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大船渡・佐々木が故障予防ITデバイスを使っていたら

JBpress のロゴ JBpress 2019/08/14 06:00 朝岡 崇史
カタパルト社の「デジタルブラジャー」を装着したサッカー選手(カタパルト社ホームページより) © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 カタパルト社の「デジタルブラジャー」を装着したサッカー選手(カタパルト社ホームページより)

(朝岡 崇史:ディライトデザイン代表取締役)

 指導者はアスリートファーストで才能豊かな選手の「将来」を守るべきか? それとも選手の故障リスクを覚悟で「チームの勝利」を最優先すべきなのか?

 2019年7月25日、「第101回 全国高等学校野球選手権大会」の岩手県大会決勝でこの問いを突きつける「事件」が起きた。

 最速163km/hを記録し「高校野球史上最速」の呼び声高い大船渡高校の絶対エース・佐々木朗希投手は、勝てば甲子園出場が決まる大事な試合で、投手としてマウンドに向かうことも、また4番打者としてバッターボックスに立つこともなく、ベンチの中で敗戦の瞬間を迎えることになった。

 佐々木投手は岩手県大会で準決勝までに計435球を投げており、複数のスポーツ紙の報道によれば、試合前、県高野連の医療スタッフに肘の違和感を訴えていた、とも伝えられる。

「故障を防ぐために起用しませんでした。今までの3年間の中で、一番壊れる可能性が高いのかなと思って。私には(登板を)決断できませんでした」 出場回避の責任は、佐々木投手の指導者である大船渡高校の国保陽平監督(注)が1人で背負った。

(注)報道によると、国保監督は筑波大学卒業後に米独立リーグに挑戦し、球数制限など選手のコンディショニングの重要性を学んだという。今年(2019年)の春に佐々木投手に骨密度検査を受けさせ、160キロ以上の球速に耐えられる大人の身体ではないことを確認すると、春季大会では敗戦覚悟で連投を回避したり、投球の強度を下げさせたり、アスリートファーストで選手の「将来」を守る方針を堅持してきたという。

 その後、この事件をめぐる議論は、思わぬ形で延長戦に突入した。3日後の7月28日に放送されたTBS系列『サンデーモーニング』のスポーツコーナーで「名物ご意見番」の元プロ野球選手・張本勲氏が、「(国保監督は佐々木投手に)投げさせなきゃだめでしょう」と発言し、番組独特の演出で派手に「喝」を入れた。これに対して、サッカーの長友佑都選手(トルコ1部、ガラタサライ所属)やダルビッシュ有投手(MLB、シカゴ・カブス所属)が即日、ツイッターで反応。張本勲氏の番組での言動に強く拒否感を示したことをきっかけに、ネット上で論争が拡大し、なかなか収束する気配を見せていない。

 感情論や精神論を超えて、この論争に終止符を打つことはできないのか?

 そのために必要なのは、決勝戦当日の佐々木投手自身のコンディションは実際のところどうだったかについて、監督を含む第3者の見立てではなく、「サイエンスの観点」から可視化・検証することではないか。

 見識豊かなJBpress読者の方々なら、IoTの技術を活用すればその目的がかなえられるのではないかと思われるかもしれない。実は、すでにその試みは行われており、実用化の段階にある。

 以下では、カタパルト(Catapult)社(オーストラリア)のGPSデバイスを例にとって、IoT時代に、スポーツ選手の故障の予防法がどう変わるのかをみていきたい。

選手の肉体的な負荷を可視化

「X-tech」というキーワードをご存知だろうか?

