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“ニセ戦場カメラマン”が世界のメディアをだますことができた理由

ITmedia ビジネスONLiNE のロゴ ITmedia ビジネスONLiNE 2017/09/14 07:48 アイティメディア株式会社
© ITmedia ビジネスオンライン 提供

 最近、あるブラジル人の許し難い所業が世界的に話題になっている。その人物の名は、エドゥアルド・マルティンス。32歳のモデルばりのイケメンのブラジル人で、不幸なことに、若くして患った白血病で闘病生活を送ったこともある。生きがいは、サーフィンで、自身のインスタグラムのアカウントにも、鍛え上げられたマッチョな体で海に出る写真をアップしている。

 そして職業は、大手メディアに写真を掲載する「戦場フォトグラファー」。紛争地の現場に足を運び、戦争の現実、巻き込まれた無実の市民たちの姿を切り取り、命の危険と隣り合わせの生活を送りながら、仕事を済ませるとカメラをサーフボードに持ち替えて、海に出る――。

 これだけを見ると、映画の主人公にでもなりそうなかっこよすぎる人物だと思えるが、実はこれらは全てうそだった。名前から職業まで全て捏造だったのである。もちろん、アップされていた顔写真もネットで拾ってきたもので、彼がメディアに提供していた写真も他から盗んで手を加えたものだった。

 このニュースは、米ニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、仏ルモンド、英テレグラフ、さらに英BBC(ブラジル版)といった名だたる大手メディアがこの「ニセ戦場カメラマン」の写真を掲載していたことで、見事に詐欺師にだまされたケースとして大きく報じられた。

 ただ報道だけを見ているとメディアが翻弄(ほんろう)された間抜けな笑い話で終わりそうなニュースだが、実は、この騒動を実際に取材してみると、世界中のプロのフォトグラフィー業界が現在抱えている問題点が浮き彫りになって見えてくる。このニセ戦場カメラマンの騒動はその”実態”のせいで生まれたともいえるのである。

●全てつくられた、うその経歴

 まず「エドゥアルド・マルティンス」が作り上げていた虚構の経歴をもう少し詳しく見ていきたい。

 マルティンスはブラジルのサンパウロ出身。18歳に白血病が発覚し、25歳まで闘病し、病気に打ち克つ。そして彼がかつて、注目のカメラマンとして受けたインタビューによれば、彼は病気になったことで、何か意味のある人生を送ると決心、写真家の道に入る。それから2014年にパリに移住し、15年には最近まで暮らしていたというニューヨークに拠点を移した。もちろん、全てうそだと見られている。

 彼は、時間ができれば、スリランカ、フィジー、ハワイ、インドネシアなど世界中のサーフィンの聖地を訪れた。インタビューにもこう述べている。

 「仕事の行き先を、時には、アフリカなど”波”があるところにすることもあるよ。そうでなければ、”波”に乗れる方法を探すのさ。モザンビークにはしょっちゅう行き、波乗りを満喫するんだ。抗がん剤で体調がすぐれない時もできる限り海に向かうよ。サーフィンは俺の情熱そのもので、体の一部なんだ。海があるからこそ、生きていられるのさ」

 発言も“イケメン度”が強過ぎて気持ち悪さを感じるほどだが、とにかく、悲劇のヒーロー路線で自らを売り出したかったことは間違いない。繰り返しになるが、インタビューなどでの発言も全て虚構だと見られている。

 また彼が主張する経歴も、そんなヒーローにふさわしいものだった。彼によれば、自分は引く手あまたの実績ある人気フォトジャーナリストで、国連の仕事もしている。残忍性が話題になっていたIS(いわゆる「イスラム国」)を追ってイラクやシリア、パレスチナのガザ地区など危険地域に入り、戦闘員や住民にカメラを向け続けた。15年にはシリアで反体制派としてアサド政権と戦っていた「自由シリア軍」に1週間密着もしたという。

 戦場での経験についても、こう語っていた。「一度、火炎瓶が直撃した少年を助けるため、カメラを捨て置いて、戦闘地域から外に出たこともある」「最初の戦闘地取材だった(シリアの)アレッポで、銃で撃たれたこともある」

