOのトラブル」「アビガン準備中の数量間違い」「搬送中の突然の心肺停止」「PCR検体提出の不備」など、新型コロナウイルス治療に特徴的とも取れるインシデントが一定数含まれていた。いずれも、看護師、リハビリテーション技師、臨床工学技師が報告していた重症患者のケアに、多くの職能が携わっている様子がうかがえる。

 あらためてベッドサイドにおける飛沫暴露のリスクや恐怖感が想像できる。過酷な現場にあっても、平時と違わず懸命にインシデントを報告しようとする職員を誇りに感じた。

医療安全という「免役」が正常に働けば

問題抽出と改善を、同時に走らせることができる

 コロナに関して言えば、医師によるインシデントレポートの割合が増えていた(通常の約3倍)ことにも注目した。

「新型コロナウイルス診療について医師が強い関心を持ち、特にルールの提案や、対策が導入されたことによるリスクを拾い上げ、率先して報告していた様子が窺えた。有事において、インシデントレポートを活用して、特に医師など、現場のスペシャリストの声をうまく集積することで、問題抽出と改善を、同時に走らせることができる。

 今回の分析結果は、医師が診療において、どのようなことに関心を持ち、どのような問題をインシデントレポートしようと考えるのか、大きなヒントを与えている。これは平時の患者安全活動や、報告文化の醸成にも重要な示唆となる」

 医療安全部門の重要な役割は、患者の安全に関わる問題を抽出し、改善に繋げることにあり、その最大の武器は「インシデントレポート」だ。コロナ禍にあっては、安全部門が冷静に使命を果たすことで感染制御部門も自らの使命に集中できる。医療安全あるいは患者安全という言葉自体は、決して難しい言葉ではないが、実際それがどのような活動を指すのかを分かっている人は少ないのではないだろうか。

 最後に長尾氏は次のように締めくくった。

「仮に新型コロナウイルスが収束したとしても、今後は、どうであれ、パンデミックと共存できる大学病院の在り方を模索することになる。医療経済が厳しさを増す中、私たちは、大学病院として、多くの取捨選択を迫られることになるだろう。新型コロナウイルスは私たちにさまざまな困難をもたらす一方で、成長、発展のためのヒントを投げかけている」

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