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杉野希妃監督が生み出した、新たな“雪女”像「白黒つけられないことを映画で表現したい」

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/05/21 株式会社サイゾー
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 まず、“雪女”と聞いて、どんなことを想像するだろうか? 日本においては小泉八雲による「怪談」に収められた一篇の短編としてあまりにも有名。絵本や紙芝居、アニメといった形で幼いころに一度は触れている人がほとんどで、たぶん、多くがおおよそどんな物語であるかがおぼろげながら頭に浮かぶのではなかろうか。その物語は知らなくとも、雪女がどんな存在であるかはおそらくほぼ頭にインプットされているに違いない。それゆえ、いわば古典、もしくは誰もが知っている昔話となっており、いまとりたてて新たに原作を見直してみる気も起きないというか。それほど、なじみ深い、ある意味、勝手に知った気になってしまっている物語ではないだろうか? 参考:日常を生きる高田渡の姿と言葉があるーードキュメンタリー『まるでいつもの夜みたいに』のリアル  このいわば日本ではスタンダード化している『雪女』を、杉野希妃監督の『雪女』は良い意味で裏切る。女優、監督及びプロデューサーも務め、活躍の場を日本からアジア、そして世界へと広げている彼女の、そのしなやかな感性は、新たな『雪女』を生み出している。それは、我々が思い描く“雪女”及び“雪女の物語”が、使い古されたものではない、まだまだ新たな解釈が可能で、古典と呼ばれる長きに渡り愛されるものに内含された可能性を広げることができることを示すといっていい。そう感じられるぐらいに、古典を現代につなぎ、古典の可能性を広げるとともに、新たな“雪女像”を作り上げている。  ただ、「新たな雪女像」と言っても、たとえば雪女を特殊メイクで今までとまったく違った印象を与える形で登場させたり、CGを多用したヴィジュアルで新たな雪女の物語の世界を作ったりといった、いわば奇をてらったことをしているわけではない。あくまでその物語性や雪女の存在はオーソドックスだ。その点に関しては従来を踏襲し、原型は崩していない。原点をしっかりと押さえながら、雪女の立ち位置や見方、物語の解釈や捉え方の視点を少し変えることで、不思議なぐらい今の時代へと届く作品へと変貌させている。  こうした形に着地した過程を杉野監督自身はこう振り返る。「実は『雪女』にクランクインする直前に、交通事故に遭い、入院生活を余儀なくされました。それに伴い、いろいろと決まっていたスケジュールもいったんすべて延期に……。入院している間はほかになにもできないので、幸か不幸か『雪女』を一から見直すことができる時間ができてしまったんです。結果的としてこの年、2015年は『雪女』にほぼ専念することになりました。実は最初に思い描いていたのは今回とはまったく似ても似つかないというか。SF要素の強い、魔女裁判的な内容で、原作からかなり飛躍したドラマチックな脚本を考えていました。でも、改めて熟考する中で、むしろそういった見た目や内容の派手さよりも物事の本質を追求していくことに私自身の心が傾いていきました。小泉八雲の原作は目を通せば通すほど、どうとでも解釈可能な自由度がある。その中に自分が見出した発見や新たな解釈を表現するのに、下手な飾りは必要ない。それをストレートに表現すればいいなと。すると結果として、不思議なくらい最初の構想とは正反対の静謐でシンプルな映画になりました」  そのシンプルさは、杉野監督が敬愛してやまない溝口健二監督や増村保造監督をはじめとする日本のクラシック映画の名作、とりわけ女性映画にも通じる。ただし、そういったオマージュに留まっているわけではない。今を現在進行形で生きる杉野監督が感じる今の時代や社会に対する違和感が随所に盛り込まれている。たとえば、これまでの雪女といえば冷たい息を吹きかけて男を凍死させたり、命果てるまで男の精をしぼりとってしまう、あくまで妖怪であって、過ちを犯す人間を罰し、たしなめるような扱いで存在することがほとんど。ある種、人間を凌駕する、人間が決して敵わない、恐るるべき存在としてキャラクター付けされてきたところがある。でも、杉野版『雪女』では、どこからともなくやってきて、その地にいつの間にか溶け込み、存在を増してしまったがばかりに、地元民からよそ者扱いされる、いわばマジョリティに対してのマイノリティのような意味合いで存在する。雪女=ユキは猟師の巳之吉と結ばれ、子をもうけ、家庭を築いていくが、どこからきたかわからない彼女の存在を周囲は本心のところで受け入れていない。なにか間違えば排除されてしまう危険が漂う。それはどこかあらぬ噂が勝手に一人歩きして、いわれなき誹謗中傷を著名人どころか一般人も受けかねない現代社会の縮図を見せられているかのよう。憎悪や悪意がどこから生まれ、どこに向かうのかを見せられたような気分になる。  また、物語の全体像を見渡したとき、ひとつ際立つのが、ユキと巳之吉が互いを求めあうラブ・シーンだ。山奥の露天の温泉でふたりは裸で愛を交わす。そこに他者が入り込む余地などない。ただただ互いの魂に触れ合うようなこの場面は、人間の純粋な他者への愛、そして共生といったテーマが浮かび上がる。それはトランプ政権をはじめとした排他的な社会の動きやヘイトスピーチ問題などに対して異を唱える痛烈なメッセージに受け止められなくもない。杉野監督自身も「今の社会情勢や人間関係の在り方に対する自分の違和感が盛り込まれていることは確かです」と明かす。  