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京都で「見過ごされた町」が人気化するワケ 若者や外国人は過去の歴史を気にしない

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2018/09/12 08:00 中川 寛子
京都の崇仁地区にできた「崇仁新町」は、連日若者や観光客でにぎわっている(筆者撮影) © 東洋経済オンライン 京都の崇仁地区にできた「崇仁新町」は、連日若者や観光客でにぎわっている(筆者撮影)

 土地に貴賤(きせん)はない。だが、人間は古くから卑しむべきとする土地を作ってきた。そうした場所の発祥にはさまざまな要因が言われるが、今回はそれが主題ではない。取り上げたいのは今、日本全国で、その土地に災害に弱いなどの合理的な理由がなく、かつ利便性が高い土地であれば積極的に使おうではないか、という動きが起きていることである。

 たとえば2017年4月には、大阪のあいりん地区に隣接する新今宮に星野リゾートが都市型ホテル建設を発表し、話題となった。麻薬と違法風俗で長年悪名の高かった横浜の黄金町は10年以上にわたる地元の努力の結果、いまや「アートのまち」を標榜する。2015年に死者11人を出した火災が地域にショックを与えた川崎市日進町のドヤ街には外国人や若者が集まる宿や複合施設が誕生し、各種イベントでにぎわうようになってきた。

一時は1400人まで人口が落ち込んだ

 そんな中、もっとも大きく変わろうとしているのが京都である。歴史がある町だけに、不動産的に価格、認知度とも低い場所は多いうえ、広範に及んでおり、その1つがJR京都駅の東にある崇仁(すうじん)地区である。

 崇仁地区はその歴史的背景から、戦後すぐには約6000人、多かった時期には1万人近くだったという崇仁地区の人口は2015年には約1400人にまで減少。若年層の流出が続いた一方、高齢化が進展した。

 そこに日本でもっとも長い歴史を持つ芸術系大学、京都市立芸術大学が移転する。1880年に京都府画学校として創立された同大キャンパスは現在、京都駅からバスで約45分かかる西京区大枝沓掛にあり、都心からはかなり距離がある。

 加えて建物の耐震性能、狭隘化、バリアフリー、施設不足などの問題もあった。そこで大学は2013年に京都市に対し、都心で交通利便性が高く、まとまった土地が確保できる崇仁地区への移転・整備に関する要望書を提出。翌年には京都市が移転を発表した。

 鉄道敷設以前の崇仁は、京都の中心部から離れた町外れであり、川沿いでもあり、そこにあまり使われない土地があっても問題はなかった。だが、現在は京都の玄関口のすぐ隣。そこに空白地帯があることは町全体の有効な土地利用の観点からしてどうなのか、という見方もあった。

 長年、成功してこなかった凹んだ地域の底上げを大学移転で逆転させたいという思いもあるだろう。海外でもイギリスのキングスクロス駅北側の操車場エリア、ロンドン東部のホクストンスクエア、パリ北駅裏の巨大葬儀場跡地など荒廃した地域の再生に芸術系大学、アーティストなどが寄与した例は多く、芸術には地域を変える力がある。京都市立芸術大学の移転は大学にとって、京都市にとって単なる移転というだけでなく、地域を変えようとする新しいチャレンジなのである。

大学が完成するまでをつなぐ屋台街

 だが、2023年に予定される大学供用開始までにはまだ時間がある。2016年2月に公表されたスケジュールによると2017年から2019年までが設計期間、その後に既存建物を解体、工事が始まる予定で、2018年からでもあと5年ある。その間、当該エリアを空白のままとするのは、過去の歴史を除けば一等地であるだけにいかにももったいない。また、空白期間の後に突如大学が完成しても地域と大学のつながりを醸成することは難しい。

 そこで京都市が考えたのは、この地域にこれまで来ることのなかった若者や観光客が集まり、芸大生が関わった施設を造ること。模索の結果、2018年2月に生まれたのが「崇仁新町」と名付けられた屋台街である。

 立地するのは移転予定地の最も京都駅に近い角地の約1000㎡。近くにある高倉跨線橋の通称から「たかばし」とも呼ばれる一角で、通り沿いには行列の絶えないラーメン店や、お好み焼き屋などがあり、それ以前には闇市もあったという場所だ。屋台街という、京都には珍しい造りはその歴史にちなんだものである。

 企画の立ち上がりから完成まで半年という脅威的なスピードだったため、店舗は移動も可能なコンテナが利用されており、屋根はカーポート用、手すりなどは工事現場で利用する単管パイプとコスト重視の造りとなっている。そこに並ぶのは1丁目から4丁目までの計16店。コンテナの前は飲食スペースとなっており、奥には芸大生が絵を描いた舞台や、たき火のできるイベントスペースなども作られている。

