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「教科書が読めない」帰国子女が挑んだ受験戦争 息子の日本語力では「不利」と気づいた親は…

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2019/03/20 08:10 宮本 さおり
帰国子女の受験には、一般の中学受験とどのような違いがあるのだろうか(写真:Fast&Slow/PIXTA) © 東洋経済オンライン 帰国子女の受験には、一般の中学受験とどのような違いがあるのだろうか(写真:Fast&Slow/PIXTA)

 年々過熱する首都圏の中学受験。わが子によりよい教育環境を、と積極的に挑む家庭もあるが、中にはやむをえない理由から、中学受験の選択をする家庭もある。そのひとつが「帰国子女」たちだ。

 日本企業の海外進出が続く中、海外転勤する夫(妻)に帯同して多くの家族が海を渡り、そして帰ってくる。“いつかは帰国する”とわかっていても、3年後なのか5年後なのか。時期があいまいなため、多くの家族が帰国後の子どもの進路に悩む。はたして「すぐ日本になじめるのか」そして「せっかく身に付けた語学力や国際性を生かした進学先はあるのか」と。

 海外生活中、日本の学校や受験について生の情報を得るのは簡単ではない。頼れるのは、インターネットや周りの駐在家族からの口コミ情報だけという家庭も。そのため、日本での学習や生活面を共に手厚くフォローしてくれる私立の受験へと行きつく家庭も多い。

 試しに、帰国生に人気が高く、進学校としても有名な渋谷教育学園渋谷中学高等学校の2019年度帰国生入試の状況を見てみる。男女計12名の枠に対し、実に252人が受験。58人の合格者が出たものの、それでも高い倍率だ。帰国生枠の場合、英語さえできればいいのでは?と思われがちだが、そうではない。今や帰国生枠でも国語や算数といった教科試験が課されるのは当たり前だ。

 いったい帰国入試の現状はどうなっているのか。幼稚園からの6年半をアメリカで過ごし帰国した伊藤祐樹くん(中3・仮名)と、この春入試を終えたばかりの章くん(小6・仮名)家族の中学受験サバイバルを追った。

6年半をニューヨークで過ごした親子は…

 私鉄の駅を降りて歩くこと10分。インタビューを受けてくれた伊藤家が暮らすのは、戸建て住宅が立ち並ぶ閑静なエリアだった。迎えてくれたこの家の妻、伊藤恵美さん(仮名)は「うちなんかの話でお役に立てるでしょうか」と言いながらも、中学受験時の様子を話してくれた。

 伊藤家の長男、祐樹くんは父親の仕事の関係で3歳からの6年半をニューヨークで過ごして帰国した。弟の章くんは生まれたときからアメリカ暮らしだ。

 両親ともずっと日本で暮らしてきた伊藤家。親子とも、海外での生活に慣れるのに精いっぱい。アメリカでは、現地に慣れて暮らせるようにと、近くの公立学校に通わせ、外ではなるべく英語を使わせるようにしていた。一方、日本語もキープするため、自宅では日本語を使い、週末には自宅から少し離れた日本人補習校に通っていた。

 そんな慌ただしい生活の中、帰国後は「“なんとかなるだろう”くらいにしか考えていませんでした」と話すのは父親の勇さん(仮名)。ところが、いざ日本での生活が始まると、一気に不安が押し寄せてきた。「息子はほぼ、アメリカ人だったのです」と恵美さんは振り返る。

 3歳で渡米した息子は、日本で生活するのはほぼ初めての状態だ。学校を嫌がることはなかったが、友達とのやりとりなど、文化の違いに戸惑いがあるように見えた。それだけではない。なんと学校の教科書が読めなかったのだ。「教科書が読めないって致命的ですよね」。長男はこのときすでに5年生、母親は焦りを感じた。

 「帰国が決まったときは、中学は地元の公立中に行き、高校受験をすればいいと思っていたんです。でも、これではいい成績は取れず、高校受験に必要な内申点も取れない。かといって、高校受験のときには、すでに帰国生入試の条件から外れるので、一般入試で受けなくてはなりません。息子には不利だと考えました」。

 中学受験や高校受験の帰国子女枠の場合は、「帰国後2年以内」など、応募に条件がつく場合がほとんど。小5で帰国した祐樹くんの場合、高校入試ではこの条件に当てはまらない。つまり、帰国生として特別扱いしてもらえるのは中学受験のみとなる。