一方で、雪女=ユキという存在は、今を生きる現代女性の置かれた境遇が反映されているといっていい。妖怪=部外者であるユキは、巳之吉との生活で人間=他者の気持ちに寄り添い、理解を深めていく。その間に結婚、出産、育児、義理の母との関係といった問題と否応なく向き合い、その心の変化も描かれている。そもそも杉野希妃という映画作家は、過去の監督作2作でも女性の心の中にある得体の知れない感情をひるむことなく赤裸々に描いている。  監督第1作の『マンガ肉と僕』では、他者を決して寄せつけない、いまで当てはめるなら、増加傾向にあるというひきこもり女性の歪んだ感情を、監督第2作『欲動』では、女性のどうにも抑えることができない性の欲求を、こちらが目を背けてしまいたくなるぐらい残酷にリアルに描き切っている。これだけ女性の中にふつふつと湧く感情をへんにきれいに整えることなく、ありのまま提示している女性の映画作家は、いまほかにあまり見当たらない。彼女の作品のヒロインが体現してみせる女性の本音やふだんは隠しているけど実は誰もが内心にもっているどす黒い感情は嘘がない。この点に関しては彼女と同年代の30年代および少し上の40代の女性こそ感じるところが多いのではないだろうか。  監督自身も「女性は男性とは精神構造も社会での役割も違う。ですから、女性と男性の対立図で語ることに、あまり興味が見いだせない。むしろ、自分も女性ですけど、女性ってなんだんだろうという興味がある。私自身が自分のことがよくわからない。それを映画で探求しているところがある。もちろん監督としていろいろな人に見てもらいたいのが本音。でも、私という人間が作っているものなので、特に同性の同年代の人に見ていただいて、いろいろと感想を寄せてもらえたらという気持ちは強いです」と打ち明ける。  ただ、この露わになる女性の感情に関して言えば、過去2作に対し、まったく違った表現になっている。過去2作が、“動”だとしたら、今回は“静”。過去作が、その身体や体をもって感情を爆発させていたのに対し、今回は心の内に秘めて爆発しそうな感情を押し殺す形にしている。しかし、これがむしろユキに雪女としての神秘性と魔性を宿らせることに至っている。もう一方で、目は口ほどにモノを言うではないが、そのときユキの抱いた怒りや悲しみがその無言の表情や瞳の奥から、こちらへひしひしと伝わってくる。静謐ながらもどこか作品全体が妙な艶めかしさと熱を帯びている要因はここにあるといっていい。  監督は「入院中、なんで私に落ち度はなにもないのに、こんな理不尽目に遭わないといけないんだという憤りが大きかった。もしかしたら、そういった感情が知らず知らずのうちにユキに封じ込めていたのかもしれません」と振り返る。  最後に触れておかなければならないことがある。それは、この『雪女』は、杉野希妃というインディペンデント映画界を拠点に活動する作家のインディペンデント・スピリッツが詰まった作品であることにほかならない。  もう久しく言われるように、いまの日本映画は説明過多。一語一句、過剰なぐらい過不足なく物語の説明がなされる。しかもそこで語られることはもはや絵空事。今の社会や時代に何か問題提起するような題材を扱った映画はほとんど見かけない。特にその傾向は大手メジャー作品で顕著だが、いまやそれはインディペンデント系作品にも飛び火している。まず企画ありき、その作家の思いのたけをぶつけたような野心のある作品がどんどん少なくなっている。インディペンデントだからできる果敢な表現や題材にも挑まない。その事実を一概に悪いとはいわない。ただ、もっと余白を作り、こちらの想像を掻き立て、あれこれと思いをめぐらすような“考える映画”があっていい。批難を浴びることを覚悟して賛否ある題材に果敢に挑む姿勢があっていい。でないと、世界に拮抗する映画にはならない。  そういう意味で、『雪女』は、こちらの想像が試される余白がある。古典を現代の物語につなげたチャレンジがある。杉野希妃という映像作家の今の時代への問いかけが隠されている。このようにインディペンデントだからできることにきちんと向き合った作品であることは間違いない。  今回の撮影地で自身の出身地でもある広島での公開を迎えたいま、「地元で映画が撮ることができて、こうして無事公開を迎えることできるのは素直にうれしい」と語る杉野監督。そうした無邪気に喜びの表情を見せながらも、一方で「いま巷に溢れるようなキラキラした青春映画やラブ・ストーリーに興味はない。というかそういったタイプの映画はたぶん私には撮れない(苦笑)。メジャーであることがひとつの安全圏でなによりも分かりやすさが求められる時代なのかもしれないけど、そこには抗いたい。少数かもしれないけど、嘘や偽りのない人間の声や感情を丁寧に拾っていきたい。誰もが納得できることよりも、むしろよくわからない、白黒つけられないことを映画で表現していきたい」と強い信念を口にする。「10年ぐらいずっと走り続けてきて、我れながら、すごいスピードで映画を作ってきました。ただ、『雪女』を終えたとき、ひと区切りというか。ここでちょっとひと息ついて。今は、ここから新たな道を模索したいなと。ここからまた新たな挑戦がスタートする気がしています」と語るその先に、彼女は世界を見据えている。すでに『ユキとの写真(仮)』『海の底からモナムール』と海外作品への出演を果たし、その公開が控えている。世界を舞台にした活動はこれからも続いていくに違いない。彼女のような視野をもった映画人がもっと日本から現れることを切に望む。  誰の道でもない自らの道を切り開こうとしている映画人、杉野希妃が描く新たな『雪女』に出会ってほしい。(水上賢治)

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