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映画とは“窓越しの覗き見”であるーー『皆さま、ごきげんよう』『パリ、恋人たちの影』の構図を考察

Real Sound のロゴ Real Sound 2016/12/31 株式会社サイゾー
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 数多くの映画監督が窓を繰り返し描いてきた。ジャン・ルノワールは『牝犬』(1931)や『素晴らしき放浪者』(1932)、『ピクニック』(1936)などの重要な場面で窓を巧みに使ってみせた。アルフレッド・ヒッチコックは『裏窓』(1954)という窓の映画の古典を撮り、さらには『めまい』(1958)や『サイコ』(1960)、『鳥』(1963)などの重要な場面で窓を登場させた。ヴィム・ヴェンダースは『パリ、テキサス』(1984)で明らかなように窓とそのガラスに魅せられた映画監督である。日本映画では、成瀬巳喜男や神代辰巳が特徴的な窓の使い方をしている。(メイン写真=『パリ、恋人たちの影』) 参考:蓮實重彦ら著名人、オタール・イオセリアーニ監督作『皆さま、ごきげんよう』に賞賛コメント  オタール・イオセリアーニも勿論、忘れる訳にはいかない。初期の中篇『四月』(1961)ですでに多数の窓が描かれ、窓を通して室内の様子が示されていた。ある種の覗き見の感覚がここにもう存在しているが、『月曜日に乾杯!』(2002)では、窓を通しての覗き見が直接描かれることになる。下着姿の若い女性が部屋の窓を開けている。すると、向かいの家に住む中年女性が窓越しに彼女を覗き見して、同時に、神父もより離れた教会の窓から望遠鏡で覗き見するのだ。さらに、窓越しではないが、男たちが修道女たちを覗き見する場面もある。  現在公開中のイオセリアーニの新作『皆さま、ごきげんよう』(2015)でも、窓越しの覗き見が描かれる。警察署長が自宅の窓から向かいのアパートに住む人々の様子をこっそりと観察するのだ。『月曜日に乾杯!』の神父と同様、『皆さま、ごきげんよう』の警察署長も望遠鏡を使用する。また、二人とも俗物として描かれている。ただし、大きな違いがある。『月曜日に乾杯!』の覗き見があくまで性的な視線であったのに、『皆さま、ごきげんよう』の覗き見は何より権力者の監視なのだ。従って、窓越しの覗き見がイオセリアーニの映画で示す根源的な性格は、性や権力とは別のものに求められねばならない。それはこの眼差しがまさに映画の視線であるということだ。  映画館の観客の視線は覗き見に他ならない。観客は映画の登場人物たちの行動を見つめるが、登場人物たちから見つめ返されることはない。映画の視線とは非対称的な覗き見なのだ。映画の後半では、警察署長の監視がエスカレートして、モニター画面に映像が映し出されるまでになるが、このモニターは覗き見が映画の視線であることを強調している。ヒッチコックの『裏窓』と同様、窓はスクリーンであり、覗き見は観客の視線なのだ。確かに、『皆さま、ごきげんよう』では、子どもたちのボールが人類学者の部屋の窓を割るように、窓は内部と外部が通じ合う境界でもある。だが、楽園に通ずる秘密の扉とはやはり違うものだ。何より窓はスクリーンとして、戦場の様子を子どもたちに見せるテレビと同質の機能を担っている。  『皆さま、ごきげんよう』以外にも、今年公開された多くの映画で窓が描かれている。トッド・ヘインズの『キャロル』(2015)は窓の映画、より正確に言えばガラスの映画だ。日本映画では、黒川幸則が『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(2016)の冒頭と歌の場面で窓越しのショットを撮り、山田尚子の『映画 聲の形』(2016)の重要な場面にも窓が登場する。  ここでは、来年1月21日より公開されるフィリップ・ガレルの『パリ、恋人たちの影』(2015)を取り上げてみたい。愛人のピエールが帰った後、エリザベットがベッドの上で仰向けになって見つめる窓。その奥に見える冷たい空が印象的だ。だが、別の場面で、ガレルもまた覗き見を描いていることに注目したい。