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PC最盛期の重要イベント「IDF」がついに終了 20年の歴史を振り返る

ITmedia PC USER のロゴ ITmedia PC USER 2017/04/19
PC最盛期の重要イベント「IDF」がついに終了 20年の歴史を振り返る: IDF17の中止、そしてIDF終了の告知 © ITmedia PC USER 提供 IDF17の中止、そしてIDF終了の告知

 米Intelの開発者会議「Intel Developer Forum(通称IDF)」が、約20年の歴史に幕を下ろした。

 4月17日(現地時間)、米Intelは2017年8月に米カリフォルニア州サンフランシスコで開催する予定だったIDF 2017をキャンセルし、例年春に中国の深センで実施しているIDF Shenzhenも2017年は行わず、全てのIDFを終了すると発表したのだ。2016年8月に開催された「IDF16 San Francisco」が最後のIDFになった。

 本稿ではIDFというイベントの概要を紹介しつつ、20年間でどのような足跡をたどり、そして終了したのか、それが意味するところをみていきたい。

●Windows 95登場後のPC勃興期に始まったIDF

 「Intel Developer Forum(Intel開発者会議)」という名称が示すように、IDFが目指してきたのは、Intelのエコシステムを使ってハードウェアやソフトウェアの設計を行う技術者との情報交換にあった。

 最初のIDFが開催された1997年当時は、Windows 95のブームも一段落し、ちょうどPCが世間一般にも普及し始めて市民権を得つつある時期だ。CPUからGPU、各種周辺機器まで、PC周辺ベンダーは百花繚乱であり、こうした中でIntelが業界リーダーとしてきちんと技術的、マーケティング的な方向性を示し、必要な情報を提供しつつ、その潜在顧客であるPCメーカーや関係者からのフィードバックを得るのがIDFの役割だった。

 発起人は、現在米VMwareでCEOに就任しているパット・ゲルシンガー氏と言われている。IDFの開催においては、Pentium Pro以降のプロセッサ開発で主導的な役割を果たした技術畑の同氏による発想が大きかった。

 とはいえ、始まったばかりのIDFは小さなイベントだった。貴重な第1回のIDFに参加したジャーナリストの故元麻布春男氏に以前話を聞いたところ、「1つの会議室に参加者が集まってスピーチを行う非常に小規模なもの」だったようだ。

 この第1回のIDFはサンフランシスコで1997年9月に開催され、第2回はIntel本社のあるサンノゼ(正確にはサンタクララ)で1998年2月に、そして第3回はロサンゼルス近郊にある避寒地リゾートのパームスプリングスに舞台を移して1998年9月に開催されている。以後、IDFは「Spring(春)」と「Fall(秋)」の年2回開催が通例となっていく。

 筆者にとってもIDFは非常に思い出深いイベントだ。1999年2月開催の第4回目のIDFは、筆者が初めて取材したIDFというだけでなく、初めての海外渡航と海外出張だった。

 当時所属していた月刊アスキー(休刊、現在はKADOKAWA傘下)で副編集長からIDF開催2週間前に「IDFを取材してきて」と言われ、「パスポート持ってないです」「そこを何とかするのが記者でしょ」とむちゃぶりをされつつ、同業の先輩ライター諸氏の助けを借りながら何とか取材を完遂した記憶がある。

 最初の小規模なイベントとはうってかわり、この時点で既に大きなイベントになっていた。派手な演出で次々と披露される新製品群と新技術、消化しきれないほど大量の情報、パートナー各社のブースでにぎわう展示コーナーなど、IntelとPCを取り巻くエコシステムの巨大さに驚かされるばかりだった。

 ちなみに、第4回IDFでの最大の目玉は「Pentiumでクロック周波数1GHz超え」のデモだろう。液体窒素冷却を使っていたはずだが、当時まだPentium III 500MHzが発表されたばかりのタイミングで、1GHz超えは研究開発レベルのものに過ぎなかった。

