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『真田丸』ラストシーンに見る、三谷幸喜脚本の本質 “笑い”ではなく“人間くささ”貫く

Real Sound のロゴ Real Sound 2016/12/19 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 12月18日、50週に渡って放送された『真田丸』(NHK)が終了。最後の戦いに挑んだ真田信繁(堺雅人)の勇姿に、称賛と惜しむ声が飛び交っている。  情報過多の時代になり、視聴者はすっかり飽きっぽくなった。1クールの連ドラもかつては11~12話放送していたが、最近は8~9話で終わるものも少なくない中、一年間放送され、視聴者を最後まで楽しませ続けたのは見事と言うほかない。  さまざまな媒体で語られているように、やはり三谷幸喜の脚本が出色だった。私が3年前にインタビューしたとき、「僕は大河ドラマを書くために脚本家をやっている」と言い切ったほどの強い思い入れが随所に散見。「歴史上の出来事よりも、真田家の目線を貫く」という時代劇や大河ドラマの型にとらわれない筆致に魅了された人は多かっただろう。今後は他の作品でも“超高速関ヶ原”や、武将たちの“ナレ死”が当たり前のように見られるかもしれない。  また、真田信繁を“大河ドラマの主人公=国民的ヒーロー”として無理に立てず、序盤の主役に真田昌幸(草刈正雄)を、中盤に豊臣秀吉(小日向文世)と石田三成(山本耕史)を据えて、黒子に回したのは大胆かつ現代的。偉大な父を持った葛藤や、周囲の大物に振り回される調整役の難しさを淡々と描きながら、少しずつ信繁に人間的な魅力をまとわせていった。そもそも信繁は大坂の陣までさしたる活躍はしていない。そんな人物を一年間描き切ったのだから、さすがの三谷も骨が折れたのではないか。  人間的な魅力は、その他のキャラクターからも感じられた。小心者の徳川家康(内野聖陽)、家族思いの豊臣秀吉、理想と現実の間に生きる上杉景勝(遠藤憲一)、汁かけ飯の食べ方にこだわりを持つ北条氏政(高嶋政伸)は、ステレオタイプなイメージからはほど遠く、いち人間としての振れ幅=人間くささを感じさせた。  さらに、きり(長澤まさみ)、こう(長野里美)ら名も知られぬ女性たちにも愛情たっぷり。愛らしさや矜持を丁寧に描くなど、「1人1人のキャラクターに血を通わせるために人間くささを与えよう」というキャストへの敬意が感じられた。いずれも三谷に限らず、「史実に残る面白い部分を拾い上げ、あいまいな部分は思い切って脚色する」というスタッフのブレない姿勢によるものだろう。  こうして見ていくと、スタッフとキャストが極めて真摯かつ誠実に制作していたことが分かる。三谷が手がけることで、「お笑い大河」「喜劇大河」などと言われがちだが、『真田丸』が笑いよりも人間くささにスポットを当てた作品だったのは間違いない。そう考えると、ラストシーンに信繁ではなく、弟と異なる道を選び、生きて真田家を守るべく歩き出した真田信之(大泉洋)の姿が選ばれたのも合点がいく。  前述した“超高速”などの仕掛けも、単なる奇策ではなく視聴者を真田家目線にさせるための工夫であり、さらに、当時の混乱に思いをめぐらせる余白を生んでいた。最後まで「もし豊臣が勝ったら……」「家康が討ち取られるのでは?」と思っていた人が多かったのは、そんな余白を生む仕掛けが視聴者の脳内を動かし続けていたからではないか。  「黙れ小童!」のリフレイン、次期大河ドラマ『おんな城主 直虎』へのさりげないエール、真田丸の完成に合わせたオープニングテーマの移動などもネットをさわがせるなど好循環を呼び、若者層の視聴者を切り拓いたという意義も大きい。再放送やBSでの放送も含め、「2016年で最も多くの視聴者を楽しませたドラマ」と言っても過言ではないだろう。  三谷が脚本を手がけた2004年の『新選組!』のときは、翌々年の正月に『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が放送されたが、『真田丸』はどうなのか。堺雅人自身、「九度山のスピンオフをやりたい」と語っていたように、単発特番もないとは言えない。  ちなみに、最終回の放送が終わった今、私の頭に思い浮かんだのは、旭(秀吉の妹、家康の正室。清水ミチコ)の顔。最終回の余韻に浸りながら、なぜか「日本一の仏頂面」と言われたあの顔を思い出してしまった。こんな小技で楽しませる工夫も、現代の大河ドラマには必要なのかもしれない。(木村隆志)

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