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松江哲明の『哭声/コクソン』評:“映画のミステリー”を成立させたナ・ホンジン監督の手腕

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/03/25 株式会社サイゾー
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 最初に言っておきたいのは、これからこの映画を観ると決めている方はここから先は読まないでください! 絶対に予備知識ゼロの方が、この映画を楽しめますから。その一方で、ひとりでも多くの方に観てほしい映画なので、ナ・ホンジン監督についてあまり知らない方や、変わった映画が観てみたいという方へ向けて、今回は語ります。逆に言えば、ナ・ホンジン監督の映画が好きな方は有無を言わさず劇場に行って下さい(笑)。 参考:BOMIの『哭声/コクソン』評:なんだかわからないけどスゴい! 緊張感が途切れない衝撃作  一時期、ポン・ジュノ監督『殺人の追憶』やイ・ギュマン監督『カエル少年失踪殺人事件』といった実際にあった未解決事件を題材とした人間の闇を描いた作品が、日本で大きな話題を集めました。でも、そこで描かれていた容赦のない暴力性や猟奇性は、過去の日本映画にもあったものです。例えば、今村昌平監督『復讐するは我にあり』や、野村芳太郎監督『鬼畜』など。映画の製作体制や時代の変化で、日本映画にそういった人間の闇を描いた作品が作られづらくなった頃に、韓国映画から“狂気”性をもった作品が次々に生まれて、「ああ、俺たちが観たかったのはこれだったんだ!」と、映画ファンは気付いた。僕も、ナ・ホンジン監督の『チェイサー』、『哀しき獣』を観た時は、この系譜に連なる犯罪ノワールの傑作として捉えていました。このジャンルが得意な人なんだと。だから、『哭声/コクソン』の予告編を観た段階では、横溝正史を思わせる犯罪ものをまた題材にするのかと思っていたのですが……それはまったくの思い違いでした。  いざ『哭声/コクソン』を観てみたら、ナ・ホンジン監督は、名前を挙げた今村昌平や野村芳太郎ではなく、実はデヴィッド・リンチだった(笑)。『チェイサー』と『哀しき獣』も、改めて見返したらまったく違う映画に観えました。デヴィッド・リンチで言えば、『エレファント・マン』でヒューマンドラマとして感動していた人が、摩訶不思議な『ブルーベルベット』を観た後では、『エレファント・マン』で描かれていたものも、ただの“感動”とは受け取れなくなるあの感じ。  そして、『哭声/コクソン』の面白いところは映画の“ジャンル”すら越えてしまっていくところ。演出も役者の芝居もずるいぐらいに前半と後半では明らかにトーンが違います。犯罪映画でもあり、ミステリー映画でもあり、ホラー映画でもあるし、ファンタジー映画でもある。それを決してふざけてやっているわけではなく、役者は徹底的にリアリティある芝居をし、各ジャンルお決まりの演出を随所に入れている。だからこそ、映画を観慣れている人ほど序盤の展開から終盤の怒涛の展開に騙されてしまう。  『チェイサー』や『哀しき獣』は、ストーリーテリングと演出力による、ある意味映画の王道的な面白さでした。でも、『哭声/コクソン』の面白さは“映画のルール”を破っていくところと、フィクションの境界線を越えていくところにある。作品によっては、どこからどこまでをフィクションにするのか、そのラインの引き方が甘いものがあります。そこがブレている作品は、すべてが嘘に思えてしまうから、ミステリーが成立しなくなってしまう。『哭声/コクソン』にはそれがない。むしろ、フィクションのラインはぐちゃぐちゃになっている。そして、その壊し方をものすごい予算と手間をかけてやっている。それは冷静に観たら普通の監督ではできないですよ(笑)。でも、それが一周回ってきちんと成立しているからすごい。ジャンルとしてのミステリーではなく、“映画のミステリー”として成立させたナ・ホンジン監督の手腕の確かさだと思います。  ひとつ言えるのは、この映画に対して、「全然おもしろくない!」「ふざけてる!」と思うお客さんはいると思います。チラシや予告編などを観て、「ミステリー映画」だと思い込んで来た方はひっくり返りますから。