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荻野洋一の『イップ・マン 継承』評 ドニー・イェンの稽古場面には批評無効作用がある

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/05/04 株式会社サイゾー
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 『イップ・マン 継承』は甄子丹(ドニー・イェン)による、甄子丹のための映画である。つまり、この現代香港映画界最高のスターの動き、表情、視線、声、そして佇まい、モラル、にじみ出る品格と知性、謙虚さと気高さ……そうしたものを丸ごと受け取ることが、映画を見ることと同義となっているのである。  伝説のカンフー・スター、ブルース・リーがその生涯で唯一、師匠と呼んだ “詠春拳” の達人・葉問(イップ・マン)の生涯を描いたシリーズも、2008年の『イップ・マン 序章』、2010年の『イップ・マン 葉問』に次ぎ、今作で3作目を数える。まさに正道にして極上の、カンフー・アクションの粋と言っていいシリーズである。2013年にはスター監督の王家衛(ウォン・カーウァイ)によっても葉問の伝記映画『グランド・マスター』が作られ、そちらでは梁朝偉(トニー・レオン)が葉問を演じているが、やはりこの役ばかりは甄子丹に軍配が上がるように思える。王家衛『グランド・マスター』がアクションを取り扱いつつも、あくまで王家衛の作家の映画であろうとしているのに対し、本シリーズにおける葉偉信(ウィルソン・イップ)監督の演出は、とにかく甄子丹という存在を葉問と同一視できるようにする点に集中しており、その謙虚な製作姿勢が奏功しているのだ。  第1作は日本軍占領下の広東省仏山市を舞台とし、葉問は日本軍の空手部隊と相対した。第2作は終戦直後の香港に移住した葉問が武館を開き、支配者のイギリスと相対した。時の支配者と対峙する構造は同じで、主人公の “詠春拳” は言わば愛国的な護身術である。弱者の矜持を、雌伏の中国人を守護しようという身振りこそ、“詠春拳”である。つまりこの『イップ・マン』というシリーズは、香港という、列強に割譲され陵辱された広東の大都市のセルフ・ポートレイトである。戦前戦中は日本、戦後はイギリスを敵と位置づけ、民族の誇りの復活を懸けている。  その意味ではじつに素朴な保守愛国の映画ということになってしまうが、事の本質はそんなに単純なものではないだろう。話は脇にそれて恐縮だが、読者の方々は「陶をもって政を看る」という言葉をご存じだろうか? これは古くから中国で唱えられた成語で、「陶」とは陶磁器のことである。知っての通り、中国は古代よりこの方、青磁や白磁、黒陶など陶磁器産業によって巨万の富を築いてきた。ドイツのマイセン、デンマークのロイヤル・コペンハーゲン、イタリアのリチャード・ジノリなど、ヨーロッパの有名磁器ブランドはすべて、元・明・清の白磁に憧れ、それを模倣して興ったブランドである。この事情は伊万里焼など日本の磁器も同様である。中国ではあらゆる王朝が興っては倒れた。中国史とは王朝交替の歴史である。時の政治がうまく行っているか、爛熟しているか、終わりかけているか。それはその時期に焼かれた陶磁器を見れば分かるというのである。朝廷が正しく政治をおこない、民が幸せなら、陶磁器もそのような出来を見せるし、腐敗すれば陶磁器もそうなり、衰退すれば陶磁器の焼き具合にそれが現れる。  「陶をもって政を看る」。これは古代も今も変わらないだろう。時の芸術のありように世の中の趨勢が写りこむということだ。ヨーロッパなら絵画、演劇、教会音楽にそれを投影するかもしれない。世の趨勢を伺うに陶磁器を持ち出すのが、いかにも中国らしい。やっぱり変わった文明である。しかし、この成語の「陶」を「拳」に置換することもできると、『イップ・マン』シリーズ、あるいは王家衛『グランド・マスター』を見るにつけ、考えざるを得ない。つまり、「拳をもって政を看る」である。  『グランド・マスター』では、華北の拳法と華南の拳法の対立がメインテーマになっていた。