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『ひるね姫』の主人公に葛藤がなくペラペラな理由

エキサイト Bit のロゴ エキサイト Bit 2017/04/15

ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんによる、話題の作品をランダムに取り上げて時評する文化放談。今回は映画『ひるね姫』について語り合います。

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すべてを知るために、私は眠る。

岡山県倉敷市で父親と二人暮らしをしている森川ココネ。何の取り得も無い平凡な女子高生の彼女がたったひとつ得意なこと、それは「昼寝」。そんな彼女は最近、不思議なことに同じ夢ばかり見るようになる。

進路のこと、友達のこと、家族のこと・・・考えなければいけないことがたくさんある彼女は寝てばかりもいられない。無口で無愛想なココネの父親は、そんな彼女の様子を知ってか知らずか、自動車の改造にばかり明け暮れている。

2020年、東京オリンピックの3日前。突然父親が警察に逮捕 され東京に連行された。ココネは次々と浮かび上がる謎を解決しようと、幼馴じみの大学生モリオを連れて東京に向かう決意をする。その途上、彼女はいつも自分が見ている 夢にこそ、事態を解決する鍵があることに気づく。

たったひとつの得意技である「昼寝」を武器に、ココネは夢とリアルをまたいだ不思議な旅に出る。

それは彼女にとって思 いがけず、“知らないワタシ”を見つける旅でもあった。

『ひるね姫』作品情報

上の世代と元同僚たちは無能! という監督の人間観が丸出し

藤田 『ひるね姫』は『攻殻機動隊S.A.C』の神山健治監督の最新作にして、初のオリジナル劇場用アニメです。さて、どうでしたか。

 ぼくは『キネマ旬報』4月上旬号で、神山監督と宮台真治さんの対談を構成したので、多少カンニングしたみたいな部分があるのですが、率直に言ってしまえば、エンターテイメントとしては、正直、物足りないです。ですが、神山監督は敢えてそれをやったらしいので……。ぼくの感想は、あとで言います。

飯田 「あえてやった」って言われても、観客からしたら「知るか」という話ですけども。Twitterで「ひるね姫」で検索しようとすると連想検索で「ひるね姫 つまらない」が最初に出てきますね(3/31現在)。

 褒めている人もいるのでその抱いた感想は否定しませんが、僕は全然ダメだと思った。

藤田 なるほど。どの辺りが。

飯田 ひとことで言えば、神山さんは、自分だけは無垢・無謬でありまわりは愚鈍、自分はそいつらの被害者であるという価値観のまま親になってしまったんだと思う。それゆえに、とてもいびつで不愉快な人間描写になってしまっている。

藤田 たとえば?

飯田 前提として、神山さんがどういう人なのかがわかるエピソードを2つ挙げましょう。

 ひとつは「自分は上の世代に苦労させられてきた」という話をあちこちでしていること。たとえば『文藝別冊』で特集が組まれたときに宮崎吾朗監督との対談の一言目に「お互い上の世代には苦労させられてきましたよね(笑)」みたいなことで始めている。宮崎吾朗は宮崎駿に、自分は押井守に、と。この「上の世代は俺たちを苦しめる存在である」という信念は、今回も、主人公のじいちゃんは頑固で、主人公の母親のクレバーな提案を受け入れなかったやつ、というかたちで引き継がれている。

藤田 それはその通りですね(笑)

飯田 もうひとつは、いっしょに作品をつくってきたけど自分の元を去っていった人たちを悪く言うこと。たとえば『S.A.C』制作時にすごくいいチームができたけど、「カネがほしかったからか知りませんけど」みたいな前置きをして、多くの人が自分の元を去っていったことを語る。

 このふたつの語りに共通しているのは「自分に何か問題があったから苦労したり、人が去っていったのでは」という感覚がまったくないこと。つねに自分こそ正しく、他者に問題があり、自分は被害者である、というニュアンスが見え隠れするんですよ。

 で、『ひるね姫』って主人公たち親子だけは無謬で正義であるということを一ミリも疑っていないし、そこはブレない。

「上の世代」(主人公のじいちゃん。自動車会社の会長)は頑固で正しい意見を受け入れなかった、間違った選択をした人間という描かれ方になっている。

藤田 主人公、両親、祖父の三つの世代があって。親と祖父は世代間闘争を演じているんですよね。ソフトウェアを重視する前者と、ハードウェアを重視する後者。しかし、主人公の女子高生はそういう抗争や葛藤と無縁になっている。これはなんなんだか……