あらすじやオチが言いづらいので、また例えで表すと、江戸川乱歩の作品『少年探偵団』シリーズを楽しく読んでいた人が、『盲獣』や『蜘蛛男』といったエログロ・猟奇ものに手を出して、面食らってしまうような。あとはダリオ・アルジェントの『ジャーロ』を思い出しました。『4匹の蝿』や『サスペリア PART2』のような、描かれているものは“犯罪”なのに、気がつけばその犯罪性はどうでもよくなって、その先にある“狂気”に夢中になってしまうような。  とはいえ、これまで挙げた作家や作品に、『哭声/コクソン』が似ているという意味では決してありません。それらの作品に初めて出会った時の衝撃に似ているんです。入り口はすごく広いのに、出口は狭い。入り口と出口がまったく違うという意味では『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』のアベル・フェラーラ監督も思い出しました。裸あり、アクションもありで、ジャケットやポスターは作りやすくても、中身はまったく違う。だから、レンタルビデオ屋で働いていたときもどのジャンルに置けばいいか苦心してました(笑)。『哭声/コクソン』も一体、どのジャンルに分けれられるのか気になるところです。  そして何よりも國村隼さん! ジョン・ウー監督の『ハードボイルド/新・男たちの挽歌』で、チョウ・ユンファと銃撃戦を繰り広げる殺し屋役を観たときは衝撃でした。台詞は一切ないのですが、あの“異物感”で国の枠を越えてしまう。渡辺謙さんや浅野忠信さんなど、外国語を華麗に操り、違和感なく国外の映画に出演される俳優も増えてきましたが、國村さんにはずっと外国語をしゃべってほしくない。あの存在感のままで国際的に活躍できる稀有な方だと思います。むしろ、外国語をしゃべらないからこそ、面白い。それに監督も気付いてキャスティングしている。もちろん、言語を習得して、“異物感”を取り除いた演技ができる俳優さんは素晴らしいと思います。でも、國村さんのように、“何もしない”が武器となることもあるんだなと。究極的に言えば、『哭声/コクソン』のわけの分からなさの根幹は、國村さんの演技と言っても過言ではありません。  『チェイサー』と『哀しき獣』の2作品は、どちらも文字取り“疾走”する映画でした。映画から溢れる躍動感を、そのまま切り取ったような撮影と編集でしたが、本作は一転してどっしりと構えている。だからこそ、じっくりと人間を映している分、観客の心にも登場人物たちの葛藤が流れ込んできます。  それはキャラクター作りにも要因があると言えます。『チェイサー』は元刑事のデリヘル店長と優しい顔をした猟奇殺人者。『哀しき獣』は朝鮮族自治区のチンピラと、中国延辺朝鮮族自治州でタクシー運転手をする男。2作品ともハ・ジョンウとキム・ユンソクが立場を変えて演じていますが、このキャラクター設定だけを観ても、作り込んでいることがよく分かります。キャラクターの設定が複雑だからこそ、お話はシンプルにして、そこにスピード感が生まれていた。その手綱さばきの見事さが、僕が思っていたナ・ホンジン監督の魅力だったわけです。一方、『哭声/コクソン』のキャラクターたちは、主人公の警察官を演じるクァク・ドウォン、謎の男を演じる國村さん、祈祷師を演じるファン・ジョンミンにしても、みんなバッググランドがあるような複雑さがない。その分、映画自体が複雑になっている。まさに逆の作りになっています。だから、同じ監督が作っているとは思えない面白さがありました。  エイドリアン・ライン監督『ジェイコブス・ラダー』やデヴィッド・クローネンバーグ監督『ヴィデオドローム』を観たときも感じたのですが、監督本人も作っている映画がどこに向かっているのか分からなくなってしまったのでは?とも思いました。撮影中に分かっていても、編集の段階で作品をわざと“壊す”ことは映画監督ってあるんです。もちろん、そうやって壊した映画はうまくいかないことの方が圧倒的に多い。でも、それが奇跡的に唯一無二の映画を生み出すこともあります。映画は“物語”ではなく、シーンごとに刻まれた言い様のないパワーなんだと。『哭声/コクソン』はまさにその奇跡を掴みとった作品と言えるでしょう。(松江哲明)

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