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未来よ こんにちは 【今週末見るべき映画】

エキサイトイズム のロゴ エキサイトイズム 2017/03/23

雑誌「暮しの手帖」の元副編集長で、映画ジャーナリストの二井康雄さんが、多くの映画の中から「今週末見るべき映画」をレビューします

 よく、ひいきの女優さんは?と聞かれることがある。すぐ思いつくのが、イザベル・ユペール、シャーロット・ランプリング。ふたりとも、すでに大女優。日本で公開される映画は、まず、見に行く。イザベル・ユペールは、最新作のポール・バーホーベン監督の「エル」では、獲得はできなかったが、今年のアカデミー賞の主演女優賞にノミネートされた。「エル」は、今年、公開予定と聞いているが、その前に「未来よ こんにちは」(クレストインターナショナル配給)が公開となる。

© Provided by Excite.ism

 イザベル・ユペールは、パリの高校の哲学教師ナタリーに扮する。夫のハインツもまた哲学の教師。子どももすでに手がかからない。一見、何の問題もない家族で、なに不自由ない暮らしに見える。ところが、近くに住む母親の認知症が進行、介護が必要になってくる。さらに、結婚して25年のハインツが、突然、「好きなひとが出来た」と言い、家を出ていく。人生のやっかいな出来事が、一挙に、ナタリーに襲いかかってくる。

 イザベル・ユペールの一挙一動が、もう完璧。セリフ回し、無言の仕草、表情……。いくら誉めても誉めすぎることがないくらい巧い。

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 しのびよる老いは、誰しも、隠せない。老いて、死ぬ。時の移ろいは、誰にでも、平等である。老いつつあるナタリーは、孤独になる。では、どのように、未来に向けて、老いつつある人生を生きようとするのか。

 単純な話ではあるが、脚本を書き、監督したのは女性のミア・ハンセン=ラブである。監督の両親もまた、哲学の教師だったそうだ。ここには、監督の世界観とでもいうべきものが、凝縮した形で投影されているようだ。誰しも、年齢を重ねる。老いる。時の流れに逆らうことが出来ない。子どもが巣立っていく。親が死ぬ。孤独である。それでも、なんとか未来に向けて、生きていくしかない。

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 以前、ミア・ハンセン=ラブは「あの夏の子供たち」を撮っている。映画プロデューサーだった男が自殺する。父の秘密を知って長女が憤る。母親が言う。「死は人生の数ある出来事のひとつ。パパの愛の深さを忘れないで」と。

 この映画では、ジョナサン・リッチマンの「エジプシャン・レゲエ」、ジョン・レイトンの「ジョニー・リメンバー・ミー」、リー・ヘイゼルウッドの「ザ・ガール・イン・パリ」、ドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」などを、ドラマの進行に合わせて、効果的に挿入。そのセンスに驚いた。

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 本作でもまた、映画の展開にみごとにマッチした選曲を披露する。ナタリーが、優秀な教え子と車に乗っている。ウディ・ガスリーの「マイ・ダディ・フライズ・ア・シップ・イン・ザ・スカイ」、ドノヴァンの「ディープ・ピース」が流れる。

 なかほど、ナタリーと夫が車に乗っているシーンと、エンド・クレジットでは、シュトルベルクの詩にシューベルトが曲をつけた歌曲「水の上で歌う」が、ディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウのバリトンで唄われる。最後の一節はこんな詩である。「昨日も今日も 時は去っていく 私もいつか 輝く翼に乗って高みに舞い上がり 過ぎゆく時の流れから消え去っていくだろう」。

 ナタリーの母イヴェットの葬儀でのオルガン曲は、フランクの「前奏曲、フーガと変奏曲」である。

 そして、エンド・クレジットの最初に流れるのは、フリートウッズの唄う「アンチェインド・メロディ」だ。もう、ミア・ハンセン=ラブの世界観までもが伝わる、完璧な選曲である。

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 哲学の教師夫婦である。哲学や社会科学関連のいろんな著書が、さりげなく出てくる。楽しめる。ナタリーとその教え子の、世代の違いもまた、さりげなく描かれる。ナタリーの選ぶ教科書をめぐっての時代の変化もまた、存在する。

