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日本のアニメーションはキャズムを越え始めた 『君の名は。』『この世界の片隅に』から考察

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/01/22 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 宮崎駿監督の長編引退宣言、そしてスタジオジブリ製作部門の休業によって、国民的なヒットメイカー不在の危惧がささやかれていた、日本の劇場アニメーション。2016年から2017年にかけ、思いもよらないところから奇跡的な大ヒットを達成する作品が生まれた。  ひとつは『君の名は。』である。若い世代の観客を中心に一大ムーヴメントを起こし、急速に映画館が増え続けている中国などで、日本映画興行収入の新記録を打ち立て、世界の興行収入の累計で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』を抜き、日本映画最大のヒット作とまでなった。  もうひとつは、『この世界の片隅に』だ。全国63館という公開規模から、熱狂的支持を得て口コミ、SNSなどによって公開館数を増やし、累計で200館以上にまで達するという偉業を達成、観客数はついに100万人を突破した。興行収入は10億円を突破、300億超えの『君の名は。』の規模とは比べにくいが、当初の状況から見れば、同じくらいの奇跡が起こっているといえる。  これら作品の、ここまでの快進撃は、誰にとっても予想外のことだっただろう。様々な映画賞を獲得するなど、内容への評価も高い。『君の名は。』は、アカデミー賞の前哨戦としても有名な、ロサンゼルス映画批評家協会賞まで受賞している。  そして、世界でも最古の映画賞といわれる、日本の映画評論家が中心となって選ばれる「キネマ旬報ベスト・テン」で、『この世界の片隅に』が日本映画一位を獲得したのも、いままで一位となったアニメーション作品が『となりのトトロ』のみであったという事実から考えると快挙だといえる。興味深いのは、ここで『君の名は。』が、ベストテン圏外となっているという現象である。事実上、国内で最も権威あるといわれる賞において、このような差が生まれたことから、一部から疑問が寄せられる事態となった。  日本と海外において、このような結果が生まれたのは何故なのだろうか。それを考えることで、同様に奇跡を起こしながら、じつは内容的に対照的といえる両作品の本質的な違いが浮かび上がってくるはずである。これからの日本の劇場アニメーションをうらなうという意味でも、この点について考えてみたい。 ■『この世界の片隅に』は従来の戦争映画とは“違う”のか  結果から見ると、『この世界の片隅に』は、日本の一般的な観客から評論家まで「評価しやすい」作品だといえるだろう。それは、この作品が従来の戦争映画の流れに沿うものだったからだ。  『この世界の片隅に』が、戦争を題材にした映画でありながら、「いきいきと楽しそうに描かれている」ことから、「従来の戦争映画になかった表現」と評価した観客がいたことは確かだ。さらに一部では、そういった描写をもって「反戦映画でないから良い」とするような見解も一部であったようだ。しかし実際には、「反戦映画」が、ひたすらに陰鬱で面白味がないトーンで描かれているものばかりだというイメージ自体が、「戦争映画」にそれほど触れてこなかった観客による誤解である。近年の反戦的なテーマを持った日本映画を見ても、『一枚のハガキ』、『父と暮らせば』、『母べえ』、『少年H』など、ユーモアを含んだ一生活者の物語が描かれている。  「戦争」というものを、俯瞰するようなマクロ的視点でなく、個人的な感覚や生活者の実感をもとに描いていくという、一種の文学的テーマは、坂口安吾の小説「白痴」からだともいわれる。『この世界の片隅に』や、その原作漫画も含まれる、このような流れの作品は、人間をみずみずしく表現することによって、より痛みが説得力を持ち、反戦的なテーマが一層強く輝くという性質を持っている。  そのなかでも最も『この世界の片隅に』に近いといえる映画といえば、木下惠介監督の名作『二十四の瞳』が挙げられる。