 また、暮らすエリアの状況もあった、と恵美さんは続ける。近所からの情報で、中学受験をする子が多いということがわかったのだ。

 「地元では、男子の半分は受験で私立に行くから、近くの公立はできる子はごっそり抜けた状態だという話を聞いて、そこが少し気がかりでした」と父親の勇さんは言う。公立中学ならば、さまざまな学力層の子どもがまんべんなく存在するだろうと想像していたのだが、はたして半分の子が抜けた状態がいいのか。勇さんは、多様な子どもの中で切磋琢磨して学習するという「イメージが湧かなくなったのです」と付け加えた。

 周りの環境、本人の様子を鑑みた結果、子どもにベストな環境をと、親子は中学受験を決意した。

個人で情報を集める「限界」

 伊藤家が受験対策に本腰を入れ出したのは小5の11月。小3の2月からの塾通いがセオリーとも言われる中学受験の世界では、かなり遅いスタートだ。東京では、帰国子女枠の入試は小6の1月に行う学校が多い。受験まで14カ月。怒涛の日々が始まった。

 帰国子女の中学受験を専門に扱う塾に入学すると、受け入れのある学校についての情報は、個人で調べるよりもはるかに早くそろった。そして東京近郊には、帰国子女を受け入れる学校は迷うほど存在した。塾が行う説明会にも積極的に参加、学校研究を進めるうちに、帰国子女枠を有する学校でも、大きく分けて2つのパターンがあることもわかってきた。

 1つは、英語は帰国子女だけのクラスで勉強するが、それ以外の科目の授業は一般の生徒と一緒に受ける学校。もう1つは、すべての授業を英語で行うインターナショナルスクールのような学校だ。

 しかし、塾から名前を聞く学校は偏差値50以上のところがほとんどだった。帰国子女枠といえども、一般入試と同様に、入試では算数や国語といった科目の力も試される。「英語が話せる」程度では到底合格は難しく、受験対策をせずに挑むのは無謀に近いこともわかった。

 自宅で自習をさせるにしても、やっかいなことがある。通常、書店に行けば大抵の学校の過去問が出回っているのだが、帰国子女枠の過去問は販売していない場合もある。筆者も近くの書店で見てみたが、赤い表紙の過去問に帰国生向けの文字は見られなかった。

 学校によっては、学校窓口に問い合わせて購入しなければ入手できないところもある。受験直前まで海外滞在中という家族は、さらにハードルが高くなる。

帰国子女枠でも容赦なし、途中入塾のつらさ

 本来なら、学校選びは校風や先生の様子なども見たうえで決めるべきところだが、首都圏のように多くの学校が存在する場合、とくに伊藤家のように学校選びに時間のかけられない家庭の場合、絞り込み基準として偏差値を置くのもやむをえない。

 塾は偏差値の高い学校を勧めてくる傾向が強く、保護者も流されがちだが、偏差値の高い学校となればなるほど、帰国子女枠といえども問題の難易度は容赦なく高い。いくつかの図形を組み合わせて交わる点の角度を求める問題など、公立小学校では習わない難問が、一般の受験生同様に課される。

 祐樹くんはこの状況に、初めからつまずいた。5年生も冬ともなれば、塾では小6までの学習範囲を終えようという頃。小学校ではまだ習っていない円錐の体積を求める問題や、つるかめ算を使って解く問題が、塾のテストでは普通に出て、面食らったという。

 遅くに入塾した祐樹くんのために、塾がその単元や公式を改めて授業で教えることはなく、すでに習ったものとして授業は進んでいく。祐樹くんは苦戦した。

 何度トライしてもつるかめ算がうまく飲み込めない。母親の恵美さんは一生懸命に励まし、問題を一緒に解くなど伴走を続けていたが、ある日、「もうできない!」と祐樹くんは泣きだしてしまった。

 こんな状態になるのなら、受験なんてしなくてもいい――。一度は母親の恵美さんも心が折れた。「つらいなら、やめてもいいんだよ」と恵美さんは言ったという。しかし、祐樹くんは「いや、やる」と一言。

 奮起させようと言ったのではなく、心からやめていいと思っているのだと伝えても、息子は涙を拭い、机に向かうことをやめなかった。

 「もしかしたら本人は、英語が飛び交うところに帰りたい、つまり英語を話す子たちがいる学校に行きたい、という気持ちがあったのかもしれません」。恵美さんは当時のことをこう振り返る。