広東が起源の “詠春拳” は当然、南の拳法である。これは拳法に留まらず、政治から絵画、書道、経済、思想まで、中国史はつねに南北対立の歴史であった。またしても成語を挙げて恐縮だが、「北京愛国、上海排国、広州売国」という言葉がある。北京の人は愛国を唱え、権力におもねる。皇帝のお膝元で、そうやって生きのびてきた人々である。上海の人は文化程度が高く、学者肌、反権力志向で、時に中央権力とは相容れない。広州の人は距離的にも心理的にも中央から遠く離れ、とにかく商売第一、功利主義、守銭奴で、国さえ売りかねない。王家衛の心情は当然、出身地の上海と共にあり、そして活動本拠地の広東と共にあるだろう。また、香港映画の源流が戦前の上海映画にあるという歴史的事情もある。   かのように北京、上海、広州と南北軸に沿って、資質の違いを際立たせつつ、上海に近い浙江省の寧波の知人が言った言葉もひとつご紹介したい。彼曰く、「香港人はいつも粋がって自由人ぶっているが、じつは小心者」というのである。時として「排国」と罵られる浙江省・江蘇省の人々からすれば、香港や広州、マカオといった広東人の資質は、金儲けにしか興味がなく、権力側から圧された場合、さしたる抵抗も示さずに恭順になびいてしまう、そういうだらしない連中だという。葉問(イップ・マン)は、そんなだらしない広東の人である。したがって葉問こそ、広東人にとっては名誉回復の切り札である。日本やイギリスといった外国の侵略者に対して一歩も引かず、卑屈にならなかった葉問を自分たちのうぬぼれ鏡としたいわけである。  さらには、ブルース・リー、ジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポー、ジェット・リーと綿々と続く香港カンフー映画の系譜にあって、真の起源はどこにあるのかという問題。事の発端を示すと同時に、正統を確認しておきたいという潜在的欲望が満足されねばならない。『イップ・マン』シリーズとはカンフー映画というジャンルの源流めぐりでもある。  昨年12月に世界公開された『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』にチアルート・イムウェ役で出演したことにより、甄子丹の知名度は、香港映画など中華圏の映画に親しんでこなかった観客層にも広がりを見せている。そうしたさなかに日本公開された『イップ・マン 継承』は、カンフー映画のブレイクスルーに化ける可能性を秘めている。じつを言えば、今回の第3話はシナリオ的には第1話、第2話にくらべて緊張感に欠け、特別出演のマイク・タイソンの扱いも取って付けたようであり、やや悔いの残る出来ではある。しかし、日本人作曲家・川井憲次のおなじみのスコアに乗せて、甄子丹が木人樁で稽古する場面を見た瞬間にすべてを許してしまうという、そうした批評無効作用がこの映画にはある。  葉問が対外的には無敵で、強靱さと優雅さをまったく失わないのとは裏腹に、家庭内の関係性においてはいつも美人妻に弱みがあり、借りがある。小柄な葉問(甄子丹は169センチ)に対して、妻の張永成(チョン・ウィンシン)を演じた女優兼モデルの熊黛林(リン・ホン)はなんと179センチもあるそうで、ようするに「蚤(ノミ)の夫婦」である。これを香港では「最萌身高差」と名づけて報じられて話題となったわけだが、先述の「拳をもって政を看る」と共に、この「最萌身高差」ということも、本シリーズの本質を言い当てている。広東男の愛妻ぶり、もとい恐妻ぶりが伝記の通奏低音を奏でている。  そしてたっぷりのユーモアである。最大の弟子となるはずの李小龍(ブルース・リー)の入門をなかなか許可しないという逆説によって、いったいいつになったらこのシリーズに「アチョー!」が導入されるのか、というスリルが持続していく。2016年9月、甄子丹がみずからのInstagramとFacebookに投稿し、従来どおり葉偉信監督のもと、『葉問4』が2018年にクランクインする予定を告知したそうである。(荻野洋一)

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