 X-techにはいくつかの種類があり、Fintech(フィンテック、金融分野)、Health Tech(ヘルステック、健康分野)、Ad Tech(アドテック、広告分野)、Food Tech(フードテック、食品分野)などがよく知られているが、最近、大きな注目を浴びているのが、スポーツ分野の「Sport Tech」(以下、スポーツテック)である。

 スポーツテックとは「スポーツ × テクノロジー」を意味し、IT(情報技術・デジタル技術)を活用することによってスポーツの新たな付加価値を創造したり、従来とは異なるビジネスモデル(例:モノの売り切りではなく、会員型のサービスモデル)を導入したりするデジタルソリューションのことを指す。

(参考記事)「風雲児アンダーアーマーが描く野心的な未来予想図」

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/50209

 欧米を中心とする海外では、スポーツテックの導入により新たなイノベーションが起き、スポーツ産業が新たな成長産業として注目され、市場規模が大きく拡大している。一方、ウエアやシューズのモノ売りに固執する日本のスポーツ産業は、少子高齢化の影響もあって縮小均衡に向かっているように見える。

 このスポーツテックの分野において、GPSやセンシングの技術を活用して選手の「怪我や故障のリスクを軽減する」「試合に向けて選手のコンディションを管理する」という先端ソリューションを提供している企業がある。オーストラリア・メルボルンのスポーツテック企業、カタパルト社だ。

 カタパルト社のGPSデバイスの導入が最も進んでいる分野と言われるのが、日本のJリーグを含むプロサッカーの世界である。

 その背景として、2015年にFIFA(国際サッカー連盟)がGPSデバイスの試合での着用を認めたことが挙げられる。日本のJリーグも翌年この方針に追随した。

 データ解析により故障のリスクを未然に回避することで、クラブは高額な年棒を払って獲得したスター選手が年間を通じて試合に出場できないという経営上の機会損失を防ぐことができる。

 読者のみなさんは、テレビのスポーツニュースなどで、欧州のトップクラブのプロサッカー選手たちが上半身に(ユニフォームの上から)黒いブラジャーのようなものを身につけて練習する風景を目にしたことがあるかもしれない。「デジタルブラジャー」と呼ばれるこの装置の背中の部分には、ちょうどミントタブレットの「フリスク」(FRISK)の箱くらいの大きさのGPSデバイスを固定するポケットがついている。このGPSデバイスには加速度/角速度センサーや地磁気センサーも内蔵されていて、選手の走行距離・スピードだけではなく、加速や減速、身体の傾き、方向転換など選手の様々なパフォーマンスを高い精度で記録できる(カタパルト社のGPSデバイス「OptimEye S5」の後継で、主力製品の「VECTOR」の場合)。

カタパルト社のホームページより © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 カタパルト社のホームページより

 そして選手の運動に関するあらゆる角度からのデータを一定の期間蓄積していくことで、1日の練習や試合で平均値に対してどれだけ多くの負荷が選手にかかっているのかを、PCの専用ソフトやスマートフォンのアプリ画面を見ながらチェックすることが可能になる。

 短期的な過大負荷(オーバーロード)は選手の疲労につながるだけでなく、怪我や故障の直接的な原因にもなる。そのため、チームのマネジメント層だけでなくプレイヤー本人もそのアラートを的確に把握し、的確なケアを心がけることが必要だ。

 仮に、ある選手が突発的に故障してしまった場合、ある程度のデータの蓄積があれば、その直前のデータを解析することで、その選手の特定の運動の身体への負荷と故障リスクについての相関を探ることができるだけでなく、再発の防止(さらなる予兆の発見)につなげることもできる。

怪我や故障に関与する2つの指標

 カタパルト社のGPSデバイスはさまざまなデータを取得しているが、そのなかで怪我や故障に関与するのは、運動量を示す「ボリューム」(Volume)と運動強度を示す「インテンシティ」(Intensity)という2つの指標だという。

 サッカーの場合、ボリュームは選手のトータルの走行距離、インテンシティは得点に絡むシーンなどハイスピードで走行した距離やその割合、つまり急激な加速・減速という強度を示すデータになり、その分析手法も確立されてきている。

 野球における本格的な導入はこれからだが、佐々木選手のような主戦投手の場合、試合中に足がつる、肩が重くなるというのはボリュームに関係するアウターマッスル系への負荷、肘や肩の内側が痛くなるというのはインテンシティに関係するインナーマッスル系への負荷ということになるだろう。

