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夏の甲子園、17年前の奇跡再び…雨にまつわる珍事件

AERA dot. のロゴ AERA dot. 2018/08/11 16:00

 記念すべき第100回全国高校野球選手権記念大会が開幕し、今年もどんなドラマが生まれるか大いに楽しみだが、懐かしい高校野球のニュースも求める方も少なくない。こうした要望にお応えすべく、「思い出甲子園 真夏の高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、夏の選手権大会で起こった“B級ニュース”を振り返ってもらった。今回は「雨にまつわる珍エピソード編」だ。

*  *  * 

 負けていた試合を降雨ノーゲームに救われ、再試合で勝利という17年前の奇跡を再現したのが、1982年の日大二。

 大会2日目の第4試合(1回戦)で八幡大付(現九州国際大付)と対戦した日大二は、2対4とリードされていたが、あと1イニングで試合が成立する6回裏1死、雨が激しくなり、ノーゲームとなった。

 初戦敗退のピンチを雨で命拾いした形だが、実は、同校は1965年の1回戦、岡山東商戦でも1対3とリードされていた試合を5回降雨ノーゲームに救われていた。再試合ではセンバツ優勝投手の平松政次(元大洋)を攻略し、4対0で勝利。くしくも当時の高本晴夫監督は、17年後のこの大会も部長としてベンチ入りしていた。「2度も負けるわけがない」の部長の檄にナインは奮い立った。

 そして、3日後の再試合、日大二は初回に4番・倉本秀俊の三塁線を破る二塁打で1点を先制すると、3回にもエンドラン、スクイズと小技でたたみかけて2点を追加。その後は激しい点の取り合いで二転三転し、5対5で迎えた7回、吉田真一の勝ち越しタイムリーやスクイズなどで3点をもぎ取り、試合を決めた。

 降雨ノーゲームになった試合でことごとくバントが失敗したことを反省し、2日間、みっちりバント練習に取り組んだことが、大小織り交ぜた多彩な攻撃につながった。

1982年の日大二対八幡大付は降雨ノーゲーム (c)朝日新聞社 © Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 1982年の日大二対八幡大付は降雨ノーゲーム (c)朝日新聞社

 終わってみれば、毎回の15安打と7犠打で9得点(9対6)で、「ノーゲームで命拾い→再戦で勝利」の“二高伝説”を見事に再現。ベンチの最前列でメガホン片手にナインを鼓舞しつづけた高本部長も17年ぶりの快挙に満足そうな表情だった。

 日大二とは対照的に雨との相性が悪いのが天理。72年、80年の準決勝では、いずれも雨で試合が30分以上中断するアクシデントに見舞われ、2試合とも逆転負け。勝者となった津久見と横浜は揃って優勝している。

 高校野球の場合、降雨コールドゲームは7回完了、または後攻チームがリードした7回表終了の時点で成立するが、同点のまま7回が完了していないのに、なぜか試合成立となったのが、1998年の如水館vs専大北上(1回戦)。

 1点を追う如水館は7回、先頭の竹玄圭吾が四球で出塁したあと、二盗を決め、送りバントと3番・松浦孝祐の右犠飛で6対6の同点に追いついた。

 ところが、4番・徳田乾が四球を選び、2死一塁となったところで、雨が激しくなり、6回表に続いて2度目の中断。47分後、「甲子園に雷が落ちてもおかしくない。観客の安全を考慮しました」(日本高野連・田名部和裕事務局長)という理由で降雨コールド引き分け再試合が宣告された。

 規定の7回が完了していないのに、なぜ試合が成立したか、疑問に思ったファンも多かったはずだ。

 実は、公認野球規則4.10「5回裏(高校野球は7回裏)の攻撃中にホームチーム(後攻チーム)が得点して、ビジティングチーム(先攻チーム)の得点と等しくなっているときに打ち切りを命じられた試合」に則ったもの。もし、如水館が7対6と逆転に成功していれば、これまた7回2死打ち切りで試合成立だった。

 第1回大会準決勝の京都二中(現鳥羽)vs和歌山中(現桐蔭)以来83年ぶり2度目の降雨コールド引き分けの珍事に、如水館・迫田穆成監督は「ノーゲームと思ってました。(5回の)松浦のホームランも記録に残ってよかった」と安堵の笑み。

 専大北上・矢田利勝監督も「選手はやりたかったようだが、相手が裏の攻撃だし、私は(再試合で)良かった」とホッとした様子だった。

 翌日の再試合では、如水館が10対5で勝利。1年生ながら専大北上の5番を打った畠山和洋(現ヤクルト)は、初戦敗退なのにこの年甲子園で2試合戦ったことになる。

 降雨コールド引き分けから11年後の2009年、何の因果か、如水館はまたしても気まぐれな雨に振り回されることになる。

 1回戦の高知戦は3回裏まで2対0とリードも、降雨ノーゲーム。初回の先制タイムリーが幻となった宮本浩平捕手は「(先発)幸野(宜途)の調子が良かったので、やりたかった」と残念がった。

 翌日の再試合も3連打で同点に追いついた直後の2死満塁、白岩稔真の走者一掃の三塁打で6対3と勝ち越したが、5回表、高知に2点を返され、なおも1死一塁という場面で雨が激しくなり、前代未聞の2日連続ノーゲームとなった。

 98年の専大北上戦も含めて通算3度目の中断で、文字どおり、水を差される形になった選手の一人は「チーム名に『水』が入っているからでしょうかね」と言って笑った。

 そして、“3度目の正直”となった翌日の再々試合は、12長短打で9点を挙げた高知に軍配(9対3)。リードしていた試合が2度とも雨で流れ、史上初の3試合目で初戦敗退を喫した如水館は不運としか言いようがなく、「3連戦“2勝”1敗」の見出しで報じるスポーツ紙もあった。

「(ノーゲーム続きで)天気予報ばかり見ていた」という有山卓主将は、前年夏に大阪桐蔭の捕手として甲子園に出場した兄とお揃いで、降雨ノーゲームと幻のタイムリー(兄は本塁打)を体験するという運命のいたずらも重なり、「甲子園はちょっとのミスや油断で大量点が入る怖いところ。振り返れば短い3日間だった」と肩を落としていた。

●プロフィール

久保田龍雄

1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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