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DABO × サイプレス上野が語る、ヘッズとして見た90年代ヒップホップシーン

Real Sound のロゴ Real Sound 2016/12/25 株式会社サイゾー
© Real Sound 提供

 リアルサウンド編集部にて制作を手がけた書籍『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ』(辰巳出版/リアルサウンド編)が、12月22日に発売された。同書は、ジャパニーズヒップホップが興隆し、日本語ラップやクラブカルチャーが大きく発展した90年代にスポットを当て、シーンに関わった重要人物たち17名の証言をもとに、その熱狂を読み解いたもの。リアルサウンドではこれまで、DJ YANATAKE、CRAZY-A、YOU THE ROCK★、K DUB SHINE × DJ MASTERKEYのインタビューの一部を先行公開してきた。書籍の発売を記念して、今回はDABO × サイプレス上野がヘッズ時代について語り合った対談の一部を掲載する。 ■多感な10代だった二人が、 ヘッズとして目覚めたきっかけ ーーDABO さんは75年生まれ、サ上さんは80年生まれ。2人がヒップホップにハマったのはいつ頃ですか。 DABO:5個上の姉ちゃんの影響で、マイケル・ジャクソンの「Bad」のビデオを小学生のときに観たのが原体験かな。意味はわからなかったけれど、マイケルの後ろで踊っている集団に惹かれるものがあって。明確に意識し始めたのは、15〜16歳だったから、90~91年ぐらい。きっかけはありがちだけど、テレビで放送されていた『ダンス甲子園』とかの影響でダンスが流行り始めて、自然と「お、やべえ」って。それまではパンクがすごく好きだったけど、モテる気がしねぇってのがあって(笑)。それに対してヒップホップは、ハードコアだけど「モテて何が悪い?」ってノリもあったから、もう好きになるしかねぇって感じだった。 サ上:俺も『ダンス甲子園』とかがきっかけですね。最初は子どもだったんで、やっぱりブレイキングとか見てメロリンQの方にハマってたんですけど、その後に小6くらいでちょうど『SLAM DUNK』やNBA選手のドリームチームが流行って、バスケをしたりするようになったんです。で、それっぽい音楽かけながらやろうと思って、バスケ雑誌の後ろの方に載ってたヒップホップのコンピとか見つけて「これ買えばいいんじゃね?」みたいな感じで、みんなで金出して買って。中学に入ってからは「全米が震撼」みたいなキャッチに超踊らされて、アイスTやNaughty By NatureのCDを買ってました。日本語訳読んで「これは悪い音楽だ!」って、憧れてましたね。 DABO:俺はちょっと言うの恥ずかしいんだけど、音に関してはボビー・ブラウンとかMCハマーから入った(笑)。とにかく情報がなかったから、レンタルCD屋に行って黒人が歌ってたら借りる、みたいなノリだった。だからブラックロックも聞いたし、レゲエも聞いたし、4つ打ちも聞いたし、ヒップホップもポップなやつとハードコアなやつと両方聞いてた。肌黒いやつは全部借りる、みたいな。それっぽいのをヤマ勘で借りるんだけど、だいたいそれほど外れてないんだよ。 サ上:わかります。俺は中2くらい、93〜94年頃からだんだんレコードに興味を持ち始めて、横浜の関内にあるユニオンとかに行くんですけど、面出しされているやつをとりあえず買うみたいな感じで。この意味わかんないジャケットのを買っといたら間違いないだろうと思って、買ったらやっぱり間違ってねえってことに気付いた。 ――日本語ラップに出会ったのは? DABO:ヒップホップに目覚めたときにはすでにMAJOR FORCEがあって、創設時の工藤(昌之)さんとかは知らないんだけど、スチャダラパーと高木完がいたから、普通に日本語も英語も両方チェケる感じ。日本語ラップ聞かない人も当時はすげえ多かったし、DABOも英語でラップやればいいじゃんとか言われたけれど、当時15〜16歳だったから、そこから英語覚えてもネイティヴの人には絶対敵わないじゃん? だから、日本語でやるのが自然だと思った。ボビー・ブラウンの曲の途中にあるラップがカッコよくて、とにかくラッパーになりたかったんだよね。 サ上:俺は最初は、DJをやりたかったんですよね。