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現代イタリア映画に見る新たな可能性ーータブーに挑むパオロ・ヴィルズィ&マルコ・ベロッキオ

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/04/30 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 狂気、宗教、友情……。今年のダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリア映画アカデミー)では、人間を苦しませる人情や葛藤に焦点を当てる作品が注目を集めた。とりわけ、作品賞や監督賞などを競ったパオロ・ヴィルズィ監督の『歓びのトスカーナ』とマルコ・ベロッキオ監督の『スイート・ドリームス(仮題)』がイタリアの観客と批評家の関心を集めた。  1939年生まれのベロッキオ監督と1964年生まれのヴィルズィ監督は、それぞれイタリア映画の「古い」と「新しい」側面を見せていると言われている。60年代映画界の代表的な人物であるベロッキオ監督は、宗教や政治というテーマを登場人物の日常生活に絡ませながら作品を作り上げることで有名だ。  一方、1994年にデビューしたヴィルズィ監督は、イタリアの現代社会、とりわけ若い世代に焦点を当てた作品で世界中で脚光を浴びており、イタリア映画界において偉大な存在となりつつある。2016年に最新作『歓びのトスカーナ』がカンヌ映画祭で上映された際には、観客から10分間の拍手がおくられ、批評家の間でも好評を博した。  今年もゴールデンウィークから5月中旬にかけて東京と大阪で開催されるイタリア映画祭では、『スイート・ドリームス』と『歓びのトスカーナ』の他に、パオロ・ヴィルズィとマルコ・ベロッキオの様々な作品が上映されるが、この2人の監督は現代イタリア映画で何を語っているのだろうか? ■情緒不安定な人物を描き続けるパオロ・ヴィルズィ監督  パオロ・ヴィルズィは、長らく現代イタリア映画界で脚光を浴びている監督だが、去年は『人間の値打ち』(2013年)のおかげで日本における知名度も高まった。ひき逃げ事故を中心に経済格差のある3つの家庭を描くこの作品では、それぞれの家族が隠している欲望に焦点が当てられるが、そこに綴られた登場人物たちの孤独とそれによる情緒不安定な状態が、パオロ・ヴィルズィ監督の世界の特徴と言っても過言ではないだろう。  たとえば、現代イタリア社会における非正規雇用の問題を描いた『見わたすかぎり人生』(2008年)では、ヴィルズィ監督は「若者の不安定」にスポットを当てていた。この作品では、正社員の職に就けず、コールセンターのパートタイムの仕事を始める優秀な大学卒業生の日常生活が描かれている。厳しい競争原理が導入された職場を舞台にすることによって、この作品では経済・社会の不安定な状態と情緒不安定な状態との関連性が暴露されたのだ。  『来る日も来る日も』(2012年)においても、望んでも子供ができないカップルの苦痛、そしてそれをきっかけに生じた2人のすれ違いを描くことで、ヴィルズィ監督は人間の孤独から生まれる不安に着目した。また、最新作『歓びのトスカーナ』(2016年)では、精神病を語る課題をもって、新たな段階に足を踏み出したと言えよう。  イタリア版『テルマ&ルイーズ』と言われている『歓びのトスカーナ』は、双極性障害のベアトリーチェと境界性パーソナリティ障害のドナテッラという2人の女性を中心に、彼女たちの診療施設からの脱走を描く物語だ。伯爵夫人を自称する、虚言癖でおしゃべりなベアトリーチェとは対照的に、ドナテッラは自分の殻に閉じこもり、ほとんど話さない。トスカーナの診療施設から脱走を図った2人は、逃避行を繰り広げながら親密な絆を結ぶが、物語が進行するにつれてこの作品の主なテーマである友情と精神病が絡まっていく。  ベアトリーチェ役でダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞女優賞を獲得したヴァレリア・ブルー二・テデスキが授賞式で話したように、ドナテッラがいなければベアトリーチェは存在しなかっただろう。2人の物語は悲しい側面を持ちつつも、親密な絆を結ぶことで歓びへ展開するのだ。それは原作のタイトルにも暗示されている。「狂気的な歓び」の意味をもつ「La pazza gioia」は、精神病が幸せを排除するものではないことを表していると思われる。  ヴァレリア・ブルー二・テデスキは、授賞式に列席していたイタリア映画界の著名人の涙と笑いを誘った謝辞スピーチで、1978年に精神病院の廃絶をもってイタリアにおける精神病へのアプローチを革命したフランコ・バザリアに言及した。つまり、ヴィルズィ監督は『歓びのトスカーナ』で、2人の双極性障害者の物語を綴ることによって、精神病のタブーに切り込み、観客にその世界を眺める新たな観点を与えたと言えよう。 ■精神病と宗教を絡ませる、マルコ・ベロッキオの世界  マルコ・ベロッキオ監督の最新作『スイート・ドリームス』(2016年)においても、精神病と孤独が大きなテーマとなっている。  『スイート・ドリームス』では、9歳のときに母を失った男マッシモの人生が描かれている。40歳を超えてもマッシモは、母親の死因が心臓発作だと思い込み(あるいは、家族から思い込まれると言ったほうが正確だ)、その喪失を受け入れることができずに大人になった。  ある日、パニック障害を起こし強い不安感に襲われたマッシモは、病院に電話したことをきっかけに女医エリーザと出会う。そして、その出会いを通じて、自らの少年時代と向き合うことになり、母親の情緒不安定な状態と彼女の本当の死因を受け入れるようになるのだ。  ある教会における神父の自殺にまつわる謎を描いた『私の血に流れる血』(2015年)、精神疾患をもつ兄に母親を殺害された過去を抱える人物を中心に物語が綴られた『母の微笑』(2002年)、また、てんかんの登場人物を中心に機能不全家族の物語であるベロッキオ監督のデビュー作『ポケットの中の握り拳』(1965年)。ベロッキオの映画世界において、精神疾患が依然として主題だと言っても過言ではない。  ベロッキオ監督の他の作品と同じように、『スイート・ドリームス』においても宗教との関係、そして母息子の関係に焦点が当てられているが、その中心には精神病のタブーと障害の受容がある。つまり、主人公マッシモの物語を通じて、過去に執着せず、現在にもはや存在しないものを手放すことによって、苦しみから解放される過程が明らかにされるのだ。 ■映画がタブーを破る時  現代社会において精神障害が未だにタブー視され続けていることは否定できないだろう。あるいは、他人事のように考える人も少なからずいる。しかし、現代社会に生きる人間なら、誰にでも心の問題を抱く可能性があり、健康な人にとっても、精神障害は対岸の火事ではないはずだ。  パオロ・ヴィルズィとマルコ・ベロッキオはそれぞれの作品を通じてそのタブーを破り、様々な角度から精神病を洞察しながら、観客に自己と他者を見る新たな視点の可能性を提示している。(グアリーニ・ レティツィア)

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