 それから1年たたずにAdvanced Micro Devices(AMD)との「市販品での1GHz超えプロセッサ合戦」が始まるわけで、技術の進化スピードを恐ろしいほど実感できる時期だったようにも思う。

 2000年代にパフォーマンス競争で優位に立ったIntelは、当時サーバやワークステーション分野で競合関係にあったSPARCなどのRISC系プロセッサを次々と追いやり、今日につながるPCサーバ市場での覇権を手中に収めた。

 IDFが開催された20年の歴史の中でも、この前半10年の時期がイベントとして盛り上がりのピークで、次の10年はIntelにとって冒険が始まる時期となる。

●20年で大きく変化したPC業界

 前半10年のピーク時期には、米本国で年2回行われる通常のIDFに加えて、世界各地で「ローカルIDF」が1年あたり最大で10回近くも開催されていた。

 筆者は2002年以降は海外にいたため正確には把握していないが、少なくとも2回以上は日本でもIDFが開催されている。

 こうしたローカルIDFは「パートナーの製品や技術紹介」が主軸で、世界各地に存在するOEMメーカーや周辺機器メーカー、関連ソリューション企業との関係強化が主な目的だったと考えられる。それだけ出す情報も多く、幅広い賛同パートナーがIntelのエコシステムを支えていたことの証左だろう。

 同時に、日本のPCメーカーの数は世界的に見ても多く、Intelも特に重視すべき市場と見なしていた。筑波に研究開発センターとショールームを構えていたり(現在は閉鎖)、組織的に日本が独立した地域として区分けされていたりと(現在は中国を除くアジア太平洋地域の一部)、その当時の情勢を象徴するものでもあった。

 しかし、最初のIDF開催から10年の節目となる2007年に、開催地は変わることとなる。米本国で開催されていたIDF Springを中国の北京へと移し、1年に2回、サンフランシスコと中国という2都市開催のスタイルへと移行したのだ。

 開催地の一部を中国へと移した理由は2つ考えられる。

 1つはリーマンショック直前のタイミングで、競争激化などの理由により、2006年にIntelの業績が悪化し、1万人を超える人員削減を行うなど、イベント規模を縮小せざるを得なかったとみられる。

 もう1つが、こうした情勢にもかかわらず北京五輪開催を前に急成長を続けていた中国への投資期待、そしてEMS(電子機器受託製造サービス)などPC製造や開発に関わる企業の多くが中国や中国語圏に位置していることから、前述のパートナー関係強化の視点で、あえて年2回開催のうちのイベントの1つを中国に移動させたのだとみている。

 2008年にはIDF Springの開催場所を上海に変更し、2009年に再び北京へと戻ってきたものの、この年から春のイベントはローカルIDFへと格下げとなり、実質的に年1回開催スタイルとなった。

 中国でのローカルIDFは、Intel幹部がステージに登壇して英語で講演するものの、残りの多くのセッションが中国語で行われるなど、あくまで現地の参加者を主軸としている点に特徴がある。春のローカルIDFはその後も北京で開催され続けたが、2014年に場所を深センへと移し、最終的に深センでに開催3回目となる2016年でその歴史を終えた。

 筆者は後半10年は秋に開催される米本国のIDFしか取材していないが、常々感じていたことが2つある。

 1つは、以前までのIDFに比べても出てくる情報量が減り、得られるものが少なくなっていたことだ。インターネットが発展する以前、Intelのエコシステムに関する資料の多くはIDFで提供される情報が頼りだった。初出張でパームスプリングスから大量の紙や光学ディスクの束をスーツケースに詰め込んで持ち帰った記憶が残っている。

 だが現在、必要な情報のほとんどは適時提供が行われており、IDFならではのサプライズは少ない。レポート記事における取材内容も実際にデモを見たり、インタビューやQ&Aで担当者から直に情報を入手したりと、基調講演での比重が下がっている。

