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『深夜食堂』は世界中の夜の人々を呼び寄せるーー回を重ねるごとに魅力増す“新生日本映画”

Real Sound のロゴ Real Sound 2016/11/09 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 ドラマと劇場版の『深夜食堂』の映像、美術と撮影と役者たちによって現れるあの場を見るとき、私はいくつかのものを連想する。  エドワード・ホッパーの絵画「ナイトホークス(夜更かしする人々)」。

 ヘミングウェイの短編「清潔な、明かりの心地よい場所」。

 ジョン・ヒューストンの映画『ゴングなき戦い(ファット・シティ)』のラストで、ジェフ・ブリッジスとステイシー・キーチが語り合うカフェ。などなど。

 夜が辺りを暗く押し包み、大多数の人たち、普通の、穏やかに生きる人が家で安らぐか、眠りにつくという時間にまだ起きていて、外にいる者たち。そんなひとたちの憩う場所が存在するということを描く表現があるのだ。 ■夜のことを知っている松岡錠司監督

 私は『深夜食堂』シリーズの中心的監督である松岡錠司氏に出くわして、話をしたことがある。場所は新宿のバー。時期は、年明けには映画『深夜食堂』が公開されるという2014年の暮れ。時刻はもちろん深夜。

 こちらは一方的に写真などで松岡監督だ、と知っていたわけだが、映画雑誌『映画芸術』の編集部の方が私を松岡監督に紹介すると、監督が、きみのツイッター読んでるよ、と言うので仰天した。  特に気の利いたこと、中身があることを書いてるわけじゃないこちとらのツイッターを松岡監督が見つけたのには理由があった。  そのころ、一応映画ライターのふりなどしてみても全然食えず、深夜に宅配便の荷物を仕分けするバイトをやっていた私は、その仕事に行く前や休憩時間、働き終えた明け方に、そこで見聞きするものやそこはかとない憤懣を書き散らしていた。映画のことか深夜の肉体労働のことしか書いてないツイッター。ろくでもないものだが、実は自身もなかなか食えない時期があって深夜の肉体労働をしていたこともあるという松岡監督は、共感をおぼえながら当方のツイッターを読んだことがあったそうだ。からだに気ぃつけて、がんばってください、と言われた。  この監督は、ひとが思うように生きることができないときがあることを知っている、ちゃんと夜のことを知っている、と思った。 ■小林聖太郎監督にむけての“手紙”

 『深夜食堂』シリーズに参加している、『かぞくのひけつ』『毎日かあさん』『マエストロ!』などの監督、小林聖太郎氏についても思い出すことがある。

 もう二十年ほども昔の、九十年代後半、小林さんが助監督修行を始める少し前の時期に私は大阪で彼と知り合っていて、それは私がシネ・ヌーヴォという映画館の映写技師、彼は原一男監督が主宰する映画ワークショップ「シネマ塾」のスタッフ、という関わりであった。後にその「シネマ塾」の成果のひとつとして原監督によるテレビドキュメンタリー『映画監督・浦山桐郎の肖像』や、書籍「映画に憑かれて 浦山桐郎」が生まれるわけだが、小林さんはその両方の制作に携わりながら、こちら映画館の人手不足を助けるようにバイトに入ってくれたこともあった。  彼が受付、私が映写でオールナイト上映をやった夜があった。お客さんが客席に入って落ち着いてからは、いろんな話をした。ほとんど内容は忘れたが、小林さんが阪神淡路大震災後にジャーナリストの今井一の助手をしていたときに考えたことなんかを聞いたと思う。また、この先どうする、何をやる、何になる、という話で、やはりあなたは映画監督になる、というのを力まずに言った気がする。私は監督小林聖太郎が現れることを数年早く知っていたわけだ。  そういう話をしたせいか、我々は8ミリカメラを回した。当時は私も監督志望で自主映画を撮っていたし、8ミリカメラを持ち歩いているときもあった。  特に考えもなく、ノリで、深夜働いている青年というようなものを小林さんが演じた。疲れてちょっと居眠りする小芝居とか。結局それは未完成のままどこかにいってしまった。幻の8ミリ映画のフィルムの断片だ。ま、これが映画ライターになる奴と映画監督になる人間の差だね。  こんなことをつい書いてしまったが、彼は妙な気分か不快になったりするんじゃないか…そうだったら申し訳ない。  小林監督に会いに行けば会えただろうし、近年はこの東京で何度かニアミスしているが、会って何の話があるだろうか。気恥ずかしい。『深夜食堂 Tokyo Stories』について書く、ということにかこつけて、思いっきり脱線しながら、深夜をともに過ごしたことのあるかつての有為の若者にして、現在活躍する映画監督にむけて手紙を書いた。あなたもまた、夜を知っているひとだと思う。それを越えてきながら立派にやっているんだと。  『深夜食堂』の世界がこれを書かせた。 ■『深夜食堂』は夜の人々を呼び寄せる

 Netflixにて視聴できる『深夜食堂 -Tokyo Stories-』全10話は、相変わらず各話が、気取らない料理を題材にする。タンメン(麺抜き)、アメリカンドッグ、トンテキ、オムライス、プリン、梅干し、白菜と豚バラの一人鍋、長芋のソテー、ハムカツ、年越しそば、という具合に。

 これらを観れば、原作とこれまでの映像化に一貫したやり方である、庶民的な食べ物を扱うという狙いはますます威力を増していることがわかる。近年の傑作な造語、無差別に猛烈な食欲を喚起せしめる残忍な行為=「飯テロ」、などと呼ばれるのはこういった料理や食べ物であって、スペインの宇宙食((c)菊地成孔)のようなものではないのだろう。  しかし『深夜食堂』はその保守性と完成度のなかにぬくぬくともしていない。第四シーズンともいえる『深夜食堂 -Tokyo Stories-』は世界百九十カ国で観られるという。その公開・流通形態が意味するのは、このシリーズが日本国内で人口に膾炙したことを納得させる、懐かしい食べ物と人情喜劇(この懐かしいは両者にかかっている)、という在り方を、エキゾチックな日本食とドメスティックな日本人の感情生活、というふうに顛倒させて問うことではないか。  ……いや、大丈夫。いけると思う。伝わる、好評をもって迎えられるのではないか、と思う。実際のところ、このシリーズの、回を重ね、年数を重ねるごとに厚みを増し、細部を充実させていく美術の蓄積や、キャストの演技と佇まいの練られ方は、まぎれもなく新生した日本映画的なものであり、ネットという新たな環境にあってもその良さがすべてを牽引している。そこに痛快なものと信ずべきものとパワーを感じる。  そして、エドワード・ホッパーやヘミングウェイも、夜の暗さや冷たさを知り、ひとが生きるための、そこからの避難所を描いた。あらゆるところに夜はある。『深夜食堂 -Tokyo Stories-』が用意するあの場所は、世界中の夜の人々を呼び寄せるに違いない。(千浦僚)

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