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日本人技術者が最高峰「エリザベス女王工学賞」受賞 その技術はスマホの中にも?

AERA dot. のロゴ AERA dot. 2018/01/11 07:00 内村直之

 スマホなどで映像記録を簡単に残せるようになり、社会を変えるほどになっている。その「電子の眼」の基礎を創った日本人技術者がいる。なんと筆者の大学・大学院の同期生。このほど最高峰の賞を受賞した。

 2017年12月6日、いまや欠かせない先端技術の礎を創った4人に、工学では最高と言われる英国の「エリザベス女王工学賞」が授与された。その技術とは「電子の眼」とも呼ばれる半導体イメージセンサー。受賞者の一人はこのセンサーでデジカメなどの画質を根本的に変えた日本人技術者、寺西信一だ。ロンドンのバッキンガム宮殿でチャールズ皇太子からトロフィーを受け取った寺西は言う。

「画期的で日常に必須な技術は多くあるけれど、その中に私たちの開発したイメージセンサーが選ばれたのはとても幸運。若い人たちが技術やモノづくりに興味を持つよう激励したい」

「電子の眼」の需要は伸び続けている。10年代中頃に、イメージセンサー素子の年間販売個数は40億個といわれたが、その後の人工知能(AI)時代、あるいはインターネットに自動車や電気製品がつながるIoT時代を迎え、世界で数百億の「電子の眼」が利用される社会になるという。だがこんな展開はここ40年ほどのことだ。

 家庭用ビデオテープレコーダーが普及しつつあった1970年代後半、電機メーカーが次に目指したのは、自ら動画を撮影し自宅で楽しむ家庭用ビデオカメラだった。当時、放送業界で使われていた撮像管は、大型で重いうえに高価だった。ラジオやテレビが真空管からトランジスタ、ICへと切り替わり安価に大量に普及したのと同じように、画像をとらえる装置の基礎も、半導体製のLSI(大規模集積回路)に置く必要があった。問題はスクリーンに映った画像の平面に並んだ電子信号を、どうやって一列に並べて順次送り出し、デジタル信号にするか、ということだった。

 実はこの課題、クリアするための基礎はすでに米国で発明されていた。こんな名称を目にしたこともあるかもしれない。電荷結合素子(CCD)だ。

 69年、米ベル研究所のウィラード・ボイル(故人)とジョージ・スミスは、光で半導体上に発生させた電気をまとめ、半導体素子表面に沿って移動させるCCDの概念を提案。同研究所のマイケル・トンプセットは73年、この概念をもとに初のCCDイメージセンサーを実現させた。スミスとトンプセットも今回の受賞者だ。だがフィルムカメラや撮像管に比べると画質は全く不十分だった。

 その後10年ほどで、画質は確かに向上した。だがここでも課題は残った。例えば、像が尾を引いたように残る「残像」や、光が入らないのに電気信号が出る「暗電流」、強い光を当てると画像がにじむ「ブルーミング」などの「画像のキズ」となる現象を抑えることができない。当然、「フィルム並み」の画質を求める消費者の心はつかめなかった。だが、これらを解決へと導く少年が日本に現れる。

 寺西は中学時代に科学雑誌の「核融合特集」を読み、「無尽蔵でクリーンなエネルギー」にあこがれる科学技術少年だった。東京大学理学部物理学科から大学院へ進み、当時の教授で核融合の権威だった吉川庄一につこうとした。しかし、突然、吉川は東大を辞め、古巣の米プリンストン大学へ戻ってしまう。寺西は「いきなり、目標がなくなったんです。悩んだ末に一歩下がって基礎物理にいった」と振り返る。

 東大大学院で師事したのは、当時ノーベル賞の呼び声も高かった理論物理学者の久保亮五だ。目に見えないミクロの理論で、電気伝導や磁石など、物質のマクロな性質を説明しようとする「統計力学」という分野を独自に開拓した有名教授だ。

 ところが、2年間の修士課程を終えたところで寺西はこう考え、方向を変えた。

「研究室はできる人ばかりで『こうはなれんな』と思うばかり。やっぱりモノづくりだ」

 修士論文は久保にほめられたものの、博士課程には進まず、78年に日本電気(NEC)に入社。志望理由は「半導体とコンピューターがあるから」だった。配属されたのは中央研究所電子デバイス研究部。「イメージセンサーの開発」がテーマとなった。だがこの時、この分野について、寺西の知識はゼロだ。

 当時は日立も松下電器も東芝もNECも、イメージセンサー開発でしのぎを削っていた時代。何も知らない新人が来ても、丁寧に理論と技術を教え、勉強させた。さらに学会に行けば、会社の垣根を越え、技術と夢を語りあい、教えあう風潮もあった。

「社内の先輩はもちろん、日立の人、東芝の人にもよく教えてもらった。みんなで飲みに行っても技術の議論ばかり……」

 モノづくりの熱気が技術者に溢れた時代だった。

 当時の寺西に与えられた仕事は「イメージセンサーの高画質化を妨げている画像のキズを消せ」という長らく残っていた難題。消すには、半導体の中で走り回る電子の動きを徹底的に追わないといけない。ここで大学で学んだ統計力学が役立った。

 つまり寺西の功績とは、こういうことだ。製品の小型化・高機能化が常に最重要課題のため、半導体工学では「小さく詰め込め」が合言葉。なるべく小さな素子を作り、高集積化するという狙いだ。そのために、センサー内で電子をためる部分もなるべく薄くするため、「使える電子」の数は少なくなる一方だった。ギリギリの人数の、ブラック企業みたいなものだ。ここで寺西は理論的な解析からこの点に気づき、80年に「電子を多くする不純物を含む層を素子に付け加えたらどうか」と提案。それまでの集積回路工学の「常識」に反したアイデアだった。

 技術者が熱くなれば、会社も熱くなった。上司に報告すると「すぐに特許を書け、そして実験も……」と指示が下り、不純物層の厚みをいろいろ変え、作ってみた。センサーの前で手を振って像が尾を引く残像が出るかどうかも試した。「よさそうだ」。残像も暗電流も消え、一つの画素の大きさを小さくする高解像度化もできたのだ。これが今回の工学賞受賞の対象となった「埋め込みフォトダイオード」の発明である。

今、寺西はX線イメージセンサー開発などを目指し実験を重ねている。兵庫県・播磨科学公園都市の兵庫県立大学ニュースバル放射光施設で(撮影/内村直之) © dot. 今、寺西はX線イメージセンサー開発などを目指し実験を重ねている。兵庫県・播磨科学公園都市の兵庫県立大学ニュースバル放射光施設で(撮影/内村直之)

 商品化はそれから7年後。完成した画質を以前のものと比べると、例えば、人の顔のアゴのところのようにちょっと暗くなった部分の画質は格段に良くなった。この寺西の発明は、競合する他社のイメージセンサーにも広く採用された。

 そして92年、今回の受賞者の一人である米国のエリック・フォッサムは、よりコンパクトに作れる「CMOSイメージセンサー」を開発。今やCCDと置き換わったが、寺西の「埋め込みフォトダイオード」はこのCMOSでも画質改善に必須の技術として採用が続く。今誰もが使っているスマホやデジカメの中に寺西の技術があるのだ。

 イメージセンサーの需要は増加の一途をたどる。当初、応用はカメラ画像だけだったが、今では内視鏡や虹彩による個人認証、あるいは自動車の障害物発見など、いろいろな「情報」を得る方法として、広く利用されているのだ。(文中敬称略)(科学ジャーナリスト・内村直之)

※AERA 2018年1月15日号より抜粋

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