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中小企業としての文化系プロレス経営戦略

プレジデントオンライン のロゴ プレジデントオンライン 2017/05/20 高木 三四郎

いま、日本のプロレス市場が成長を続けています。その一翼を担っているのが97年に旗揚げされた「DDTプロレスリング」です。これまで「新日本プロレス」など多くの老舗団体が「体育会系」のマッチョさをウリにしてきたのに対し、DDTは自ら「文化系プロレス」を名乗るなど徹底した差別化を図り、新たなファンを増やしつづけてきました。DDTのどこが新しかったのか。その経営戦略について、現役レスラー兼社長である高木三四郎氏に聞きました。

いま、プロレス市場が沸いている。日本最大のプロレス団体である新日本プロレスは、2012年から毎年、売上高で過去最高を更新しつづけている。好調の要因は、若年層と女性層の新規獲得に成功したことだ。特にこれまで少なかった女性ファンが増えたことは注目を集め、「プロレス好き女子」=「プ女子」という言葉まで生まれた。

そして、今般のプロレスブームを牽引している団体の筆頭格が「DDTプロレスリング」(以下、DDT)だろう。DDTの特徴は、ほかの団体との徹底した差別化だ。老舗団体のウリが「体育会系」のマッチョさだったのに対し、DDTは自ら「文化系プロレス」を名乗っている。

たとえばDDTの名物のひとつに、「路上プロレス」がある。鉄工所の敷地内での王座防衛戦、キャンプ場全体を使ってロケット花火を打ち合う団体戦など、通常のリングではない場所で行うプロレスだ。また、リングに上がるレスラーも、ほかの団体とはひと味違う。試合前にパワーポイントで対戦プランをプレゼンするマスクマン「スーパー・ササダンゴ・マシン」。名物選手「ヨシヒコ」は身長120cm、体重400gのダッチワイフで、対戦レスラーは人形である「ヨシヒコ」を振り回しながら戦う。一方で、正統派のレスラーもいる。現在は新日本プロレスでトップレスラーとして活躍するケニー・オメガ選手も、カナダより自らDDTに売り込みをかけ、路上プロレスで人気レスラーへと成長した経歴を持つ。

こうした楽しい工夫に満ちたスタイルが話題を集め、DDTはプロレスに新しいファンを呼び込むことに成功した。今年3月には1万人規模のさいたまスーパーアリーナ大会を成功させ、名実ともに日本を代表するプロレス団体へと成長しつつある。

そんなDDTの躍進を担ったのが、社長の高木三四郎氏だ。その手腕を高く評価され、2015年5月からは他団体「WRESTLE-1」の最高経営責任者も兼任。全日本プロレスの社長を務めた武藤敬司氏が率いるWRESTLE-1は、旗揚げ当初は海外のプロレス団体から選手を招聘して華やかな興業を行ってきたが、経営方針の転換を模索。その立て直しを依頼されたのが高木氏だった。高木氏は見事に2年で経営を再建し、今年4月にはCEO職を辞して相談役に退いた。

人気プロレス団体の社長業だけでも忙しいのに、自身もリングに立つ現役の選手でもあり、他団体の経営にも関わる多忙ぶり。なぜそこまでするのか。現在のプロレスブームの立役者である高木氏に、その思いを聞いた。前後編でお届けする。

移動時間で頭を真っ白に切り替える

――DDTとWRESTLE-1という両団体の経営に関わられて2年になります。さぞ忙しい日々ではないですか?

【高木】単純に2倍忙しくなったというだけでなく、2団体のプロレスに対する意識の違いに慣れるまでが大変でした。DDTは路上プロレスのような、メジャーな団体がやらないことを追求して成長してきた団体です。一方、WRESTLE-1は武藤敬司さんが設立した団体ということもあり、ストレートな王道のプロレスをやってきた。経営方針もマネジメントの方法も違う。体力的にというより、僕自身の頭を切り替えるのが思った以上に苦労しました。

飯伏幸太という選手がいまして、一時期、DDTと新日本プロレスの2団体所属をしていたんですが、彼も同じことで悩んでいました。同じプロレスでも流儀がまったく違う。それを切り替えてやっていくのが大変だ、と。自分も2団体兼任になってみて、その気持ちがよくわかりました。

――そこを高木さんはどう対応していったのですか?