 ひたすら問題をこなす日々を過ごしていった祐樹くん。最初こそ苦戦したが、辛くも次第に光が見えてきた。6年生の夏ごろには、なんとか志望校に手が届く偏差値に到達し、成績が落ち着きだしたのだ。

 両親によるサポートも本格化した。勉強のスケジュール管理など普段の細かいケアは母親が担当し、学園祭などの学校見学には父親が積極的に連れて行くなど、夫婦で役割分担しながらフォローした。そして最終的な志望校選びでは、父親の勇さんの意見が大いに役立った。

 勇さんは大手企業で働き、部下を持つ立場だ。社会で必要とされる人材はどういう人で、どういう道を歩んできたのか。そう考えたとき、「やはり大学には行ってほしい。そして自分の考えにはなりますが、大学までエスカレーターできた人よりも、大学受験でもまれてきた人のほうが、底力のある人材が多い気がします」と勇さん。父親のこの肌感覚を基に、志望校の条件は「上に大学のついていない学校」と決めた。

 成績と、家庭の方針を基に、塾の先生と志望校を相談。第3希望までを決め、願書を提出した。

 短距離走を駆け抜けるような14カ月間の中学受験だったが、祐樹くんは見事に偏差値50台前半の第2志望の学校に合格。入学後はサッカー部に入り、英語の飛び交う、望みどおりの学校生活を謳歌しているという。

 伊藤家のケースから感じるのは、帰国子女の場合は帰国後の本人の様子をしっかりと観察し、学校含めて本人にマッチする環境の情報を、いかに素早く手に入れるかがカギとなるということだ。「日本の学校ではやっていけないかもしれない」そんな息子の様子を両親が素早く察知し、情報集めに取り掛かったのが功奏したのだろう。

 「本人が泣いても、“勉強しなさい!”と強く言ってお尻をたたける母親だったら、もっと偏差値が高い学校に行けたのかもしれませんが、泣く息子を見て私にはそれはできなかった。今の学校は第1志望ではありませんが、本当に息子をよく見てくれています。ここでよかったと思っています」。

 こうした穏やかさが、彼を潰さずに受験を最後までやり遂げさせることにつながったのだろう。

兄の様子を見て受験を決意した弟

 伊藤家の中学受験には後日談がある。祐樹くんの受験から3年後の今年、今度は次男の章くんが中学受験をした。

 兄の楽しい学校生活の様子を見て、小学校の早い段階から「受験をしたい」と口にしていたという章くん。帰国から数年が経ち、受験で帰国子女枠も使えないため、新5年生クラスの始まる4年生の2月から塾生活を開始。「兄よりもしっかり者で、受験勉強を始めた頃こそ宿題などを細かくチェックしていましたが、後半は目標を決めて自分から進んで学習していたので、“やりなさい!”と私が口出しすることはありませんでした」(恵美さん)。

 第一志望の都立一貫校しか眼中にないことが心配だったというが、そんな親の心配をよそに、見事にその第一志望校の合格を手にした。

 息子2人の受験を振り返り、母親の恵美さんはこう話す。

 「長男の受験のときは、『この1年間、お母さんは君との絆が深まった、ありがとう! 泣いたり、笑ったり、こんなにも一緒に悩んだり、考えたりできたことが幸せだった』と伝えたのですが、次男の受験を終えても同じ気持ちです。受験の結果がよくても悪くても、この言葉をかけるつもりでした」

 同じお腹から生まれ、同じ環境で育ち、同じ性別の兄弟といえども、得意・不得意、性格、成熟度、そしてそのときの状況はまったくと言っていいほど同じでない。それは伊藤家に限らず、多くの家庭にも言えることかもしれない。

 伊藤家の場合、兄と弟、それぞれの個性や状況を両親が丁寧に把握し、地道に寄り添うことを続けていた。もし兄の祐樹くんの受験が無理のあるものだったら、親の対応が理不尽だったら、次男の章くんが自ら受験をしたいと言い出し、最後までやりきることもなかったかもしれない。「中学受験は親の受験」とも言われるが、伊藤家はその厳しい試練を乗り越え、さらに親子の絆をしっかり深めたように感じた。

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