いきいきとした女性を主人公とするほのぼのとした物語が、戦争によって悲劇へと変わっていくという構造は、ほぼ同じだといえる。この作品、当時の「キネマ旬報ベスト・テン」において、やはり日本映画一位を獲得している。  リアルタイムで太平洋戦争を体験した世代は少なくなり、それを描く映画のリアリティは徐々に希薄になりつつある。そのなかで『この世界の片隅に』は、膨大な歴史資料や口伝を参考に、戦争を知らない世代の作り手が、作品を優れた戦中世代の水準にまで引き戻すことに成功したという意味において、非常に貴重だといえるし、今後の可能性を指し示す希望を与えているといえる。これこそが『この世界の片隅に』の大きな内容的達成である。映画に詳しい評論家が、この作品を評価するのも当然だろう。 ■立ちふさがる「日本的文脈」の壁  『この世界の片隅に』が、戦争の惨禍を伝える世界中の映画と同様、多くの観客に通じる普遍性を持っているのは確かだ。ただ、その一方で、これが世界の一般的な層にまで広く波及することができるかという意味では、疑問に思う部分もある。日本ですら、「戦争映画を観に行くのはしんどい」という声をよく聞く。  日本アニメを輸入する業者のある代表は、日本の作品に特有の表現(日本的文脈)が、アメリカ市場においてヒットさせる上で障害となる場合があると述べている。具体的には、「敗戦の記憶」である。東欧の映画が、社会主義崩壊による政変や経済危機などによって、いつでもどこか暗い雰囲気を負っているのと同様、『シン・ゴジラ』のなかで、「戦後は続くよどこまでも」というセリフが象徴するように、日本映画やアニメにも、そのような悲しい記憶が貼りついているというのだ。第一作『ゴジラ』や『風の谷のナウシカ』などで見られる世界観は、空襲によって荒廃したイメージであり、作り手の意識から立ち上がってくる「日本的文脈」のなかの、ひとつの原風景であろう。  『この世界の片隅に』の悲劇性というのは、ここで描かれる「暴力」の被害に遭った当事者である日本人にとって、強い衝撃を与え、国民的映画としての盛り上がりを獲得したが、これはまさに日本的文脈そのものだともいえる。楽しいアニメ作品を期待する、子供を中心とする他の国の一般的な観客においては、表面的な意味で訴求力が削がれているといえるかもしれない。  対して、『君の名は。』はどうだろうか。これまでの新海誠監督の作風は、ひたすら暗く内省的であり、前述した日本的な暗さや悲観性を、そのまま体現したような典型例だといえる。しかし、『君の名は。』に限っては、監督本人が語る通り、プロデューサーなどによって、多くの部分が矯正されたという経緯を持っている。おそらくそれは、マイナーに思える部分を、できるだけメジャーな方向へ転換していくという試みである。このように、作家性を一部削ぎ落としていく過程で、『君の名は。』は「受け入れやすい」ものへと、表面的には大変貌を遂げている。もちろん、『君の名は。』においても、東日本大震災などを思い起こさせる「日本的文脈」というのは随所に存在する。だがここでは、それら悲劇的要素すらも、無神経とすらいえるくらいに、娯楽的な要素へと転化させているのである。この図太さというのは、「日本的文脈」を、ある意味乗り越えているという言い方もできる。 ■ヒット映画に対する「大衆か芸術か」論争  『君の名は。』の基になっているといえる、『君の名は』(1953)は、橋の上で出会った男女が、戦火に巻き込まれ、お互いの行方を捜そうとする、主演の岸惠子がストールを肩から頭にかけて巻いたファッション「真知子巻き」もブームになったくらいヒットした「すれ違い恋愛物語」だ。さらにこれは、太平洋戦争の前に撮られた『愛染かつら』(1938)が原型としてある。  『君の名は』や『愛染かつら』は、大ヒットを記録したにも関わらず、もちろん「キネマ旬報ベスト・テン」ランク外である。『愛染かつら』に至っては、ある評論家は「催涙映画」だとして、激烈に批判した。このような批判に対し、当時の映画会社経営者は、「映画は常に大衆の物」であるとし、大衆と批評家の乖離について反論を展開した。こういった論争が、1930年代から白熱していたというのは面白い。  