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『スーパーサラリーマン左江内氏』最終回が伝えた、「責任」の先にあるものとは?

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/03/19 株式会社サイゾー

「私はね。人を救うような仕事ができる人間じゃないんだよ! 事件は起きるもんなんだよ! それを救う時間も余裕もないし、救えなかった時の責任を負うのが何より耐えられない!」 参考:島崎遥香、“反抗期JK”役がハマる理由  これは『スーパーサラリーマン左江内氏』(日本テレビ系)、第1話にてスーパースーツを手渡し、スーパーマンになることを懇願してくる老人(笹野高史)に、主人公の左江内英雄(堤真一)が言い放つ一言だ。ドラマ『左江内氏』は藤子・F・不二雄のSF漫画『中年スーパーマン左江内氏』(双葉社)を原作に福田雄一監督が脚本した作品である。『勇者ヨシヒコシリーズ』(テレビ東京系)をはじめ、コメディ色の強い福田の作品であるが、今回の『左江内氏』の根底に流れる大きなテーマは「責任」であった。  最終回となる第10話では、会社の営業ゴルフからの帰路に左江内がいつものSOSを耳にする。しかし、息子のもや夫(横山歩)に頼まれていた新作のゲームソフトがどこの店に行ってもみつからず、このSOSを助けに行っていたらゲームが……と躊躇してしまう。悩みながらもSOSの助けに向かう左江内であったが、マンションから落下する男の子の手を掴めずに、ほんの僅かに間に合わなかったことを悔やむ。 「あの時、息子のゲームを探していなければあの子を助けることができたんだ。もう嫌なんだ。こんな罪悪感に苛まれるのは。ずっと言っているように俺は責任を負うことが嫌いだ。俺には一家を支える責任と係長の責任でいっぱいいっぱいなんだ」。左江内はこれ以上スーパーマンを続けるのは難しいと、老人に思いの丈をぶちまける。「本当はそんな責任からも逃げたい気持ちなんだ。なんの責任も負わずたった一人で生きていきたい。それが俺の本音なんだ」と言い放ちスーパースーツを返却する。翌日、左江内に待っていたのは会社からも家庭からも解放された責任のない現実だった。様々な姿で左江内の前に現れていた男、米倉(佐藤二朗)が会社の“係長”として、家族の“パパ”として平然と暮らしていたのだ。  スーパーマンの力を失った左江内は、仲裁に入った喧嘩にまきこまれる。そこに現れたのが米倉扮するキャプテンマン。米倉は日本のスーパーマンたちをまとめあげるリーダーで、時にはアルバイトとなり左江内の前に現れ、忘却光線を浴びせ記憶を消しながら監視し続けていたこと、全てはスーパーマンを続けられるかのテストであったことを告げる。「この何カ月間か、スーパーマン本当にご苦労さん。でも、全然ダメ。君はね、失格だな。いつまで経ってもスーパーマンとしての自覚が芽生えないんだもん」、そう吐き捨てる米倉に、左江内は「俺の会社と家族まで奪うとはどういうことだ!」と返す。「奪う? 全ての責任を放棄したいって言ったじゃん! 会社の責任も家庭の責任も! だからさ全ての責任から解放してあげたんじゃん。どう? 一人でいるってどう? 何の責任も負わない気楽な生活。快適だろ? こらからは会社も家庭も忘れて。君の新しい人生を歩めや。あとは私に任せて」。これまでの米倉はとぼけたキャラクターであった。しかし、それも左江内相手の芝居。恐怖を与え、凄みのあるヒール役を演じる佐藤の演技力、そして藤子・F・不二雄の黒いSF漫画としての真骨頂が見えるシーンだ。  助けることのできなかった男の子の見舞いに訪れる左江内。「あ! スーパーマン! 僕をこの病院まで運んでくれたスーパーマンだよ」。会社にも、家族にも忘れ去られたはずの左江内であったが、ただ一人助けた男の子は左江内のことをスーパーマンとして覚えていたのだ。「手が同じ。あとは匂いも。覚えてる。抱っこしてくれた独特の加齢臭。ありがとう、これからも頑張ってね。スーパーマン」、男の子の感謝の思いに、左江内は「あの子さえ助かってくれさえすれば。責任のない人生もいいかもな」と帰り道につぶやく。全て放棄したはずの責任であったが、“あの子を救えなかったことの責任”は男の子の記憶となって残っていた。物語は左江内の妻、円子(小泉今日子)がバスジャックに拉致されたことをきっかけに、再び左江内がスーパーマンとなり元通りの平穏を取り戻す。これは筆者の推測に過ぎないが、ただ一人男の子の記憶が残っていたのは、米倉と老人が左江内に責任を全うした先に待っている感謝を伝えるためであったのではないだろうか。何よりもラストの一家団欒としたシーンには笑顔があり、勤めるフジコ建設営業3課には部下を鼓舞させる左江内がいた。  「男っていうのは責任を負うごとに強くなるもんだ」。これは第1話で老人が左江内にスーパーマンになることを勧める際につぶやいた一言だ。この言葉の通り、左江内は強くなった。家庭や仕事はもちろんのこと、生活する上でどんな行動にも責任は伴ってくる。左江内のスーパーマンのように、誰にも伝わらないこともあるかもしれない。けれど、きっと誰かがそれを見ていて、その先には感謝があるのだということを、この作品は伝えたかったのだと思う。(渡辺彰浩)

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