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横綱レスラー・輪島がいたから新生UWFが生まれた!?…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知 のロゴ スポーツ報知 2018/10/12 08:00 スポーツ報知/報知新聞社
キラー・カーン(下)にスピニング・トーホールドを決める輪島大士(右は阿修羅原、1987年1月25日・後楽園ホール) © スポーツ報知/報知新聞社 キラー・カーン(下)にスピニング・トーホールドを決める輪島大士(右は阿修羅原、1987年1月25日・後楽園ホール)

 プロレスラーとしても活躍した大相撲第54代横綱の輪島大士(本名・輪島博)さんが下咽頭、肺がんによる衰弱で8日に東京都内の自宅で亡くなった。70歳だった。

 日大で2度の学生横綱に輝き、花籠部屋から幕下付け出しでデビュー。わずか3年半で横綱に昇進した。学生出身初の横綱で、本名のまま横綱になったのも初めて(現時点でどちらも唯一)。「黄金の左」を武器に史上7位の14回の幕内優勝。大関・貴ノ花と「貴輪(きりん)人気」を誇り、横綱・北の湖と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。

 輝かしい横綱時代と比べて、38歳で入門したプロレス時代はわずか2年8か月と短く、訃報においても、付け足しのような報じられようで、プロレス時代にフィーチャーしたものはなかった。

 親方時代に報知新聞の評論家を務めていたというご縁もあり、引退後の輪島さんと酒席をともにしたこともあったが、プロレスの話を聞こうとすると、いつも大相撲やアメリカンフットボールの話に変化された。「ウォリアーズにちゃんこをごちそうしたら喜んでくれたよ」という米国時代のエピソードを聞けたぐらいか。あまり語られなかった横綱レスラー輪島をおさらいしてみると…。

 横綱を引退後に花籠親方として部屋を継承した輪島さんは、年寄名跡を借金の担保に入れるという不祥事が発覚して廃業(日本相撲協会を退職)。1986年4月13日に、ジャイアント馬場率いる全日本プロレスへの入団発表を行い「裸一貫で」出直した。横綱時代130キロだった体重は103キロと発表された。

 世界タッグ五輪に出場したジャイアント馬場&2代目タイガーマスク(三沢光晴)に付いて渡米し、米国武者修行が始まった。8月7日にカンザスシティーで馬場とのタッグでデビュー(フェリス、ホッグ組に勝利)。黄金の左をモチーフにしたゴールデン・アームボンバーという必殺技を編み出し、シングルも含め7連勝を飾った。

 凱旋帰国して11月1日に地元の石川・七尾市総合市民体育館で国内デビュー。タイガー・ジェット・シンとのシングルマッチは、日本テレビで午後7時から生中継された。

 その後の輝かしい舞台は、当時世界最高峰のNWA世界ヘビー級王座に挑戦したことだろう。87年3月12日、日本武道館での王者、リック・フレアーとのタイトルマッチ。これはジャパンプロレスから全日本プロレスに参戦していた長州力のために用意された舞台だった。長州が新日本プロレスに復帰すべく、1月に戦線離脱したからこそ、転がり込んできたチャンスだった。

 長州の離脱は、ジャンボ鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビとの抗争に刺激がなくなったことに加え、ゴールデンタイムの主役を輪島に奪われたからだとも言われている。この年の新春バトルロイヤルでニアミスしただけで、輪島と長州がリングで肌を合わせることはなかった。

 全日本マットを引っかき回した長州がいなくなったことで、消化不良となった天龍が、激しい戦いを求めて、鶴田、輪島にケンカを売る行動に出る。阿修羅原と共闘した天龍革命である。張り手を受けてもなかなか本気にならなかった鶴田に対して、輪島は天龍の餌食になった。元前頭筆頭の天龍に顔面を蹴られて、苦しそうにリングにはう元横綱の姿は悲壮感が漂い、天龍同盟の非情さを演出した。この年の11月7日、後楽園ホールでの唯一のシングルマッチは、天龍のキック、エルボーに輪島はリングアウト負けを喫している。

 そして、新日本に戻った長州は、この12日後の後楽園ホールで事件に遭う。11月19日、6人タッグでの前田日明による顔面襲撃事件だ。木戸修にサソリ固めをかけようとした長州に前田が顔面にキックを見舞い、眼窩底骨折の重傷を負わせた。

 その結果、前田は新日本から解雇され、翌88年に新生UWFを旗揚げするのだった。前田は近年になって、インタビューやトークショーで、この顔面キックは、天龍の輪島へのキックがモチーフになったというのを定説にしている。私も直に聞いたことがある。「天龍さんが輪島さんにやったキックぐらい、吉田さん(長州力)なら大丈夫だと思った」と。

 「風が吹けば桶屋が儲かる」的な論法になるが、レスラー輪島の存在が、爆発的なブームを巻き起こした新生UWFの誕生につながっているのだ。輪島さんが思い出したくもなかった、わずか2年半のプロレス時代。歴史の転換点の中で、リングにはいつくばった輪島さんがマット界に果たした役割は、決して小さくはなかった。(酒井 隆之)

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