 そしてマルティンスの写真は通信社や大手新聞社、雑誌社などで取り上げられて、取材を受けるほど注目されるようになった。Instagramのアカウントは13万人近くになり、さらにネット上で知り合った何人もの女性とネット上だけで「デート」をしていたことも分かっている。繰り返しになるが、彼は名前すらうそだった。

●他人が撮影した写真を加工

 ただメディアが、マルティンスについて「怪しい」とざわつき始めるのにはそう時間はかからなかった。実際にだまされたBBC(ブラジル版)の記者も調査に動き出すなど、メディア関係者の間で彼のことが話題になりつつあった。

 マルティンスの写真に早い段階で矛盾点などを発見したのは、同じくブラジル人フォトグラファーのイグナシオ・アロノビッチ氏だった。著者がサンパウロに暮らすアロノビッチ氏に接触すると、彼は日本からの取材に「この問題がここまで大きくなっていることにびっくりだ」と驚きを隠さなかった。

 アロノビッチ氏はメディア関係者の間でマルティンスがうわさになっているのを知って、実際の写真を検証したという。アロノビッチ氏はその際に、決定的な矛盾を見つけたとし、著者にある写真を示した。マルティンスが実際に撮影したことになっているそのモノクロの写真は、何人もの男が負傷した男性をストレッチャーで慌てて運ぶ写真なのだが(下の写真)、それを取り囲む群衆の中に、カメラを手にして立つ男性が右側に写っている。

 そのカメラを手にした男性を注目して見ると、矛盾がある。

 その男性が手にしているカメラをよく見ると、シャッターボタンがカメラのボディー左側にあるのが分かる。カメラ好きならもうお気付きかもしれないが、これは普通なら考えにくいことだ。アロノビッチ氏は、「なぜなら、今日、全てのカメラでシャッターボタンはカメラのボディーの右側についているからだ。この写真はそうではない」と指摘する。

 つまり、マルティンスは「写真を左右に180度反転」させていたことが判明したのである。さらなる検証で、マルティンスは、反転した上でフォトショップ(写真加工ソフト)でバレないようにさらに加工して自分が撮影したことにしていた。他の写真を見ても、全て手口は同じだったという。

 こうした検証が行われているのを察知したマルティンスは、”写真家仲間”になっていた知人にメッセージを残し、SNSのアカウントなどを全て削除し、姿を消した。そしてマルティンスの存在が虚構だったことが判明するのである。

 現在までに判明していることは、マルティンスが掲載していたイケメンのプロフィール写真は、英国人ブロガーでサーファーのマックス・ヘップワース=ポーベイ(32)という男だったこと。ヘップワース=ポーベイ氏は「友人から最初に写真を見せられた時は、誰かが俺をおちょくってるジョークだと思ったんだけど……俺の写真を使うとは驚きさ」と英メディアの取材に答えている。

 またマルティンスが盗んで手を加えていた元の写真の出元も判明している。写真は全て、実在するトルコ在住の米国人フォトジャーナリスト、ダニエル・C・ブリット氏の撮影したものだった。マルティンスはブリットの写真をダウンロードして、写真を反転させるなど手を加えて、無料でメディアに提供した。これまでに関わった全てのメディアが、直ちに彼の写真の削除に追われたことは言うまでもない。

 この一連の顛末(てんまつ)を見ると、ある大きな疑問が湧く。プロのフォトエディターたちが、マルティンスのうそになぜ全く気付かなかったのか、だ。

●なぜプロでも気付けなかったのか

 話を進める前に、まず報道写真業界の仕組みを簡単に知る必要がある。ニュース報道などにおけるスチル写真の世界では、プロのカメラマンが現場に赴き、写真を撮影し、勤務先や契約先のメディアに写真を送る。そしてそれを受け取った編集者が、掲載写真を決める。もちろん会社や契約形態によってさまざまなケースがあるが、これが一般的な流れだ。