 出店しているのは地元の若手飲食店主たち。このエリアの賑わい創出を手がける一般社団法人渉成楽市洛座で事務局長を務めるwalksの小久保寧氏が一軒ずつ回って口説いて来た。大地の芸術祭(新潟)のテントサイトやイベント運営、沖縄のホテル経営や、映像制作など幅広い仕事を手掛けてきた小久保氏だが、飲食は初めて。それどころか、関西で仕事すること自体も初めてで、それもあって出店者選考では苦労をした。

 飲食業の経験がないうえ、歴史的な背景から「回った店の3分の2には断られました」と小久保氏は話す。

 ただ、それが逆に良かったのかもしれない。過去にこだわりのない、意欲的な若い店主が面白そうだと出てくれたのである。駅に近い立地、若い活気のある雰囲気、出入り自由で開放的な作りなどが受けて人出はオープン以来好調だ。

 オープンは寒さが懸念された2月だが、それでもこの月だけで2万4000人が訪れた。3月には3万人と伸びており、1日平均に直すと2000~3000人、月平均で2万5000人ほどが訪れている。芸大とまちをつなぐという趣旨のアートイベントも定期的に開かれている。

こんな便利な場所が使われてこなかったなんて

 しかも、来ているのは目的通り、若者と外国人を含めた観光客。京都に来た友人と待ち合わせる場に、京都観光の最後に一杯飲む場に、ちょっとした時間を潰す場にと使われており、子ども連れやビジネスマンの団体、結婚式帰りのグループなど来街者は多種多様。リピーターも多く、出張で滞在期間中は毎日来ているという人にも何人か会った。

 利用店舗にかかわらず、好きな場所に座れる仕組みで隣の人と距離が近いためか、知らない人同士で会話が生まれてもおり、最近ではあまり見なくなったナンパ(!)の風景もしばしば。屋台街の入り口には「コミュニティスペース」と掲げられているとおり、会話の楽しい場所になっており、それを求めて訪れている人も多い。

 その会話の中で最もよく聞いたのは「こんなに便利な場所がこれまで使われてこなかったなんてもったいない」という類の言葉。関西を中心にテレビ、雑誌、新聞などで何度も取り上げられたもののなかには、土地の歴史について触れたものもあるが、来街者がその点を気にしているふうはない。彼らにとっては便利で楽しい場所、それだけなのである。そしてそれが続けば、町のイメージも変わっていくだろう。

 さらに京都駅近くでは崇仁とJR線路を挟んで隣接する東九条でも変化の動きがある。京都芸大移転地と隣接することから、京都市が新たな文化行政、文化交流を推進するうえで重要な地域と位置付け、2017年に「京都駅東南部エリア活性化方針」を策定。活性化を図っていくとしたのである。

 現状の東九条は高齢化が進み、空地や空き家が目立つ一方で、駅に近いことからホテル建設が続けられている。このままでは観光客は来るものの、住む人のいない空洞化した町になりかねない。

 そこにアートと若者を、ということで、実際、若いアーティストが古家を借りてアトリエとして使う動きなどが出始めている。2015年から2017年にかけて市内で閉鎖が相次いだ小劇場に代わる劇場建設の計画もあり、京都駅東側は線路を中心に両側から変わろうとしている。

手がつけられていなかった地域は狙い目に

 さらに2010年に京都府警によって一斉摘発を受け、多くの空き店舗が残されたままになっていた五条楽園(五條楽園)でもこの何年かで、地元以外の若い人や海外資本の宿泊施設を中心とした活用が相次いでいる。こちらも繁華街四条に近く、京都駅からも歩けない距離ではない。町家を含め、風情ある建物も多く、放置されるのはもったいないと考えた人が少なからずいたのだろう。

 もちろん、長い間積み重ねられてきた地域の見方が一気に変わるとは思えない。まして京都は京都出身の井上章一氏が『京都ぎらい』(朝日新書)で書いた通り、市内でも洛外、洛中など住む場所を峻別する地である。

 だが、京都に限らず、地価が上がった地域周辺の、比較的安価な地域に次に面白くなる場所が生まれるのは過去のまちの盛衰の例からも、不動産的に見ても必然だ。

 これまで、さまざまな経緯から見過ごされてきた地域はその流れに乗らないとされてきたが、今後はそうした除外は無くなっていくはず。逆にこれまで手が付けられてこなかった場所として狙い目と思う人も出てくるのではなかろうか。

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