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休日に「ボーッとできない」を乗り越える方法 「無心になる」は練習次第で習得できる

東洋経済オンライン のロゴ 東洋経済オンライン 2017/08/12 小池 龍之介
「考え」や「言葉」にとらわれすぎて、思考回路がマンネリ化しているときには…(写真:ecobkk / PIXTA) © 東洋経済オンライン 「考え」や「言葉」にとらわれすぎて、思考回路がマンネリ化しているときには…(写真:ecobkk / PIXTA)

 慢性的に脳が疲れている状態の現代人。ボーッとして疲れを取ったほうがよいときでも、スマートフォンをつい見てしまったり、「そういえばあの仕事どうなったかな」「明日は何をしなければいけないんだっけ」とつい考えてしまい、心身が休まる暇はないようです。鎌倉・月読寺の住職であり、座禅・瞑想の指導をする小池龍之介氏に、上手に脳を再活性化させる「ボーッ」とする方法についてつづっていただきました。

何もしない時間

 今回は、ボーッとすることについて考察を深めてみたいと思います。ボーッとすると、心身が休息するということは、何となく誰もが知っているはずですね。

 仕事に疲れてお風呂につかっているときや、何をやってもうまくゆかず、ひとまずあきらめて寝転がってみるときや、はたまた待ち合わせに早く着きすぎてポケーッとしているとき、などなど。

 その際にも、スマートフォンに夢中になったり、集中して本を読んだりすると、ボーッとできません。思うに、ボーッとすることの本質は、意識が具体的な「何か」への興味を失っていることにあるからです。

 現代人は、残念ながらつねに情報の入出力を繰り返して、いつも「何か」に興味を持っているので、心休まりません。

 ところがそれでもなお、どうしても疲れ切ったときや、大きな仕事が一段落したとき、完全に行き詰まってあきらめたときなどには、ごく自然に放心したようになり、何もかもどうでもいい気分になるものです。心身のリズムとしては、さすがに限界になる前に、あらゆる「何か」への欲望を放り捨てて、ボーッとして休息する防衛措置を取っているのかもしれません。

 そういうわけで、誰しも知らず知らずのうちに「ボーッ」とすることの恩恵を受けてはいるはずなのです。ところが同じ「ボーッ」とすると申しましても、その内容や質は各人各様に、まったく異なるものでしょう。

 大まかに分けてみますと、ボーッとしていったん何も気にならなくしてリセットするのが上手な人もいるでしょうし、ボーッとしているつもりでもその途中でいろいろなことが気になってあまり休息にならない人もいることと思われます。

 では、この両者の差はいったい、何でしょうか。どうせボーッとするなら、上手にボーッとすることがかなうように、いくつかのヒントを提案いたしましょう。

 ボーッとしているときの、思考について思い出してみてください。ボーッとしているとしても、何らかの考え事は頭の中で展開しているものですね。

 ただし、そうは申しましても、普段の思考とは、何かが違うのではありませんか? 普段は「あの人はおかしいよ」という考えが生じると「本当にそうだ! あの人はおかしい」と同意しているはずです。「この仕事は面倒だなあ」と考えが生じているとまた、「そうだそうだ!」と同意し、それらの考えに一体化しているのです。

 ところが、程よくボーッとできているときは、どうでしょう? 「あの人はおかしい」とか「面倒だ」とかいう思考が湧き上がってきても、それらの思考に興味を持たず、入り込んでいかないのです。

 ですからボーッとしているつもりでも、湧き上がってくる考えにとらわれて、「やっぱり、これが気になる!」となりがちな人は、うまく休めないはずです。うまくボーッとできる人は、「何か考えが湧いているみたいだけど、まあどうでもいいや~」と、湧いてきた考えに引っ掛からないで済む力があるといえるでしょう。

どんな考えや感覚も気にしないで放っておく

 とはいえ、いかにボーッとするのが上手な人であっても、実際にはいろいろな考えや、音や暑さや寒さなどがふと気になって、しょっちゅう、いわゆる「われに返る」状態になっているはずです。

 もっと徹底してボーッとしてみるためには、どんな考えや、どんな感覚も気にしないで放っておく、ということが重要なのです。

 そのために有用なイメージをいくつか提案してみますので、なるほどと思えたら試してみてください。

 1つ目のイメージです。いろいろあって大変だった一日の終わりに、お風呂に入ってのんびりしているかのようにイメージしてみます。そして、バスルーム用の窓の多くがそうであるように、外がぼやけて見えるすりガラス窓があるとイメージします。

 さて、いろいろな考えが自然と湧き上がってくるにつれて、一つひとつの考えを、窓の外を浮き飛んでゆく風船としてイメージしてください。いかがでしょう、風船のおぼろげな色はわかっても、どんな形でどんな大きさなのかまでは、はっきりと見えないはずです。

