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インタビュー:初のモンゴル出身・友綱親方、名古屋場所に挑戦

Reuters のロゴ Reuters 2017/07/18

[名古屋 19日 ロイター] - 外国人力士が活躍する大相撲。その中心はモンゴル出身力士と誰もが認めるが、意外にもモンゴル出身の親方は、つい最近までゼロだった。元関脇・旭天鵬は2015年にモンゴル出身者として初めて親方になり、今年6月に友綱部屋を継承。部屋を持つ「師匠」として、9日から始まった名古屋場所に初挑戦している。

日本の一般社会に比べて「上下関係」が厳しく、独特の慣習がある相撲の世界で、外国人の少年がどのように成長し、出世していったのか。ロイターが親方に単独インタビューした。

友綱親方が、今でも昨日のように思い出すのは、新弟子として入門後間もなく、モンゴルから来た他の4人とともに、部屋から「逃げた」ことだ。もう1つは、史上最年長の37歳で平幕優勝したとき。優勝が決まった瞬間、花道にいた付け人が号泣したシーンは、今でも角界の中で語り継がれている。

30歳(2005年)の時に日本国籍を取得した。大きな分かれ道だったが、将来、親方になるには日本国籍の取得が日本相撲協会の条件となっており、日本への帰化を決断した。日本人の妻との間に現在1男2女がいる。

インタビューの詳細は以下の通り。

──1992年、モンゴルから6人の少年たちが来日し一緒に相撲部屋に入門した。16歳で日本に来て、何に一番苦労したか。

「しきたり、稽古、食事、上下関係。言葉が一番かな。怒られても理解できないし、ほめられても理解できない。好きなものも食べられず、稽古場でストレス、食べる時にストレス、休みたくても休めない。一番最後に寝て一番最初に起きないといけないからね、一番下は。16歳の子には理解できなかった」

――耐えられず部屋から一度逃げ出したというが、その経緯は。

「6人の中で誰かが『じゃあやめるか』って言った時に、連鎖反応が起きた。本場所が終わって、他のみんなが地方巡業に行って、人が少なくなった時に。僕ら教習所という相撲の学校に通っていたけど、『これが終わったらきついんじゃないか』って。ちょうど先輩たちは巡業に行っていなかったので、ここだ、って出て行った」

「夜中に出て行って朝いちで(モンゴル)大使館に行った。5人が逃げて、2人はそこから相撲部屋に戻り、3人がモンゴルに帰った」

「2カ月モンゴルにいたけど、親方が来て、絶対強くなるよ、と言われて、わかりました、と一緒に戻って来た。それが2回目の入門になった。最初よりは、相撲ってどんなものかわかってるから多少はやりやすかった」

──その後、長く相撲を続けられたモチベーションは。

「父親が当時病気だったのもあるし、結婚したというのもある。その後、子どもも生まれて、いろんなモチベーション上がることがその都度その都度あった。その後、優勝しちゃったから、やめるにやめられなくなった」

──2014年に優勝したが、何か強くなる要因があったのか。

「部屋が変わったのが大きかった。大島部屋から友綱部屋に移籍して最初の場所で、自分がやめて親方になるという選択肢もあったけど現役続行を選んだ。いい成績じゃなかったら、やめたほうがよかったと言われる。それが一番いやだったから最低でも勝ち越さなきゃと。そしたらなんか知らないけど優勝しちゃった」

インタビュー:初のモンゴル出身・友綱親方、名古屋場所に挑戦 © REUTERS インタビュー:初のモンゴル出身・友綱親方、名古屋場所に挑戦

──ほとんど怪我もなく、40歳過ぎまで現役を続けられた秘訣は。

「原点は、丈夫に産んでくれた親。いろんな人の助言、自分で感じて勉強したというのもある。いろんなことが重なってそういう結果になった。要因は1つだけ、ではない」

──相撲というスポーツは、親方にとってどういうものか。

「非常に人間を成長させる。結果が全てで、その都度その都度わかるし、本人のがんばり次第で天井はない。チームスポーツは1人がうまくても成り立たない。相撲は、1人で成り立つ。どんどん出世していくし。昨日部屋に入った子と、10年20年やってる人が同じところで生活しているわけだから、学ぶことはたくさんある」

──日本についてどう思うか。最初に来た時と見方が変わったか。

「国民としては非常にやさしいし、頑張りやさん。相撲界で、これだけモンゴル人が来て上位を占めていても、みんな平等に応援する。これはたぶん日本人にしかできないことじゃないかと思う。他のスポーツでもそうだけど、外国から来て頑張っている人に、平等に応援する、というのは世界中探しても、だんとつに日本じゃないかな」

「批判しようと思えばいくらでもできるのに、ブーイングなど、品の悪いことは絶対にしない。素晴らしいことだと思う。(相撲界の)中にいながら、長年やっていて、それを一番思った」

──次の目標は。

「次々と新人を入れていかないといけない。名古屋が初めての場所だから、ここを無事に終わりたい。1場所2場所やっていくと、方向性も見えてくるだろうと思っている」

──モンゴルからスポーツの賞をもらっているが、母国にどんな貢献がしたいか。

「地元のナライハには、父が亡くなってから、町の病院に人工透析の機械を5台入れたり、ベッドや車いす、救急車も4台寄付した。モンゴルとなると規模が大きすぎて難しいけど、故郷の町ナライハにはいろいろしてあげたい」

*インタビューは5日に名古屋で行われました。

*写真を追加します。

(宮崎亜巳 編集:田巻一彦)

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