とりあえずレコード買って、アニキのコンポの上に1台だけあるレコードプレイヤーで聞くの。で、DJがなんかやっていたなと、スクラッチの真似をするけれど、DJ用じゃないから当然うまくいかない(笑)。 DABO:意味ないんだけど、やっちゃうんだよね。 サ上:その頃にはスチャとかも出てきていたけれど、当初は「日本語ラップなんてダセェ」って言い張っていたんですよ。でも、ラジオの『Oh!デカナイト』かなにかでスチャの曲をみんなで聞いたときに「実はこれ、カッコいいんじゃないか?」って急に気持ちが変わって。「今夜はブギー・バック」のPVを見たら、アメ車乗ってるし、雪が残ってる感じも良いし、好きなものが詰め込まれている感じで、この人たちは超かっこいい!ってなりました。そこから一気にハマっていきましたね。あと、雷が覆面で『浅ヤン』に出ていたのも衝撃的だったなぁ。 ■学生の間でも大流行したパーティーと、その独特なカルチャー ――初めて行ったイベントは? DABO:なんだろう、当時はパーティーが超流行ってたからな。パー券さばいて「他校の奴らもみんな来るぜ」みたいな感じで、夕方帯に3時間だけやるようなヤツ(笑)。最初はそういうのからだろうね。箱のキャパにもよると思うけれど、100〜200人くらいはポンポン入っていた。オールジャンルで、ちゃんとハードコアタイムとかもあって、血気盛んな奴らでグルグルする。「女子は下がっとけ!」みたいな(笑)。 サ上:俺はたぶん中3のときに、初めてパーティーに行ったと思う。「“暗中模索”ってグループがやべえ。横浜でグイグイきているらしい」って話を聞いて、偵察に行ったんですよ。四字熟語のグループ名とか、時代感が半端ないっすよね。 DABO:攻めてるねえ、模索しちゃってるじゃん(笑)。 サ上:でも、暗中模索はその後、名前変えて超キャッチーなグループになっていたんですよ。それも結構ウケて、最終的にメンバーはすごいオシャレさんになって、SHIPSか何かの偉いさんになった。 ――すごい、成功したんだ(笑)。数々のイベントの中で、特に衝撃を受けたのは? DABO:いろいろあるけれど、92年から始まった「スラムダンクディスコ」かな。衝撃的というか、「こういうのが欲しかった!」って感じで。でも、一緒に行く人はいなかったから、一人でこっそり行ったりする変な高校生だった。現場で誰かと仲良くなることもなく、息を殺して観察していて。出番ないときは出演者もその辺ウロウロしているから、「あ、MC SHIROが目の前にいる!」って感じで。ジンジャーエールとか飲みながら、一晩中見ていたな。音が止まって、身内だけになって気まずくなる直前に帰る、みたいな(笑)。俺は静かに見ているだけのヘッズだったよ。 ――そんな時代もあったんですね。サ上さんは? サ上:横浜のヘブンや町田FLAVAで95年頃にやっていた「旋風(つむじ)」ってイベントが衝撃的でしたね。 DABO:グイグイ攻めてくるなぁ(笑)。 サ上:そのイベントは、町田のフリークスってレコ屋とかが協力していて、Flickとかも出ていたんです。そこでちょっと年上の人たちがパフォーマンスしているのを見て、「すげぇレベル高え!」ってショック受けたんですよ。それでドリームの仲間に、「旋風」やるときは絶対にみんなで行こう、勉強になるぞって。メディアに出ている人たちじゃなかったからこそ、リアルに感じたし参考にもなったんですけれど、今考えると、かなりいい客だったなと(笑)。後日、フリークスに行って掘るフリをしながら流れてるデモテープを聞いて何も買わずに帰って嫌な顔されたりもしていました。 DABO:あはは、店員には嫌な顔されたね。洋服屋とかさ。当時はレコ屋店員と洋服屋店員は神だったから。態度悪くて怖かったなぁ。でも1分でも長くヒップホップっぽい空気の場所にいたいから、長居しちゃうのよ。アウターリミッツにあった、外にモニター向けて流しているミュージックビデオの編集したやつとか、3周ぐらい見ちゃって。高校生の坊主が一人で3時間とか映像観ているわけだから、もう帰れよって感じだよね(笑)。でも、当時は情報なさすぎて、動画なんて超貴重だから、本当に楽しみにしていた。(続きは、発売中の書籍『私たちが熱狂した90年代ジャパニーズヒップホップ』にて)(取材=佐藤公郎/構成=松田広宣)

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