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渋谷マルキューとセシル、20年目の試練を乗り越えられるか?商品力と販売力復活のカギ

サイゾー のロゴ サイゾー 2014/05/29 Cyzo

「セシルマクビー」というアパレルブランドをご存じだろうか?

 この問いかけへの答えは、性別や年齢、ファッションの好みなどによって、違いが出るように思う。

 若い女性に人気のセシルマクビーは、“ギャルの聖地”と呼ばれる東京・渋谷のファッションビル・SHIBUYA109(通称:マルキュー)に入居するテナントの中で、13年連続して売り上げNo.1を誇っている。最も流行の移り変わりが早く、浮き沈みの激しいヤングファッション分野の中で、これほど長期間にわたり人気が続くブランドは珍しい。

 女性向けブランドをあまり知らない中高年男性でも、黒地に白文字で「CECIL McBEE」のロゴが入った紙袋は見たことがあるかもしれない。

●「マルキュー系ファッション」の代名詞的存在

 SHIBUYA 109は、大音響の音楽が鳴り響き、各店舗のスタッフも元気がよく、客のほとんどは若い女性のため、大人の男性は入りにくいだろう。しかし、店内を回ると意外に中高年男性の姿を見かける。マーケティングとして視察するケースも多いようだ。とはいえ、やはり最大の客層は10代女性で、東京へ修学旅行に来る中高生の訪問先としても人気だ。

 セシルマクビーがブレイクしたのは1996年。「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」(同ブランドを運営するジャパンイマジネーションの木村達央会長)という時代の風に乗り、売り上げを一気に伸ばす。さらに、当時社会現象ともなった歌手の安室奈美恵に憧れる女性“アムラー”たちが支持するブランドとなったことも認知度を高める要因となった。

 当初は「エゴイスト」など並ぶ存在のブランドがあったが、次第にセシルマクビーの独り勝ち状態となる。人気の理由を、同社の小嶋裕之社長は「ファッションの常識を壊した」ことにあると語る。

 マルキュー系が台頭する以前の流行だったサーファー系やDCブランド系は、「この服はこうして着るもの」と、着こなし方に一定の約束があった。それがマルキュー系では、例えば「カットソーの胸元を、ここまで開ければカッコいい」「キーワードはエロカッコイイ」「下品に見えるのはNG」などと、生活提案したのだ。それが当時の若い女性に支持された。

 実は「ギャル服として提案したのではない」と小嶋社長は言う。

「当時は、大人っぽいセクシーな服で、ターゲットは23~24歳ぐらいでした。それを高校生が背伸びして買ってくれたのです。『お姉さんぽい』に憧れる時代背景もありました」

 その後は、セクシーだけでなく、カジュアルやエレガンスにまで商品アイテムを広げていき、21世紀に入ってからは、前述したように13年連続売り上げ1位を記録。マルキュー系ファッションの代名詞的存在となった。常連客の女性は「値段が手ごろな割に品質もいい」と楽しげに語る。ジャパンイマジネーションの年間売り上げ高も、2013年1月期には237億9300万円にまで伸びた。

●外資系のファストファッションの台頭

 それが最近、様相が変わってきている。長く流行を牽引したマルキュー系ファッションが軒並み不振なのだ。セシルも例外ではなく、売り上げを落としている。ジャパンイマジネーションの年間売り上げ高も14年1月期は214億100万円と、前年に比べて約1割も落ち込んでしまった。

 ファッション業界では「ユニクロ」の好調さが大きな話題だが、女性向けでは外資系のファストファッションが好調だ。代表例としては、「H&M」(エイチ・アンド・エム/スウェーデン)、「ZARA」(ザラ/スペイン)、「FOREVER 21」(フォーエバー トゥエンティワン/米国)の3ブランドが挙げられる。特にH&Mは日本上陸6年目を迎え、店舗数は急拡大し、年間売り上げ高は500億円規模に上っている。

 ファストファッションとは、ファストフードから派生した言葉で、「流行を取り入れつつ、手頃な価格で、短いサイクルで展開する」ブランドや商品を指す。ユニクロやセシルマクビー、そして郊外に多い「しまむら」もこの分野に入っている。