 マルティンスのケースは、彼が本物だったなら、こういうことだったはずだ。国連などのプロジェクトで普通なら行けないような現場に入り、そこで撮影したものを個人的にやりとりしているメディアに提供するか、または、誰も知り合いのいないメディアなら、飛び込みで売り込む、というパターンが考えられる。また個人のHPなどに写真をアップして、メディア側から声がかかるケースもあるだろう。

 いずれにせよ、写真をメディアに掲載するには、必ず編集者が介在する。海外では写真編集を専門とする「フォトエディター」という職があり、プロの彼らの写真を見る目は非常に優れていると言える。著者もロイター通信社に勤めていて日常的に目の当たりにしていたが、ベテランのフォトエディターなら、フォトショップで意図的に加工された写真や、本来の写真の意味を変えてしまうような修正などを見抜く力がある。そういう写真は配信せずに「Kill(削除)」する。

 最近では、フォトショップなど写真加工ソフトを使えば、写真の意味を意図的に変えたり、偏向させることが簡単にできる。例えば無実の人物の写真を通常より暗く加工するなどすれば犯人に対する印象を変えることができる。

 著者が実際に現場で目の当たりにしたケースでは、中東の紛争写真で爆発による黒煙をわざとフォトショップで追加した写真が通信社から配信されて大騒動になり、写真を提供した契約カメラマンが即刻クビになったケースがあった。また欧米の通信社は、ニュース写真の撮影が制限されている中国や北朝鮮の政府系メディアなどから写真の提供を受けて世界に配信するケースがあるが、両国の提供する写真はフォトショップで政府の伝えたいように加工されているケースが少なくなく(軍事訓練の写真で戦車がいくつもフォトショップで増やされている、など)、通信社は常に公式写真を警戒している。

 またフォトショップを使わずとも、わざと「悪そうな顔」に見える瞬間の写真を選んで掲載すれば、その人物の印象を悪くすることができる。だが訓練を受けたフォトエディターは、ジャーナリズムまたは倫理的な問題で、そういう意図的な印象操作をしないよう細心の注意を払っている。

 スチール写真の世界にはこうした背景があるのに、今回のマルティンスのケースが見逃されたのはなぜなのか。既出のブラジル人フォトグラファー、アロノビッチ氏にそれを問うと、現在のフォトジャーナリズムの世界に起きている問題を指摘した。

 「見逃された理由の一つには、今日ではとてつもない数の写真がネット上などに掲載されることがある。Facebookだけでも毎日、3億5000万枚の写真がアップロードされている。ロイター通信は毎年、8億5000万枚の写真を配信する。それほどの数の写真がアップされるから、みんなあまり写真を注視しないようになったと、私は考えている。またメディア側にも、いるべきところにフォトエディターがいなくなっている。もはや消滅しつつある職なのです。それも、今回のようなケースが見逃される理由だと言える」

 今、世界的にもフォトエディターという仕事が軽視され、消えつつあるというのである。確かに、例えばロイター通信社で見てきた同僚の優秀なベテランのフォトエディターたちなら、マルティンスの写真を前にして、カメラのシャッターの位置の矛盾も、写真自体がフォトショップで加工されている可能性も見破っただろう。

 しかしネットが登場したことで編集を通さないような写真があふれる現在、フォトエディターという”職人”たちの仕事が「カネがかかる」「合理的ではない」という認識で、重要視されていなくなっているようだ。

 アロノビッチ氏は嘆く。「フォトエディターがいないため、訓練された眼で写真を注意深く見ることができる人はいなくなってしまっているのです」

 現在、ニセ戦争カメラマンのマルティンスの所在は明らかになっていない。ただ本人は、「オーストラリアにいる。バンに乗って1年をかけて世界を回ることに決めたんだ……静かに過ごしたいんだ」と、知人に最後のメッセージを残している。本気で、イケメンの人気フォトグラファーになりきっていたのだろう。

 マルティンスは今どこで何を思うか――。だまされた大手メディアは恥をかいたが、少なくとも、プロの写真の世界にある問題点を浮き彫りにしたことは価値があったのかもしれない。

(山田敏弘)

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