 老いる。孤独になる。それでも、生きていれば、未来は、ある。要は、人はどう生きるか、である。示唆に富んだ、これは、ミア・ハンセン=ラブの傑作と思う。

●Story(あらすじ)

 フランスのブルターニュ、グラン・ぺ島。パリの高校で哲学を教えているナタリー(イザベル・ユペール)は、やはり哲学の教師である夫のハインツ(アンドレ・マルコン)と、ふたりの子どもとともにバカンスを楽しんでいる。夫婦は、シャトーブリアンの墓の前で、その墓銘碑に見入る。「ある偉大なフランス人作家が 海と風の音だけを聴くため この場所に墓を望んだ」。

 数年後。子どもたちは独立し、ナタリーは、パリでひとり暮らしの母イヴェット(エディット・スコブ)の介護に追われるようになる。夜中、いつものように、体調が悪いと電話をかけてくる。イヴェットからの電話を疎んじながらも、様子を見に行かないわけにはいかない。

 高校に向かう電車で、ナタリーは、エンツェンスベルガーが、アラブのテロリストについて書いた「過激な敗者」などを読んでいる。高校では、「若者の失業を増やす」ことに反対するデモの真っ最中。ナタリー自身、かつての五月革命のさい、学生運動に加わったが、いまは政治的な発言は控えめで、哲学の授業に集中している。ナタリーは、授業で、ジャン・ジャック・ルソーをとりあげて、生徒たちと討論する。ナタリーは、なによりも、自分の頭で考えることを信条に、生徒たちを指導している。

 教え子のファビアン(ロマン・コリンカ)が、ナタリーを訪ねてくる。ファビアンは、ナタリー自慢の教え子で、ナタリーの監修で哲学書を出している。「先生の授業はおもしろかった」とファビアン。いまは教師を辞め、執筆活動を続けながら、アナーキスト仲間と暮らしているという。

 ナタリーは、もう独立した子どもたちと、ファビアンを自宅に招く。カントを信奉しているハインツをからかうように、ナタリーは、「実践理性批判」の結語を述べる。「私の上なる星空と私の内なる道徳律」と。ファビアンは、ハンナ・アーレントの夫だったギュンター・アンダースの「時代おくれの人間」のフランス語訳も出している。ハインツは、そんなファビアンのことを、「全知全能のインテリタイプ」と決めつけ、どこか嫌っている風情である。「ヤキモチ?」とナタリー。

 イヴェットの認知症が進行する。野外で授業をしているナタリーに電話が入る。「ガス栓をひねった、もう死ぬ」と。イヴェットは、たびたび、ガス栓をひねって、消防署の世話になっている。ナタリーとハインツは、ひとりでおいておくのはすでに限界と、イヴェットを施設に入れることにする。

 そんなナタリーに追い打ちをかけるように、ハインツが告白する。「好きな人ができた。いっしょに暮らす。本気だ」と。あらかじめ、娘のクロエから、ハインツの浮気を知らされていたが、ナタリーは呆然とする。

 猫きらいのナタリーは、イヴェットの飼っていた黒猫のパンドラを引き取ることになる。ナタリーの脳裏に、過去の思い出がよぎる。

 パリに出てきたファビアンは、フレンチ・アルプスのヴェルコール山に土地を買い、仲間たちと住んでいることをナタリーに話す。ナタリーが離婚したことを告げると、ファビアンは驚く。「同士だと思っていたのに」と。

 ナタリーは荷物を整理するためにハインツとともに、ブルターニュにあるハインツの実家に向かう。「これからも子どもたちと来ればいい」というハインツに、苛立つナタリー。

 ナタリーの生活が一変、生徒たちを家に招く。ひとりで見る映画は、ジュリエット・ピノシュ主演の「トスカーナの贋作」だ。もっとも変質者のおかげで、途中で映画館を飛び出す始末。そこに、イヴェット危篤の知らせが届く。葬儀で、ナタリーはパスカルの「パンセ」の一節を読む。

 ナタリーはひとりである。どう生きるか、自由である。ナタリーにも、未来は、ある。(文・二井康雄)

<作品情報>

「未来よ こんにちは」

(C)2016 CG Cinéma · Arte France Cinéma · DetailFilm · Rhône-Alpes Cinéma

2017年3月25日(土)、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー

公式サイト

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