 当初、外資系ファストファッションは、「価格は安いが、縫製などは日系ブランドより一歩劣るので、品質に厳しい日本の消費者には受け入れられないのではないか」「最初は人気を呼んでも、長続きしないだろう」と言われていた。それが予想を大きく上回る快進撃となった。結果分析はいろいろできるが、本国のやり方の押しつけではなく、日本の消費者ニーズをくみ取り、価格以外の価値である品揃えや色合いを提案したことも大きいだろう。

 一方のマルキュー系もテコ入れを進めている。SHIBUYA 109を運営する東急モールズデベロップメントは、この春に店内を大改装して、全館の約4分の1に当たるテナントを入れ替えた。狙いは「マルキューの原点に立ち返る」ことだという。

●2度目の正念場

 実はセシルマクビーも、SHIBUYA 109も、正念場を迎えたのは2度目だ。

 それを紹介する前に、ジャパンイマジネーションの概要を説明しておこう。

 ギャルに支持されてブレイクした会社――と紹介すると、「若い女性社長が同世代目線で会社を興した」などと思われるかもしれないが、そうではない。

 戦後まもない1946年11月に、東京・新宿で婦人服と子供服の洋品店として創業。創業者は、かつては大蔵省や税務署、農林中央金庫に勤めた故木村恭也氏(木村会長の父)だった。そんな新宿の洋品店が64年に開催された東京オリンピックの前後に、新宿の駅ビル「新宿ステーションビル」(現在の「ルミネエスト」)や「小田急エース」、渋谷の「東急プラザ」などに出店し、駅ビルの発展とともに成長した。79年開業のSHIBUYA 109にも開業時から出店していた。

 そんな成り立ちゆえ、87年にセシルマクビーを立ち上げて以来10年間は、「山の手お嬢様路線」で、業界では“重衣料”と呼ぶ、スーツなどが得意な保守的ブランドだった。当時のSHIBUYA 109も、現在とは店舗構成が大きく異なり、紳士服や宝石店もある全世代型だった。

 さて、最初の正念場は90年代半ばに訪れた。当時から若者に人気だった渋谷の街とは裏腹に、マルキュー店内は閑散としていた。そこで東急は「渋谷の街を歩いている若い女性を呼び込もう」と決断し、ヤングレディース専門店ビルに変えた。

 東急から要請を受けたセシルマクビーも、当時ブランドマネジャーだった小嶋社長を中心に商品アイテムを一新し、前述のようなセクシーカジュアル系のブランド構成へと変えていく。この戦略転換が大成功して、マルキュー系ファッションが一大勢力となったのだ。

●「原点」はどこか?

 ビジネスの現場では、よく「悩んだ時は原点に立ち返れ」といわれる。だが、この言葉には落とし穴も潜む。「原点はどこか」を精査して行動しないと、道を誤ってしまう恐れがあるからだ。

 木村氏は「セシルブランドが立ち返る原点=ギャルではありません。ブレイクして20年近く、もはや渋谷の街にギャルはいなくなりましたから」と語り、「店に来店されるお客様一人ひとりを見ること。その一方でマーケット全体の変化やトレンドを見ること」の2点を見るべきポイントとして挙げる。

 セシルマクビーがここまで成長した理由には、お客に近い年代の女性店員に徹底して任せる姿勢もあった。店内を見ると、茶髪に派手なメークで接客するスタッフが目立つ。それもそのはず、彼女たちのほとんどは、もともとセシルの常連客だった。元顧客経験を踏まえて、心に届くような着こなし提案をする。

 流行のトレンド、着心地のよさ、価格と価値のバランス、一定の品質という「商品力」に加えた、この「販売力」がセシルブランドの人気を支えてきた。

 ブランド人気が始まって20年近くたち、今後は「ギャル卒業生」向けも含めた中年女性への訴求も欠かせない。これまでにコストパフォーマンスを重視する主婦層をカジュアル服で取り込んできたが、今後は外資系ファストブランドとのさらなる戦いが待っている。

 セシルマクビーの販売スタッフは、「見た目は派手だけど中身は真面目」という人が多い。自社ブランドをきれいに着こなすため、ヒール高の“厚底シューズ”で働く人もいる。

 来店客と真摯に向き合い、商品構成と接客手法に、さらに厚みを持たせることができれば、マルキュー系の逆襲も成し遂げられるはずだ。(文=高井尚之/経済ジャーナリスト)

※画像は「セシルマクビー 公式ブランドサイト」より

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