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追悼・鈴木清順 不世出の天才監督が映画界に残したもの

Real Sound のロゴ Real Sound 2017/02/24 株式会社サイゾー
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 日本映画界最後の巨星が堕ちた。映画監督・鈴木清順が、2月13日にその息を引き取ったのである。93歳だった。ここではいちファンとしての敬意と愛情を持って故人を「清順」と呼ばせてもらいたい。 参考:『ラ・ラ・ランド』デイミアン・チャゼル監督が語る、ジャズと映画の関係  1923年5月24日に生まれた清順は、松竹大船撮影所の助監督試験を受け合格。映画界に入る。その後、日活に移籍し、本名である「鈴木清太郎」の名で56年に映画監督デビューを果たす。「清順」と名乗りだしたのはその2年後の『暗黒街の美女』からのことで、それまでに6本の映画を作り出していたのだ。そして日本映画がとくに元気だった60年代に入り、『野獣の青春』を皮切りに、彼にしか撮ることができない映画を何本も作り出す。  幾度となく映画化された田村泰次郎原作の『肉体の門』は清順の手にかかれば色彩豊かな衣装を身にまとった女優たちが、鬱屈とした戦後混乱期を象徴させる画面の中で輝く。白黒映画の『けんかえれじい』もまた、ユーモアの数々と定説に嵌らない大胆な転換によって、見るものを釘付けにした。最近では、カラフルな色彩こそが清順映画“らしさ”のように語られることもしばしばあるが、改めて観てみると、一概にそうとは言い切れない。使われる色のバリエーションは極めてシンプルで、赤(紅というより、明らかな赤)や青、そして闇に落ちた背景の黒。ほかの映画でも多用される定番色を、彼自身のヴィジョンのもとに際立たせているということがよくわかる。  その後、のちの代表作のひとつとなる『殺しの烙印』の難解さに当時の日活の社長が憤慨し、専属契約を結んでいた清順を解雇したことが大きな事件を生み出す。いわゆる“鈴木清順問題共闘会議”が結成され、民事裁判へともつれ込むなど大きな騒動となり、皮肉なことに一般に清順の名が知れ渡ったきっかけにもなったようだ。  そんな事件を経て、10年ぶりに映画界に返り咲いた『悲愁物語』から、俗に言う“清順美学”がここぞとばかりに炸裂する。まずこの映画、『巨人の星』の梶原一騎原作のゴルフを題材にしたスポ根メロドラマかと思わせておいて、ただでは収まらない。スターダムにのし上がった白木葉子演じる主人公が購入した豪邸に、近所の奥様方が押しかける場面から急激に登場人物の奇行が目立ち始める。会話のテンポ、画面の作り方もすべて、観客に考える余裕を与えないほどに狂気の嵐を見せつけるのだ。  そして80年代、ついに清順という存在が世界に発見される。大正浪漫三部作の1作目にあたる、『ツィゴイネルワイゼン』がベルリン国際映画祭で特別賞に輝いたのだ。今となっては、東京ドームの下に銀色のエアドームを建設して、そこでロードショーが行われるなんて、誰が想像できるだろうか。同作から『陽炎座』『夢二』へと続く大正浪漫三部作は、これまでに何度もリバイバル上映されるほど根強い人気を誇っている。  2001年にシネセゾン渋谷でニュープリント版としてリバイバルされたときから幾度となく鑑賞している筆者だが、何度観ても、何故面白いのか説明ができない。それこそ最近の「ガルパンはいいぞ」と同じ心境だ。「清順はいいぞ」としか言いようがない。役者の演技からは徹底された演出が垣間見えるし、画面の構図も美術もすべて完璧。セリフはどれも印象的なものばかりで、なのに、なぜか筋書きだけが凡人には到底理解できない境地に達している。これは天才のみが為せる仕事だ。  気が付いてみれば、筆者が生まれた89年からこれまでで、彼の監督した作品はわずかに4本。