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注目すべき“80年代生まれ”の監督たちーー映画作りの中心を担う層が変化した2016年の日本映画界

Real Sound のロゴ Real Sound 2016/12/01 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 そろそろこの1年を本格的に振りかえる時期になってきた。2016年の日本映画が活況を呈していたとすれば、それは質の高い作品や大小含めたヒット作が多く生まれたからだけでなく、幅広い年齢層の映画監督たちがそれぞれ一見に値する作品を発表したことによるんじゃないか? ■1950年代生まれ

廣木隆一(『オオカミ少女と黒王子』『夏美のホタル』) 54年生まれ

黒沢清(『クリーピー 偽りの隣人』『ダゲレオタイプの女』) 55年生まれ

石井岳龍(『蜜のあわれ』) 57年生まれ

阪本順治(『ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年』『団地』) 58年生まれ

■1960年代生まれ

庵野秀明(『シン・ゴジラ』) 60年生まれ

片渕須直(『この世界の片隅に』) 60年生まれ

是枝裕和(『海よりもまだ深く』) 62年生まれ

岩井俊二(『リップヴァンウィンクルの花嫁』) 63年生まれ

行定勲(『ピンクとグレー』『ジムノペディに乱れる』) 68年生まれ

大根仁(『SCOOP!』) 68年生まれ

■1970年代生まれ

中村義洋(『残穢 -住んではいけない部屋-』『殿、利息でござる!』) 70年生まれ

佐藤信介(『アイアムアヒーロー』『デスノート Light up the NEW world』) 70年生まれ

新海誠(『君の名は。』) 73年生まれ

李相日(『怒り』) 74年生まれ

西川美和(『永い言い訳』) 74年生まれ

白石和彌(『日本で一番悪い奴ら』) 74年生まれ

吉田恵輔(『ヒメアノ~ル』) 75年生まれ

山下敦弘(『オーバー・フェンス』『ぼくのおじさん』) 76年生まれ

沖田修一(『モヒカン故郷に帰る』) 77年生まれ

横浜聡子(『俳優 亀岡拓次』) 78年生まれ

入江悠(『太陽』) 79年生まれ

 ほかにも1930年代生まれの山田洋次(『家族はつらいよ』)、東陽一(『だれかの木琴』)が過激な一作を放つなど、作り手の年齢層はかように分散していたが、こうやって見ると90年代以降の日本映画を牽引してきた50年代、60年代生まれの監督たちから、70年代に生まれた40代半ば~30代半ばの監督たちへ、映画作りの中心を担う層が徐々に移行していることがよくわかる。ただまあ、年とともに作り手の世代が推移するのは当然の話。注目したいのはこの次の世代、80年代生まれの監督たちだ。 ■1980年代生まれ