 そんな風船たちが窓外をふわふわと飛んでゆくのを、バスタブにくつろいでボーッと眺めているような心持ちに、保ってみます。

 こういった距離感がわかってくると、何か考えてはいるのだけど、その考え、つまり窓外の風船たちは、内容も詳しく見えないし、その考えへの興味が薄れてくるはずです。

 重要なポイントは、こうです。「あの人、嫌な人だ」とふと思い出しても、「窓の外の風船だなあ」と放っておき、興味を持たなければ、その考えに別の考えが連鎖しなくなります。連鎖とは、たとえば「あの人、嫌な人だ」→「だって、あんなことを言うなんて」→「でも、こうやって嫌って敵をつくるのもよくないからな」→「でも、あの人のせいだから仕方ない」→ ……など、など。

 こうした連鎖がズラズラ続くと無駄に消耗するものですね。ところが、「そんな考えも窓の外に勝手に飛んでいくみたいだけど、ま、いっか」と興味を持たなければ、それ以上は連鎖せずにパッと終わってしまうのです。

 その考えは消えたとしても、また、新たな別の考えが湧いてきはするでしょう。

 そういうときも、「ま、いっか」です。次々に風船が飛んでくるようなもので、どれも相手にしないでボーッと眺めておきましょう。

 「明日はどうなるかな」、それも、「ま、いっか」と考えれば、それ以上続かない。「夕飯はどうしようか」、それも、「ま、いっか」。「今、何時だっけ」「ま、いっか」。「犬の声がするな」「ま、いっか」。

 そんなあんばいに、すべての考えも感覚も、ボンヤリと流して引っ掛からないようにしてみてください。

 すると、何も気負うものがなくなって、心の底から休息しているのを、感じることでしょう。

眼鏡を外して神経細胞からの文書を眺める

 もう一つ、イメージを提案してみます。それは、ボーッとしているときに浮かんでくる考えを、官僚が政治家を操ろうとして政治家に対して上げてくる文書として、イメージしてみてください。

 どういうことかといえば、ボーッとしているはずが勝手に湧き上がってくる考えは、「私が」作り上げた「私の」考えだとは、必ずしも感じられないでしょう。それはあたかも、頭の中に膨大な数の神経細胞たちという名の官僚たちがいて、次々に「こうしろ」「ああしろ」「こう思え」「喜べ」「怒れ」などと、思考という名の文書を送ってくるようなものです。

 平素は、これらの文書を「そのとおりだ!」と思い込んで、すべて実行して生きていますが、徹底してボーッとするにあたっては、次のようにイメージしてみてください。

 どんな思考が湧いてきても、そうした思考や喜怒哀楽の一つひとつを、官僚から上げられてきた書類一枚一枚としてイメージします。そのうえで、それらの書類をボンヤリ眺めて、「何が書いてあるのかきちんとわからないなあ」と焦点が合わないような具合にしてやるのです。

 眼鏡をかけている方なら、眼鏡を外して書類を眺めたときの、ボヤーッとして焦点が合わない感じをイメージしていただいても、よろしいかと思います。

 すると、たとえ頭の中では「今日はあんな失敗をしてしまって……」とクヨクヨしていても、そのような官僚の文書に焦点を合わさずにボヤーッと眺めていれば、そのクヨクヨはよく見えなくなるため、意味を失います。

 またたとえ、「あれもやり忘れていた! 早くしないと」という焦りがやってきても、焦りの官僚文書について、眼鏡を外したような心地で眺めていれば、その焦りは意識への影響力をすっかり失います。

 このようにして、真にボーッとし始めるなら、喜びも怒りも哀しみも、心を奪うことはできなくなり、心が空っぽさの安堵感を味わうのです。

 風船のイメージにせよ、官僚文書のイメージにせよ、それらについてポヤーッとしてみましょうという勧めは、阿呆になり切ってみましょう、と言い換えることもできましょう。

考えがマンネリ化したら、ボーッとしきる

 ところが、そうやって阿呆になり切ってみて、何も望まず期待せず、徹頭徹尾ボーッとしてみるなら、意識がクリアに覚醒してくるのがわかるはずです。

 これは、精神の覚醒レベルや充足感・安定感をつかさどっているセロトニンの、脳内分泌が高まるためと思われます。結果として、「阿呆になり切る」という言葉の字面とは裏腹のことが起こるのです。頭が冴え冴えとして、直感力や判断力といった、言葉抜きの智慧(ちえ)が働きやすくなります。

 「考え」や「言葉」にとらわれすぎて思考回路がマンネリ化している場合、ボーッとし切ることは、特効薬になるでしょう。浮かんでくる考えをボンヤリ流すままにするとは、習慣化している思考回路に対してボーッとして、興味を落としてしまうことともいえます。

 言い換えますと、脳の神経細胞同士のネットワークのうち、パターン化して、電気刺激が通りやすくなっている回路への、興味と執着を脱色することになるでしょう。つまり、習慣化していた細胞間の回路への執着を弱めることで、より有用な別の未知の回路に電気刺激が通りやすくなる、ということでもありそうです。

 かくして、執着を手放していれば、その阿呆っぷりの真っ只中において、従来とは違った閃(ひらめ)きや決断が、スパーンと生じてきたりもするものなのですよ。

 ところで蛇足ながら、こういった「効用」を欲しがって、すぐにボーッとすることはできませんし、心も休まりません。何にも気負わず期待せず、阿呆になるという先入観のなさと素直さが大切なのですよ。

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