リアルタイムで観ることができたのは、2000年に公開された『ピストルオペラ』が初めてなのだが、それをテアトル新宿のスクリーンで観たとき(そう、これが初めての清順映画体験だった)、何が起きているのか小学生にはとても収拾できるはずもなかった。  殺し屋集団“ギルド”に属するナンバー3の野良猫が、ナンバー1の百眼を殺すことを命じられる。プロットだけではあまりにもシンプルなのに、韓英恵演じる謎の少女や、車椅子に乗った殺し屋“生活指導の先生”など、注意を逸らしにかかるキャラクターが勢ぞろい。それでいて、東京駅に始まり、富士山の前で終わるというアッパレな展開に、呆然とするばかり。  その不可解な画面に、それまで培ってきた「映画」というものの概念をすべて覆されたような気がしたのだ。いや、間違いなく覆された。好奇心旺盛な時分に、このようなものを見せられては、虜にならずになんていられない。それゆえ、個人的にはこの『ピストルオペラ』か『ツィゴイネルワイゼン』が、清順のベスト作品であると思っている。  だからこそ、2005年に制作した『オペレッタ狸御殿』が遺作となってしまったことが残念でならない。美空ひばりをCGで蘇らせたこと以外、ことごとく物足りないのだ。もっとも、監督業以外にも俳優業を行っていた清順は、昨年公開された原將人の『あなたにゐてほしい』が遺作という見方もできる。それにしても、もう一本でいいから“清順美学”に没頭できる映画を、このすっかり凡庸になった日本映画界の中で撮って欲しかったと言わずにはいられない。  数年前に、トークショーの場に車椅子に乗ったまま現れたのが、清順が公に姿を見せた最後だろうか。その頃から、もちろんこの日が来ることは覚悟ができていた。昨年の秋に大正浪漫三部作のプロデューサーだった荒戸源次郎が亡くなり、晩年の作品に出演した平幹二朗も亡くなり、それだけでなく大勢の日本映画界を支えてきたレジェンドがこの世を去ってきた。さらに『ツィゴイネルワイゼン』のロケ地にもなった鎌倉の切り通しは通行止めになっていやがる。そうなれば、93歳、大往生ではないか。  映画は「芸術」なのか「娯楽」なのかという無粋な問いに、映画ファンなら一度は直面したことがあるだろう。おそらく、“アバンギャルド”だと形容される清順の映画は、前者の方に傾倒しているとレッテルを貼られ、敬遠してきた人も少なくないだろう。でも違う。清順の映画は100%の「芸術」と、100%の「娯楽」が一寸の抜かりなく組み合わされた200%の映画ばかりだ。だからこそ、「芸術」として観れば“清順美学”で作り出された「芸術」であり、「娯楽」として観れば他の追随を許さない圧倒的な活劇なのだ。  ところが観てもさっぱりわからない? そうなれば、映画は完全に理解する必要のないものだと割り切る以外仕方がない(もちろんわかりやすい映画の方が多いのだけれど)。他人の、よりによって“映画の天才”清順の頭の中に描かれたものなのだから、難しくて当然なのだ。でもそれは同時に、自分の頭の中に描かれたものを他者に面白く、映画として提示することの難しさを教えてくれる。だからこそ魅力的で、もうこのような映画監督は世界中のどこを探しても、二度と現れることはないのだろう。  奇しくも先日、アメリカのアカデミー賞で歴代最多タイのノミネートを獲得した『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督は、同作の構想段階で『東京流れ者』からインスピレーションを受けたことを明かした。おそらく清順は『ラ・ラ・ランド』を観ることはできなかっただろう。それでも、27日に行われるアカデミー賞の授賞式で、下馬評通り行けばチャゼルは監督賞か脚本賞で壇上に上がるはずだ。そのスピーチで、清順へ向けた一言が登場すれば、この不世出の天才を、世界は再認識することだろう。  清順監督、「映画」をありがとうございました。 ■久保田和馬

映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。

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