深田晃司(『淵に立つ』) 80年生まれ

小泉徳宏(『ちはやふる』) 80年生まれ

真利子哲也(『ディストラクション・ベイビーズ』) 81年生まれ

 『淵に立つ』がカンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞を受賞した深田晃司。『ディストラクション・ベイビーズ』がナント三大陸映画祭銀の気球賞を受賞した真利子哲也。以前から批評家筋で期待の大きかったふたりの成果は、作家性の強い映画作りを志す後進に扉を開くことになるかもしれないし、『ちはやふる』2部作で小泉徳宏が示した高い娯楽性と完成度は、今後のエンターテイメント作品の基準を底上げするものになるかもしれない。  と、この辺までは日本映画の歴史のなかで一続きの流れとして位置づけることができる。でも実は、いま紹介したのは80年代生まれの監督たちでも、80年から84年までに限った80年代前半生まれの監督たち。『舟を編む』の石井裕也(83年生まれ)も同じ世代に属しているが、彼らに続く85年~89年生まれの監督たち辺りからは、途轍もなく新しいものが生まれそうなざわめきを聞くことができる。いままでと違う文脈で、いままでと違うものを表現しようとしている、とでもいうのか。さて、ここからは85年生まれの松居大悟に関する話だ。  彼の新作『アズミ・ハルコは行方不明』のどこに瞠目すべきか。それは人の心の名状しがたいありさまを、映像と音楽と、もちろんストーリーとによって、感覚的に表現しているところだろう。地方都市の零細な会社で働く安曇春子は、恋愛にも仕事にも自分の居場所を見出すことができず、ある日ふと姿を消してしまう。そして彼女の失踪が触発したかのように、その肖像をほうぼうに描きちらすグラフィティアート集団や男たちを襲う女子高生ギャング団が、同時多発的にあらわれる。  柱になっているのは主人公、安曇春子の物語だ。でも彼女の変化や成長を描きだすために細部が機能しているわけではない。特に撮影後、時系列をバラバラにしてつなぎ直したという編集によって、彼女の物語としての求心力は希薄になっている。そのかわりこの映画の遠心力は、中心から外側に向けて、つまり彼女からその周辺に向けて、さまざまな感情や空気を広げていく。地方都市の閉塞感、周囲への失望感、思いが届かぬ孤独感。そしてアニメーションやプロジェクションマッピングを駆使した映像と、環ROYの手によるエレクトロ風のサウンドトラックが、それらを一気に引っくりかえす。妙なる疾走感、解放感、陶酔感へと。  もともとは漫画家になりたかった。大学在学中にはじめた演劇が彼の創作活動の起点になった。12年、『アフロ田中』で長編映画監督デビューしたとき、松居大悟は26歳。当初は童貞男子のもやもやを等身大の視点で描くことに特色を発揮していたが、15年の『ワンダフルワールドエンド』以降、彼はいまを生きる女性たちの姿にまなざしを向けはじめた。『アズミ・ハルコは行方不明』も、とりわけ山内マリコによる原作は、女性の視点で現代女性の感性を切りとった女性小説の趣きが強い。「女性の気持ちはわからない」と彼は言う。だからこそ女性スタッフや女性キャストとコミュニケーションを図り、その意見を取りいれて、「登場人物たちをより生き生きと動かすことができた」。彼はそう考えている。なにより「わからない」ものをへたに整理したり、解釈したりすることなく、感覚的な映像表現へダイレクトに昇華させたことがこの作品の美点だ。結果として『アズミ・ハルコは行方不明』は登場人物の刹那的な青春を体感する映画になった。  近年、公開作のあった85年~89年生まれの監督たちをほかにも挙げると、ざっとこうなる。 ■1985年~1989年生まれ

松居大悟 85年生まれ

草野なつか(『螺旋銀河』) 85年生まれ

小路紘史(『ケンとカズ』) 86年生まれ

安川有果(『Dressing Up』) 86年生まれ

渡辺亮平(『かしこい狗は、吠えずに笑う』) 87年生まれ

加藤綾佳(『おんなのこきらい』) 88年生まれ

山戸結希(『溺れるナイフ』) 89年生まれ

 この世代の中心的な存在となっている山戸結希は、今秋『溺れるナイフ』で全国区デビューを果たした。彼女の映画もまた、叙情的な映像や音楽、流麗な言語表現や身体表現との分かちがたい結びつきによって、映画の文脈を跳び越えた新たな表現へと突き進んでいる。  そして初長編作『いたくても いたくても』が公開される88年生まれの堀江貴大は、また別のやり方で他にない新しい映画を生みだそうとした。舞台となるのは経営が傾いた通販会社。起死回生の一手として社長が編みだしたのは、商品紹介とプロレスを融合した新番組だった。主人公のAD星野は番組の人気司会者とプロレスで熱戦を展開する一方、ある女性の存在をめぐって、恋の熾烈な駆け引きもくり広げていく。プロレスと恋愛をアクロバティックなかたちで接続しながら、ふたつの異なる味が衝突する違和感はここにない。むしろヨーグルトに福神漬けを入れたら「ん? 美味しい!」みたいな、奇妙な調和すらもたらされているのが不思議だ。単に突飛なだけなら観る人は突きはなされる。でも予想外なものとして受けとめられれば、それは観る人を驚かせ、引きつける強力な武器になる。きわどいライン際の勝負は「イン」。新食感の映画ができあがった。(門間雄介)

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