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『べっぴんさん』最終週はなぜ“迷走”したのか? 意欲作が浮き彫りにした朝ドラの問題点

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/04/03 株式会社サイゾー

 先週、最終回を迎えた連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『べっぴんさん』(NHK)。残り一か月を切った時点では、坂東すみれ(芳根京子)たちキアリスの面々たちの姿と、娘のさくら(井頭愛海)たちの青春を対比させることで、戦前と戦後の女性の生き方を描いた傑作となるのではないかと期待していた。しかし最終的には、無残な崩れ方をしてしまったように思う。(参考:朝ドラの定型を崩してきた『べっぴんさん』、残り一ヶ月でどうなる?)  時代は1970年となり日本は大阪万博で沸き立っていた。高度経済成長は頂点を迎え、戦後の貧しさを克服した日本の象徴として万博のステージに立つ、若者向けファッションブランド「エイス」の社長・岩佐栄輔(松下優也)。一方、総合商社「KADOSHO」の社長・古門充信(西岡徳馬)が大ボス的なたたずまいで登場する。古門社長は高度経済成長の暗黒面を体現する資本主義の権化とでも言うような存在として栄輔を支援する。しかし、オイルショックで景気が傾くと融資を引き下げてしまい、栄輔の会社は倒産。時代の寵児は一気に転落してしまう。  一方、キアリスは、開発宣伝部長となった村田健太郎(古川雄輝)が経営規模を拡大したことでキアリスらしさを見失っていく。不況となり、売り上げが下がる中、古門社長の悪魔の囁きが健太郎の心を揺るがす。この、キアリスVS古門社長という展開は面白い構図を作り出したと思う。しかし、残念ながらここから物語は迷走。  なぜか映画を作ろうとキアリスの面々が言い出し、さくらの娘・藍を主演にした赤ん坊の映画を撮り始めるのだが、「これは何の話なんだ?」と頭を抱えてしまった。  映画製作に参加することによって転落した栄輔が自分を取り戻し、小野明美(谷村美月)と仲良くなる姿を見せることで、二人が結ばれるエピソードにつなげているのは頭では理解できるのだが、この話に一週間使うのだったら、もっと描くべきことがあったはず。また、栄輔と明美を無理やりくっつけたことで、栄輔にあったすみれに対する愛憎が胡散霧消してしまったことも残念だ。  銀座に総合店「キアリスワンダーランド」を出す際に古門社長からの協力を受けるかどうかという商談が物語上のクライマックスとなるのだが、すみれたちが断り、古門社長が自分とは全く違うが「それはそれで素敵な生き方だ」とすみれたちを肯定し、あっさりと対立を切り上げてしまう。おそらく古門社長の描写を増やすと、負荷が強すぎて、みんなが楽しく暮らす優しい世界をドラマに求めている視聴者がついてこなくなるという判断だろう。対立シーンを引っ張らないのは朝ドラだけでなく近年のテレビドラマの大きな傾向だが、それが悪い方向に転がってしまった。  その後、会社を引退した後のすみれたちの生活が淡々と描かれる。  ドラマを見てきたファンからすれば各キャラクターがそれぞれ幸せに暮らしているところを見られただけで満足だろう。しかし描写は冗長で、今まで積み上げてきたものがガラガラと崩れていったように思う。同時に思うのは芳根京子たち若手俳優が老後を演じたことの弊害で、途中で引退すると言い出した時のすみれたちの年齢が、自分にはさっぱりわからなかった。個々の俳優はムチャ振りに対して、がんばっているとは思ったが、「俳優はがんばっている」と思わせてしまう時点で、フィクションとして崩壊している。  やろうとしたことは悪くなかった。近年の朝ドラでは意欲作だったと思う。しかし、「対立する敵役を描けない」「無理やり晩年を描こうとする」「主演の若手俳優に老人役を演じさせる」といった近年の朝ドラが抱える問題が、最後に噴き出して無残な終わり方となってしまい、見ている側が「なんか……なんかな」と言いたくなる終わり方だった。(成馬零一)

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