【高木】WRESTLE-1のCEOも兼任していたときは、午前中は向こうの事務所にいて、午後からはDDTに専念するという時間の使い分けをしていました。WRESTLE-1は大久保に事務所があって、DDTは新宿御苑にあるので、電車で移動していたんですね。その時に窓の外の景色を無心で眺めて、無理やり頭の中を真っ白にして切り替えていました。

――DDT色をWRESTLE-1に持ち込もうとは考えなかった?

【高木】それは考えませんでした。実際、DDTの選手も(リングに)あげませんでした。DDT的なものをWRESTLE-1に持ち込んでしまうと、もっと頭の切り替えができなかったと思います。どちらの団体の選手も混乱してしまうでしょうしね。むしろ完全に分けていたから、2団体の経営をやりきれたんだと思っています。

――では、WRESTLE-1に高木さんが持ち込んだものとはなんでしょう?

【高木】まずコストカットです。地味なことですが、地方巡業の移動手段がバスだったんですね。巡業バスを自前では持っていないからレンタルするんですが、たとえば東京から博多までバスで行くと、高い時期だと3日間で70万円くらいする。これをLCC(格安航空会社)に切り替えることで50万円くらいまで遠征費用を安くするとか。またはパンフレットの印刷業者をネットで発注できるところに変えるとか、細かいところから見直していって、少しずつ赤字を減らしていきました。

もともとDDTは小さな団体だったので、お金がない状態での経営が当たり前だったんです。でも、WRESTLE-1に限らず、プロレス業界の黄金時代を経験してきた方々は、わりとどんぶり勘定というか、「一発デカい興行を当てればいいんだ」という感覚がある。だから経営の細かい数字を見直すということをやってこなかった。

一方、僕にはDDTの経営で培ったコスト削減のノウハウがある。それを持ち込めば、WRESTLE-1の経営は立ち直れるのではないかと思ったのが、そもそもCEOを引き受けた理由でもあるんです。カルロス・ゴーンさんみたいなものですよ(笑)。ゴーンさんはルノーで行ったコストカットの手法で、日産の経営を立て直した。WRESTLE-1のCEOをやるうえで、そこはすごく意識しました。実際に彼のビジネス書を読んだりもしましたね。

――その効果はどうでしたか?

【高木】少しずつ上向いていって、今はたとえ集客が予想より少なくてもプラマイゼロになるレベルには持っていけました。そこまでやって、次のステージに進める。CEOに就任して2年で安定した経営の土台を築くことができたので、今年4月からは相談役として、カズ・ハヤシ新社長をサポートする立場に退くことになりました。

学生時代からとにかく赤字が大嫌い

――高木さんは大学卒業後からプロレスラーとして活動され、会社員の経験もないままにDDTを立ち上げられています。そういった現実的な経営感覚を、どこで身につけたのですか?

【高木】若い頃から、とにかく赤字を作りたくなかったんです。大学時代に学生イベントに関わっていた経験が大きいかもしれません。当時はバブルで、何千人も集めるようなサークルがたくさんありましたけど、みんな金遣いが荒かった。いくら儲かってもすぐに使ってしまい、借金まみれの人ばかり。そういった人たちを反面教師にして、自分は堅実にやろうと決めたんです。

だから学生の頃から、僕が関わるイベントではちゃんと収支を立てて毎回黒字になるようにやっていました。性格としか言いようがないですけど、本当に損をするのが嫌でしたね。これは今も変わらないです。

――その感覚が1997年にDDTを旗揚げしてからも活かされたと。

【高木】いや、DDTでいうと、旗揚げ初期の頃はお金の出どころが全部自分だったんですよ。そうしたら最初の大会でいきなり100万円の赤字が出て、それを僕が被らなきゃならなくなった。とにかく損が嫌いな性格だから、「なんで自分が!?」って思いました。

僕はあれこれ企画を考えるのは好きでしたけど、経営者になりたいと思ったことはなくて、自分はプロデューサー向きの人間だと思っていました。プロレスは好きだし、やりたいこともあるけど、お金の責任は負いたくない。だから2004年まで、経営はほかの方に任せていたんです。

――それがなぜ、経営者になることに?