飯田 で、父母の「元同僚」は、エンジニアだった父を田舎に追いやった人間だと。

 しかし父も母も優秀であったし、何か間違ったり誰かに迷惑をかけたという点は一個もない人物として描かれている。

反省も葛藤もないペラペラな人間観の主人公サイド

飯田 主人公たちに相対する存在は小物感あふれる出世欲にまみれた社畜で、見るからに悪役。夢の世界では、何なのかよくわからない「鬼」が敵。

 こんなの戦うまでもないでしょう。敵がしょぼいから主人公にも父ちゃんにも葛藤がない。身体的に「高いところから落ちるかも」みたいなピンチはあるけど、彼らは心理的に追い込まれる、自分の過ちや悪いところを見つめるみたいなプロセスがほとんど描かれていない。だからあの家族は、変化も成長もほとんどしていない。娘が父の愛情に気づきました、おしまい。

藤田 「葛藤」が全然ないような、ペラペラな人間観になっていますよね。特に主人公の場合は。『東のエデン』のときからそうだったので、もうこれは意識的にやっているんだろうと考えるべきで。

飯田 主人公たちに欠点を置かなかった、間違いをする人間であるということを一切認めなかったがゆえに、被害者意識満載なだけで葛藤も成長もない、単調な映画になっているんですよ。

藤田 スマホやタブレットやAIのようなものに囲まれて、しかも、『東のエデン』で出てきた、言うことを聞いてくれる夢のスマホAI風味のものをまた繰り返しているので、「これは本気なんだな」とぼくは思いました。葛藤がないような人間を肯定しちゃうつもりだ、内面がペラペラでいいとしようとしている、葛藤や判断や苦悩を除去する夢のスマホAIマシーン的なものが蔓延している環境に生きる人間はこれでいいと描こうとしている。

 主人公も、その相方的な男の子も、全く活躍しない。ほとんど何にもしていない。それで映画を成立させようとしちゃっている。ヤバイ。それを肯定しちゃおうとするのは、かなりイってる。いい意味でも悪い意味でも。

飯田 イってるというか、ダメですよね、端的に言って。

 今までさんざん「上の世代は間違っている」みたいなことをインタビューで言ってきたし、作品でも描いてきた。じゃあ娘世代が登場したことでオッサン世代になった自分(父親)は娘から敵扱い、老害扱いされて揺らぐのかと言えば、揺るがない。娘と父は間違っていない、という話になっている。おかしいでしょ?

 自分は「上の世代が間違っている」と突き上げてやってきてパージされちゃったけど娘だけはわかってもらえると思ってやってきた、でも自分もやっぱり「親父は間違ってる」って言われてしまった、とかならまだわかったんだけど、そんなふうに自分の立場が揺らぐようなことがない。反省や後悔によって学ぶことがない、一面的な「正義の人」になっている。悪い意味での勧善懲悪でしょ、これ。

『S.A.C.』からの後退をどう捉えるか

藤田 夢のシーンにダイナミズムが足りないな、とも思ったんですよ。あまりに計算されている。現実との対応が、キッチリわかるじゃないですか。それが「有機体っぽくない」と思って最初は嫌だったんですよ。

 けど、スマホ的なものによって内面を構築された人間の無意識はこんなに機械的で貧しい、っていう表現だとすれば、もう割り切ってますよね。

 いわゆるポスト・トゥルース的な状況に対する応答でもあるようなんですよ。ネットウヨクのような、「妄想」に駆動される人々にぶつけるというか…… 空気や雰囲気に対抗するための、「夢」、みたいな発言もありました。それは『騎士団長殺し』と似た戦略かもしれない。

飯田 夢と現実の切り替えがご都合主義的で、ピンチになったら世界が切り替わってなんとかなる、の繰り返しですけど、それは「スマホ的なもので内面が構築された人間の無意識」だからしょうがないと?

