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橋本愛は形なき表現の「器」になるーー『PARKS パークス』で見せた美しさと強さ

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/04/23 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 今年5月に一世紀の歴史を迎える井の頭恩賜公園で撮影された『PARKS パークス』は、いわゆるご当地映画でもなければ、町おこし映画でもない。100年ものあいだ、そこにありつづけている広大な交差点を舞台に、時間と空間とが豊かに交信するみずみずしい作品である。

 公園とは、自然と人間とが、あるときはすれ違い、あるときは共存し、あるときは共振する場である。映画は、そうした公園の特性にスポットを当て、それが明瞭に浮かび上がるシンプルな物語を編み出した。

 公園すぐ近くのアパートで暮らす女子大生が、見知らぬ女子高生に出逢う。その女子高生は亡き父のかつての恋人を探していた。50年前の写真を手がかりにその女性をさがすふたりは「彼女」を見つけ出す。ところが「彼女」は既に亡くなっていた。だが、その孫である青年が遺品からオープンリールテープを発見したことから、物語が動き出す。

 そこには、女子高生の父親と恋人が歌うオリジナル曲が収録されていた。テープの傷みのせいで、曲は途切れている。3人は曲の「続き」を創ろうとする。

 半世紀前の恋人たちが遺した音源を完成させようとする行為。それは過去を現代によみがえらせることではなく、途絶えることのない時間を、生成されていく空間に移植することである。言ってみれば「小さな不滅」を生み出すことだ。

 物は壊れる、人は死ぬ。だが、時間は終わらないし、空間も終わらない。この公園には、そう思わせる何かがある。

 描かれているのは決して大げさなことではない。ほんの思いつきを具現化するために、ジタバタしている若者たちの姿だけである。だが、現在を生きる者が、過去に生きたはずの者の「音」に耳をすまし、「いま、ここ」に継続しようとするだけで、映画が肌呼吸を始める。

 時間を呼吸すること。空間を呼吸すること。橋本愛は、そんな行為にかたちを与え、「器」として存在することができる女優だ。

 昨年の主演作『バースデーカード』がまさにそうだった。宮崎あおい扮するいまは亡き母親と交信する女の子の「小さなクロニクル」を体現していた。5月に公開される三島由紀夫原作の『美しい星』では自分を金星人と信じ、UFOを呼ぼうとする「小さな巫女」のようなヒロインを演じている。

 出世作『告白』での少女の「小さな死」は、やがて全編を覆う徴(しるし)となった。橋本愛の演技においては、小さなものと、大きなものとが混じり合い、それが「潤いのあるゆらぎ」となって派生する。

 『PARKS』では、無防備で、無頓着で、勇ましく、脆く、情けなくて、頼りになる、そんなヒロインとして生きている。よろよろと、しかし、確かな足取りを感じさせるその芝居は、「大きな足の仔犬」を彷彿とさせる。「大きな足の仔犬」は、やがて大きくなる。そんな予感に、わたしたちは安堵し、気がつけば微笑んでいる。

 未来を孕む現在は、過去を抱擁することもできる。その真実を、橋本愛の躰が伝えていく。流れるように、奏でるように。

 これは、音楽の映画だから、橋本愛は歌うし、さらにギターも弾くし、なんと踊ったりもする。驚くべきことに、これはミュージカルでもあったりする。音楽を全身に通過させながら、それらを表現していく橋本愛のありよう。美しさの中に野太さがあり、繊細さの中に強さがある。

 華奢なのにふてぶてしい、その稀有な存在感が、『PARKS』という映画を震わせる。橋本愛の肉体はいま、可憐な「器」からタフな「楽器」へと飛翔しつつある。

『PARKS パークス』予告編

(相田冬二)

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