エリザベットが通りを歩いていると、ピエールの妻マノンがカフェで浮気相手と会っているのをカフェの窓越しに盗み見る。移動ショットがこの視線を模倣する。エリザベットがマノンの浮気現場に遭遇するのは、これが二度目だ。一度目もカフェで、エリザベットはなかに入ってから二人に気づく。これは窓越しではない。だが、カフェから出ると、彼女は通りから窓越しに二人を再びちらりと盗み見る。屋内のカメラがこの窓越しの眼差しをマノンの背後の鏡のなかに示すという凝った構図が忘れ難い。  エリザベットだけでなく、ピエールも覗き見をする。彼女と違い、ピエールの行為は故意によるものだ。カフェでマノンと母親と女友達の三人が話をしていると、ピエールがそれを通りから窓越しにこっそり見つめる。マノンが浮気相手と会っていないか確かめに来たのだ。この覗き見がピエールの側からではなく、女たちの側から、つまりカフェの内部から描かれ、マノンの女友達が彼の姿を発見する。『パリ、恋人たちの影』における窓越しの覗き見は、いずれも外の通りから店の内部を見つめるもので、しかも嫉妬のような強い感情を伴っている。この点で、この視線は『皆さま、ごきげんよう』よりもギヨーム・ブラックの『やさしい人』(2013)における窓越しの覗き見に近い。ただし、その凝ったカメラ位置は、この二本の覗き見のどちらとも異なる性格を視線に与えている。例えば、ピエールの覗き見は、この視線を終わらせる女友達の視線によって初めて映画内に示されるのであり、その意味で、この覗き見は非対称的な映画の視線の不幸な終わりしか告げていないのだ。  来年1月7日より公開されるホセ・ルイス・ゲリンの『ミューズ・アカデミー』(2015)に頻出する窓は、『皆さま、ごきげんよう』の窓とも『パリ、恋人たちの影』の窓とも違う特異なものだ。窓そのものよりそのガラスが重要だという点では、『キャロル』の窓に近い。最大の特徴は、窓が登場人物の視線を通過させず、ただカメラが外から窓越しに中の人物を撮ることである。登場人物は覗き見をせず、ただカメラだけが人物たちを覗き見るのだ。  その意味では、『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』の窓が同じ機能を担っている。『ミューズ・アカデミー』では、大学の講義の場面を除き、カメラが執拗に人物たちを窓越しに捉え続ける。主人公の大学教授が女子学生たちと生身の関係を築こうとすると、窓越しのショットはいったんなくなるが、ラスト近くで再び登場する。ガラスの上で光が反射することに注意しよう。ガラスの奥の人物たちの顔を見ようとして、観客は光の戯れを目にすることになる。この映画では、ガラスはカメラのレンズの役割を果たし、その不透明性が強調されている。カメラのレンズは実在を捉えず、その表象しか捉えない。だが、ホセ・ルイス・ゲリンはそこに積極的な意義を見出す。彼は生身の女性ではなく、ミューズというイメージと戯れ、カメラのレンズが捉える表象と積極的に戯れるのだ。  かつてライプニッツは、モナドには窓がないと主張した。映画では至る所に窓が映し出される。確かに、『素晴らしき放浪者』の窓は異なる世界を生きる二人の登場人物を出会わせた。だが、本当に映画の窓は開かれているのだろうか。『皆さま、ごきげんよう』の警察署長は窓という監視装置によって他者と出会えているのか。『パリ、恋人たちの影』や『やさしい人』の窓は他者の見知らぬ姿を発見する四角い枠であると同時に、見つめる人物の強い感情を投影しながら彼を孤立させるスクリーンでもあるのではないか。  『ミューズ・アカデミー』の窓とそのガラスを見ていると、レオス・カラックスの『ボーイ・ミーツ・ガール』(1984)のラストに登場した窓のように、全ては閉じているように思えてくる。けれども、それは決して絶望ではない。映画は実在を捉えないが、人間の瞳がそもそもレンズであって、実在を捉えていない。人は実在の世界、すなわち現実世界を生きていながら、表象しか知覚していないのだ。だが、ならば何故、表象に意義を見出さないでいられようか。そして人は映画によってこの表象というフィクションと豊かに戯れることができるのだ。(伊藤洋司)

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