藤田 そういう「現実」をテクノロジーによって構築してしまいたい、そうするべきだ、的なニュアンスの表現なのでしょうね。それの是非は議論されるべきですが。

 一応、神山さん本人の発言を参照しながら補足説明すると、神山監督は『シン・ゴジラ』の草稿を書いていますよね。それに違和感があったようです。

飯田 『東のエデン』を見直したら『シン・ゴジラ』っぽい発言がいっぱいあったけどね。

藤田 体制側にいるヒーローが正義を為す、というパターンのドラマツルギーを『SAC』で使って、それが成功するのは分かったと。『シン・ゴジラ』もそのパターンですね。しかし、どうもそれは違うのでは、と思ったとか。

『009』のときにも、ヒーロー像を変えたいと思ったらしいのですが。その原因って、ネット右翼らしいんですよ。「正義」「体制」と自身を一体化させて、個人を叩く行為がネットで流行してきて……

 そういうエンターテイメントのドラマツルギーを使うのはやめよう、と思われたみたいです。だから、今回、意図的にエンターテイメントの快感を「殺す」作りになっているし、「鬼」は最終的には炎上ですよね。それと戦う話になっている。

『S.A.C』で成功してしまったから、そしてそれがどうも現実のネットに影響を与えているらしいことに倫理的な反省をしたが故の、こういう話らしいんですよね。監督の内的なドラマとしては、それは分かる。

飯田 いやいや、それは本人の『S.A.C』に対する認識がそもそも間違ってるよ。

『S.A.C』では事件の鍵を握るテロリスト的存在の「笑い男」やクゼは、「体制側にいるヒーロー」ではないけど、彼らは彼らなりの正義を独自に果たそうとしていて、彼らが戦っているのは世間や社会、体制が生み出している悪です。薬害問題とか、難民の扱いとか。そこに第三局として9課が介入する、という話だと思うんですよ。『S.A.C.2nd』で言えば「体制側」は官僚たちであって素子たち9課じゃないでしょう。体制がなす悪を、難民のヒーローになったテロリストと公安警察が微妙な距離感のなかである種の共闘関係になっていくという話で、単純な勧善懲悪ではない。

『ひるね姫』のほうが善悪、正義が誰なのかという揺らぎははるかにないですよ。ドラマとしても、組織や人間の描写としても後退している。

藤田 宮台さんは「善悪」自体がない、みたいな評価をしていましたね。

飯田 そう言われれば、たしかに、『ひるね姫』においては、どっちが善かはどうでもいいですね。オリンピックで自動運転が披露できるかどうかなんて、どっちに転んでも社会にとってはどうでもいい。『S.A.C.』の笑い男事件における薬害とか、明らかな被害者もいないわけだし。

藤田 「葛藤がない」、つまり、近代的な人間ではない、ってことなんでしょうかねぇ。

飯田 違うよ、脚本がひどいということですよ。

 たとえばね、主人公が「人の財布から金使うのはドロボーじゃん、イヤ」とか言った端から、誰の手によるものなのかわからない新幹線のチケットを使ったり弁当をタダで食ったりするでしょう。ああいうのを「近代的な人間ではない」とかいう褒め方をするのはおかしくて、単に矛盾してることに気づかなかったか、さもなくば主人公がバカだという描写だと受け取るしかない。

藤田 物理的なお金と、電子的なお金に対する感覚の差の表現では? 直接は会話しないけど、メールはする、というのと同じように。

飯田 「電子的なお金」って何? 他人のクレカなら勝手に使っていいっていう意味ですか?

藤田 あの主人公はそう感じる人だ、ってことじゃないですか。あんまりモノを突き詰めて考えているタイプであるとは描いているいないですし、物事がどういう仕組みで動いているのかを理解している節を示す描写はなかったから、そういうことだと思うんですよ。中身の仕組みが分かってなくてもスマホは使える、そして仕組みに興味持たなくても済む。その延長かなと。

 地方の、そんなに頭が良いわけでもない女の子が、なんか特になにもしないで、なんかうまくいく、そういう話ですよね。

飯田 ほかにもあって、だいたい自動車会社なのになんで「心根がよければ人は空も飛べる」とかいう標語が社訓になっているか、意味がわからない。そんな社訓をつくった創業者が「ハード屋がソフト屋の下になったら終わり」とか言うのおかしくないですか? 心根はハードなの?

藤田 それはぼくもわからないw

 インフラとかを使う人間は特になにも考えていない。考えなくてもうまく動くし幸せになれる。そういう世界を作るために戦う人もいる。この二つは分断されていますね。

飯田 インフラを作るために戦う人はあの世界にはいないですよ。インフラを作った人は駆け落ちしたあげく死んでるし、残ってるのはインフラ作るためのプログラムをかすめ取ろうとする人間しかいないです。

 あと守ろうとする父ちゃんね。でも父ちゃんはインフラ作ろうとしてないしね。

藤田 自動運転を普及させて渋滞問題を解決しようとする部分は、インフラ作りかなと思いますが。

「娘に見せる映画」として、これでいいの?