【高木】34歳のときに、結婚したんです。家庭を持って、子供ができて、自分の中に責任感が生まれた。好きなことを好きなようにやれればいいという性格だったのが、将来のことを考えるようになりました。それでDDTとの向き合い方も、腹をくくらないといけないなと思ったんです。そこからですね、経営というものを真剣に考えるようになったのは。

――DDTは路上プロレスなど、過激な部分ばかりが強調されがちですが、経営においてはとても堅実ですよね。今回お話を聞いて、だからこそ一歩一歩成長し、とうとうさいたまスーパーアリーナ大会を開催できるほどの団体に成長できたのかな、と感じました。

【高木】結局、僕らは中小企業なんですよ。今ある人と金を使ってやりくりしていくしかない。WRESTLE-1でも、僕がCEOになってからは、選手にも経営に関わってもらうようにしました。自分で言うのも変ですけど、僕は人材を適材適所に配するのはうまいと思っているんです。

たとえば、DDTができなかったことのひとつに、プロレス学校(現役プロレスラーが若手を一から育成する「プロレス総合学院」)の設立があります。WRESTLE-1は王道のプロレスを学んだ選手が多いから、ここだったらできると思いました。ただ、僕らにはノウハウがない。だったらWRESTLE-1の中で、プロレス学校出身の選手にマネジメントに関わってもらったほうがいい。そこでお願いしたのが、闘龍門出身の近藤修司くんです。

――闘龍門とは、ウルティモ・ドラゴンさんが設立した日本でも有数のプロレスラー養成学校ですね。

【高木】その闘龍門出身の近藤くんであれば、プロレス学校とは何が必要で、どういう指導をしていけばいいのかわかっている。だから学校のマネジメントのトップになってもらった。実際にそれは成功して、4月からのWRESTLE-1の新体制では、新社長を支える副社長に就任しています。

――まさに適材適所が成功したと。ただ、中小企業の経営には今ある人材でやりくりすることが欠かせないことはわかるのですが、その能力の有無は、どうやって見抜くのですか?

【高木】今はプロレスラーもSNSで情報発信をする時代ですから、会って話すだけでなく、彼らのツイッターやフェイスブックを見ますね。そうすると、パーソナルな部分が8~9割はわかる。WRESTLE-1の大和ヒロシくんという選手は、以前からチケットを売るために、地方の商工会議所をまわって、地元の人たちに宣伝していました。彼が個人的にやっている活動をフェイスブックにアップしているのを見て、大和くんだったら営業が任せられるかもしれないと思い、今は営業部長をやってもらっています。

――そうした高木さんの人を見抜き、任せる経営方針は、やはり小さな団体を育ててきたというのが大きいのでしょうか。

【高木】そうですね。DDTを立ち上げたときは専門のスタッフを雇う余裕がなく、レスラーがフロント業務も兼任するしかなかった。でも、誰もが営業やマネジメントができるわけではないので、個人の適性を見極めていかないといけない。人も金も限られた環境で経営していかなければならなかったから、見極める目というものが身についたのかもしれないと思いますね。

高木三四郎(たかぎ・さんしろう)

中小企業としての文化系プロレス経営戦略 © PRESIDENT 中小企業としての文化系プロレス経営戦略

1970年生まれ、大阪府出身。プロレス団体・DDTプロレスリング社長兼レスラーで、通称“大社長”。15年5月よりWRESTLE-1のCEO、17年3月より同相談役を務める。

DDTプロレスリング

97年旗揚げのプロレス団体。小規模会場のほかライブハウス、書店、路上、キャンプ場など、さまざまな場所でプロレスを行い、エンターテインメント性の強い「文化系プロレス」を名乗る。今年1月より自社で動画配信サービス「DDT UNIVERSE」<http://ddtuniverse.com/>を開始したほか、Amazonプライムにてオリジナル番組『ぶらり路上プロレス』を配信中(高木大社長も出演)。(構成=小山田裕哉 撮影=尾藤能暢)

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