 一方で、IDF以外のイベントを開催して情報発信するケースも出てきた。例えば、Intelは「Research@Intel」という製品化に至っていない基礎研究や大学などとの共同研究による成果を発表するイベントを開催し、最新の取り組みをアピールしている。

 これを取り仕切っていたのは、当時IntelでCTOと研究開発部門トップを務めていたジャスティン・ラトナー氏であり、同氏のリタイアと同時にイベントは終了した。これ以外にも小規模なイベントはいくつか開催されていたものの、情報の密度こそ薄くなりこそすれ、IDFは依然として別格の扱いだったのだ。

 IDFに関してもう1つ気になっていたのは、ここ数年は特に方向性を見失いつつある様子がうかがえたことだ。

 高速バックエンド通信向けの制御機器から、スマートフォンなどの小型モバイルデバイス、センサー向けの組み込み機器まで、過去のIntelは失敗したものも含めてPC以外の多くのプロジェクトを同時に走らせてきた。そのうえでなお研究開発投資やマーケティング予算を投入できる体力や勢いがあったからこそ、業界の盟主たるポジションを確立できていたのだ。

 しかし、最近の同社はPCやデータセンター以外の分野に成長余地を探すべく、IoTや5Gを筆頭に「PCだけではないIntel」をアピールするのに熱心で、いまひとつフォーカスが定まっていない印象がある。

 General Electric(GE)などとの共同プロジェクトをはじめ、次世代の社会インフラを支えるべくさまざまな投資や試行錯誤も続いているが、これらがメッセージとして逆にIntelの迷走感を強調している気がしてならない。

●Win-tel時代の本当の終わり

 実際のところ、こうした流れの中でIDFの立ち位置が微妙になってきたのが、今回のイベント開催終了へとつながったのではないだろうか。PCプロセッサをはじめとした新製品のリリース時期とは必ずしもイベント開催タイミングが一致しておらず、これ以外の新しい分野への投資や取り組みは、本来のIDF参加者の指向と完全にマッチしているとは言い難い。

 必要な情報は適時提供され、パートナー各社とは個別のミーティング機会が度々設けられており、IDFのような場所で一堂に会するメリットも薄い。さらにEMSやODMが主に中国などの中国語圏に位置している以上、情報発信先やミーティングすべき相手の所在は偏っている。PCやモバイルデバイスを取り巻く情勢の20年間での変化が、IDFの意義を失わせたのだというのが筆者の考えだ。

 「PCが斜陽になった」のがIDF終了の原因だという人もいる。成長余地が少なくなったものを斜陽だと言えばそうだが、スマートフォンやタブレットの市場が伸びてなお、PCは一定の販売シェアを維持している。恐らく今後数年先もこの情勢に変化はない。PCを取り巻く環境や開発スタイルの変化から、「IDFのようなイベント形式での情報発信や情報交換」を行う意味がなくなったというのが正しいだろう。

 現在、さまざまな最新デバイスが日々世界の市場へと投入され続けているが、その多くは深センなどの開発者らが集まる市場で設計と製造が行われ、各社のブランドで提供されている。

 パートナーとの関係強化を主眼に、世界規模で年2回以上開催されてきたIDF。それが終了となったのは、かつて「Win-tel」と呼ばれた業界強者であるMicrosoftとIntelの2社によって構築された支配的なPCエコシステムが、本当に終焉(しゅうえん)を迎えたことを意味しているのだろう。

 先日、米ニューヨークで開催された小売業界向け展示会でIntelの関係者数名との話で、「IoT(組み込み)のような世界では、Intelは地域ごとに閉じた組織運営を行っているのではなく、むしろ地域をまたいで顧客同士を結び付けることでビジネスを拡大する方向を模索している」というコメントを聞いた。

 Win-tel体制が権勢を振るった時代は過ぎ去り、Intelはビジネスモデルそのものを変化させようとしているのかもしれない。

[鈴木淳也(Junya Suzuki),ITmedia]

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