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世界遺産「潜伏キリシタン」の末裔が「今は仏教徒」の理由

NEWSポストセブン のロゴ NEWSポストセブン 2018/07/02 16:00
長崎は世界遺産登録で歓喜に沸いているが(時事通信フォト) © SHOGAKUKAN Inc. 提供 長崎は世界遺産登録で歓喜に沸いているが(時事通信フォト)

 6月30日、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がバーレーン・マナマで開かれたユネスコ(国連教育科学文化機関)の会議で、世界遺産に正式に登録された。構成資産の所在地で暮らす「潜伏キリシタンの末裔」たちの喜びの声が様々なメディアで紹介されたが、実は彼らの中には現在、「キリスト教徒ではなく仏教徒」という人たちがいるという。一体どういうことなのか。新著『消された信仰』で“かくれキリシタン”の知られざる歴史と現在を描いたジャーナリスト・広野真嗣氏がレポートする。

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 九州本島の北西端に位置する平戸島の最高峰、安満岳(標高538メートル)の西の谷筋には、中腹からの斜面を埋め尽くすように棚田が広がる。

「全国にはいろんな棚田がありますが、『春日の棚田』はちょっと違う。私たちの先祖が代々、棚田を開拓しながら、潜伏キリシタンの信仰を引き継いできた。その苦労が報われたという思いで、感激です」

 そう話すのは、人口わずか60人ほどの「春日」の集落の寺田一男さん(68歳)だ。平戸島西岸は1549年のザビエルの上陸後、イエズス会が日本で初めて民衆の一斉改宗を断行した地域だ。

 そして、16世紀末から平戸を治める松浦藩は禁教に転じる。キリシタンの信徒たちは表向き仏教徒を装い、安満岳への山岳信仰とキリスト教の神を重ねて拝むことで、ひそかに信仰を続けた。こうして禁教下で信仰を守った信徒たちが「潜伏キリシタン」と呼ばれている。

 ただ、取り締まりを逃れるためとはいえ「仏壇にも手を合わせる」といった信仰形態は、一神教であるキリスト教の教義とは矛盾をはらむ。明治になって禁教が解かれた後、再布教のために宣教師を派遣したバチカンの賢者聖省はこれを異端とみて、キリスト教とは認めなかった。宣教師たちは改めてカトリックへの改宗を求めたが、それに応じることなく先祖が守った信仰形態の継承を選んだ人たちがいたのだ。「春日」の集落の寺田さんの家もそうだった。

「春日」の集落は、今回の世界遺産登録において、禁教期に信徒たちが生業を営んだ遺構がそのまま残されているとして、12ある構成資産の一つに選ばれた。寺田さんは、集落に残っていた独特な信仰形態についてこう説明する。

「この集落にはキリシタン講という信仰組織があって、私の家は麻縄をなって束ねた『オテンペンシャ』という御神体を代々、守ってきた家なのです。地域に病気の人が出ると『ちょっとまじないに来てくれ』と私の家に声がかかり、御神体を持って出かけていったものでした」

 オテンペンシャは、信心に用いる鞭(むち)だ。かつて中世のキリスト教の信仰に、信徒が鞭で体を打って「悔い改め(ポルトガル語でペニテンシャ)」に努める習慣があった。春日のキリシタンの間では、病を祓う道具として大切にされてきた。

 だが戦後、春日では後継者不足から信仰組織は先細り、寺田さんの祖父の死後、平成に入って途絶えている。寺田さんは、祖父がこの信仰を“残したい”という思いを滲ませていたことをよく覚えているという。

「私が小学校に上がる前ですから、60年ほど前のある正月のこと、祖父が何も言わず、私を集落近くの高台に連れ出したことがありました。そして西の沖合いに浮かぶ中江ノ島に向けてお祈りを始めた。先祖が続けてきた信仰の姿を孫の私に一度だけでも見せたかったのかもしれません」(寺田さん)

 中江ノ島は17世紀初頭、藩当局に捕らえられたキリシタンたちが処刑され、殉教聖地となった無人島で、やはり構成遺産の一つに選ばれている。

 平成の世になって春日のキリシタン講は途絶えたが、並存してきた仏教の信仰は続いている。春日の住民はみな真言宗の寺(平戸市中野町の妙観寺)の檀家で、寺田さんはその総代を務めている。世界遺産の喜びに沸く「潜伏キリシタン」の子孫が、現在は「キリスト教徒」ではなく「仏教徒」なのだ。

 ちょっと妙な話に思えるが、今回の世界遺産を機に考えるべきことのカギが、ここにあると筆者は考えている。

 イエズス会の宣教師が伝えた教えを源流とする信仰と、仏教や神道を“同時並行”で拝む──それが潜伏キリシタンたちの姿であり、禁教が解かれた後に、「神仏を捨ててカトリックになった人たち」と「神仏も拝み続け、潜伏期の信仰形態を守った人たち」の両方がいたのだ。

「春日」では潜伏期の形態を守る信仰組織が失われたが、現在も組織的な信仰が続けられている地域がある。平戸島のさらに西方にある東シナ海に浮かぶ離島、「生月島(いきつきしま)」だ。この島の信仰の歴史と現在は、拙著『消された信仰』に詳述したが、九州西岸各地に存在した信仰集落の中でも、最もまとまったかたちで伝統が保存されている地域である。

 だが、生月島は今回の構成資産に入っていない。県が作ったPR用のパンフレットからも、その存在は消されているのだ。

 今回の世界遺産登録の意義は、どこにあるのか。これは単に、「キリスト教が250年以上にわたる禁教と弾圧を乗り越えた」ということへの評価なのか、それとも「先祖が命がけで守ってきた信仰形態を守ろうとする深い信心」にも敬意を示す機会と捉えるべきなのか。歓喜に沸く中で、一度立ち止まって考えてみたい。

【プロフィール】ひろの・しんじ/1975年東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。神戸新聞記者を経て2002年猪瀬直樹事務所に入所。2015年フリーとなり、昨年末『消された信仰』で第24回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

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