いずれにせよ、『君の名は。』が、過去の作品を参考に大衆的なヒット作を目指していたことは間違いないはずだ。それがあらゆる面で徹底されていると思えるのは、普遍的な意味での「癒し」が提供されているという点だろう。いまの恋人や、将来出会うだろうパートナーは、何かロマンティックで神話的なつながりがあるんじゃないかという、ここで提示されているスピリチュアルな世界観というのは、「自分はこれでいいんだ」と観客たちに思わせる、「現状の追認」の意味が付与されているはずだ。作中での災害を回避しようとする取り組みなどを含めると『君の名は』や『愛染かつら』よりも、過激なまでに「観客の見たいものを見せる」作品だといえるかもしれない。  近年のアニメ作品において、この感覚に近かったのが、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』である。だが、作中で「都合のいい奴」というセリフによってエクスキューズされるように、その後の展開では、続編によって、現実から遊離しすぎてしまった描写については負債の清算をさせられることになった。「エヴァンゲリオン」という作品は、このように前進、後退を繰り返しながら、それでも少しずつ前に進もうとする物語である。たとえ、元にいた場所よりも後ろに下がっていたとしても、それでも前に進もうとする意志を、観客を不快にさせてまで見せようとする。そして、そこにこそ娯楽を超えた文学性が宿るということになる。『君の名は。』に物足りなさを感じる観客がいるなら、そのような点の欠如においてではないだろうか。そして『君の名は。』は、そういったことを十分に認識した上で、あえて作られているということも確かである。 ■日本のアニメーションに今後求められていくもの  ビジネス用語では「キャズム(谷)を乗り越える」とも表現されるが、映画ファンやアニメファンなどの固定的な観客の枠を超えて、一般的な観客に認知されだすと、とんでもないビッグヒットを生み出す可能性を得るということが、今回の二つの作品によって、あらためて印象づけられたといえる。とくに『君の名は。』が世界的に達成した快挙は、後進の可能性を大きく切り拓いたという意味で、偉業であるだろう。この状況下において、日本のアニメーションに今後求められていくものというのは何なのだろうか。  それは、「日本的文脈」を継承しながらも、題材や絵柄の点で、またはよりグローバルな価値観と結びつくことで、それを乗り越える部分を持って、マニアックで閉じられた従来の雰囲気を開放させるということである。そして、ヒットした作品の要素を安易に拾うだけでなく、日本のアニメーションがもともと培ってきた、文学的だったり哲学的だったりする深い内容を、その上にできるだけ自然なかたちで乗せていくという努力だろう。  幸いなことに、今後の日本の劇場アニメーションは、それら条件をクリアーし、キャズムを越える期待を感じさせるようなラインナップが並んでいる。「東のエデン」や「精霊の守り人」で確かな演出力を発揮した神山健治監督による『ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜』。 トランス的な浮遊感が魅力の『マインド・ゲーム』湯浅政明監督による、『夜は短し歩けよ乙女』と『夜明け告げるルーのうた』。岩井俊二の実写作品「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のアニメ映画化企画。そして、「魔法少女☆まどかマギカ」の虚淵玄が脚本を手掛ける、アニメ版『GODZILLA』などなど…。  アニメ放送が深夜帯に流れていくなどして、一般的な観客にとっては、スタジオジブリ作品以外はマニアックなイメージが付きまとい、海外でもカルト的な評価が多かった日本のアニメーションの状況だが、いま、ビッグヒットによって、かつてのように普遍的な位置へと復権していく雰囲気が醸成されてきているように感じられる。この追い風の中で、評論家と大衆の乖離を埋めるような、幸せな作品が次々に生まれることを願っている。(小野寺系)

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