藤田 確かこの作品って、神山監督が、娘に見せる映画を……って言われて動いた企画なんですよね。

 3世代の葛藤の問題がうまく処理できていない、というのは、飯田さんの仰るとおりかもですね。娘→父の態度が、少し甘い感じはする(笑)

飯田 「娘に見せる映画」だから、自分(=父親)と、娘(=主人公)だけは間違ってないぞ、あとの連中はカネに目がくらんでいたり、頑固で俺たちの考えを受け入れないやつだぞ、という設定になっている。

藤田 「老害が邪魔しているせいだ」的世界観、ってことですね。それは『シン・ゴジラ』と似ているかもしれない(笑) こっちでは死なせないけど。

飯田 「老害と無能な同僚が邪魔している」という世界観ですね。

 娘はまだ「今まで父ちゃんの想いに気づかなかった私ってバカ」になってるけど、父親は瑕疵が一個もない存在なんだよ。それで「娘に見せるために作った」ってさすがにどうかと思いますよ。

藤田 主人公の母親を死なせたことは?

飯田 母親って父親のせいで死んだの?

藤田 自動運転の実験の最中の事故ではなかろうか、的な示唆がエンドロールであったと思います。

飯田 あ、あれそうなのか。なんか空飛ぶ車みたいなの作ってたから、あれも夢なのかと思った。

藤田 明白にそうとは語られていないですが。おそらく、実験の最中に死なせていますね。

飯田 でもだとしたら父親が自分のミスで母を死なせたことについて作中で娘と祖父に悔恨を語った方がよかったのでは?

「エンドロールで流しただけ」=「娘は母の死の真実を知らない」のだとしたら、自分に都合の悪いことは隠しているというひどい父親ってことになっちゃうのでは。

藤田 悔恨を語るシーンはないですね。「御伽噺」という隠喩を通して、父と母の物語を語っていただけですからね。

 夢を通して少しずつ、伝わっているのか伝わっていないのか曖昧な感じでしか物事が伝達されてないですよね……。

 死の真実も知らないし、母方の父も実家も知らないし、何を開発していた誰なのかも知らないし…… 親子って、そういう断絶があるもんなのですかねぇ? ぼくにはわからんですね。

 自分のケースをサンプルに言えば、ぼくも親が何してんのか、どういう人間なのか、どこでどう出会ったのか、よく知らんですよ。所属している会社名と役職ぐらいは知っているけど、具体的なことを知ったのって、20代半ばぐらいで。今でも、正確に何をしてきた人間なのかよくわかってないです。この映画ぐらい曖昧な感じでしか知らないかもしれない。

飯田 主人公の設定が情弱すぎると思う。うちの親なんて息子の名前でググったり、SNSチェックしてるんですよ? 親が、だよ。本当やめてほしいですけど。つまりさ、興味があったら、逆に子どもが親の名前でググってみるくらい普通にするはずですよ。あれは娘が母親について無関心なんだよ。

藤田 うちの親もそれやるけど……自分の親の名前、ググって出てきます? 一応出てくるけど、そんなにたくさんはないですよ。インターネットが普及する以前に大半の活動をしているわけですから……

飯田 いやいや、この映画に関して言えば母も祖父も有名人なわけだからね。

 だって、主人公の友達が普通に検索しただけでWikipediaっぽいページにあれこれ情報が載っているわけでしょう。そのレベルのことに主人公は長年気づかなかったと。あそこは「ご都合だな」と思ったけど、もしご都合でないと言うのだとすれば、主人公は本当は家族のことに関心がなかったと解釈するしかないですね。

藤田 なんでググらないのかは、確かになぁ。でも、本当に「関心がない」という表現なのかもしれないですよ。神山さんの娘さんも、神山さんのアニメ観てないらしいし。そう思うと、残酷な話なのかも、これ(笑)

飯田 なるほど、娘に「俺のことをググってくれ」というメッセージを込めたと。感動的だなあ。

藤田 親が思うほど子は親を思っていない、というシビアな現実を受け入れたあとだと、見え方が変わるのかも……(笑) ぼくにはわかりませんが。「やってきたことをわかってくれよ」ってところはあるかもですね。

飯田 そして「娘のために作った」と言っている映画だけど「本当はおまえじゃなくて母親のことが主人公なんだよ」とちゃぶ台返しする映画であると。……業が深すぎる。

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