 佐々木投手が最速163km/hの豪速球を投げるということは、投球の動作に入ってから投げ終わるまでのほんの数秒の間に、指先までを含む右腕を0km/hから少なくとも200km/h前後にまで急激に加速させ、なおかつ再び0km/hまで減速させるインテンシティに関連する動作を、1試合で百数十回以上繰り返すことを意味する。

 当然、右腕を強く振るための動作は肩の内側や肘などのインナーマッスル系だけでなく、肩の外側、腰、背中、下半身のアウターマッスル系にもダメージを蓄積し、結果としてボリュームの数値も確実に積み上がる。

 カタパルト社のGPSデバイスは、選手が前後・左右・上下に動いた時の「加速度」を累計した「プレイヤーロード」という数値も計測しているが、このデータを加えて解析を深めれば、佐々木投手が準決勝までに蓄積した435球の投球負荷がどれくらい深刻だったかがさらに明確になったであろうことは、容易に想像できる。

サッカー、ラグビーから野球の分野にも

 野球の場合、数年前から米メジャーリーグや日本プロ野球の複数の球団では「トラックマン」(TrackMan)など投球や打球のデータを取得し科学的に解析するシステムの導入が数年前から進んできてはいる。しかし、選手の怪我や故障につながる運動負荷や蓄積疲労に関するデータのセンシングや解析は、今後の大きな課題である。

App StoreのTrackMan Baseballのページ © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 App StoreのTrackMan Baseballのページ

 カタパルト社はサッカーやラグビーだけでなく野球の分野にも商機は十分あると踏んで、2~3年前からGPSデバイスのハードウェアは変えずにファームウェアのアルゴリズムをアップデートしてきた。

 カタパルト社の主力GPSデバイス「VECTOR」をレンタルし、スポーツ科学の専門家からアドバイスやコンサルティングを受けると、おそらく1年間あたり15万円/台以上もの費用がかかると想定される。一方、カタパルト社が2016年に買収したアイルランドのベンチャー、PLAYERTEK社が開発したGPSデバイス「PLAYERTEK」は機能が簡略化される分、同3万円/台程度と安価であり、高校野球はもちろん、大学・社会人レベルでの導入も十分視野に入ってくる。

「PLAYERTEK」(サッカー用)は日本のアマゾンでも4万円代で実機を購入できる。App Storeから専用アプリ(英語版)をダウンロードすることも可能だ © Japan Business Press Co., Ltd. 提供 「PLAYERTEK」(サッカー用)は日本のアマゾンでも4万円代で実機を購入できる。App Storeから専用アプリ(英語版)をダウンロードすることも可能だ

アスリートファーストの観点から選手を科学的に守れ

 データ時代は、AI、5G、センシングデバイスなどのテクノロジーの進化によって、これまで活用できなかったデータを収集し、統合解析することによって、人々の体験や暮らしが豊かになることが期待されている。

 スポーツの場合、それがプロかアマチュアかということにかかわらず、競技団体が率先して、アスリートファーストの観点から選手を守る立場を明確にし、怪我や故障の予防を目的にデータ活用を推進する方向に舵を切るべきではないか。

 例えば、日本高等学校野球連盟(以下、高野連)は佐々木投手の「事件」を奇貨(貴重なきっかけ)として捉え、U18や都道府県選抜にノミネートされるようなトップクラスの選手(特に投手)には、たとえばカタパルト社のGPSデバイス「VECTOR」(今後リリースされる野球版)を無償で貸与する、そして選手の運動データを一元管理することで、高野連の権限と責任で登板過多による怪我や故障のリスクから選手を守る、というルールを公的に確立するというアイデアはどうだろう。

 このルールを導入・定着させることで恩恵を受けるのは、佐々木選手のようなトップアスリート自身だけではない。チーム内でもトップ選手に寄り添い、コンディションを管理する「コンディショニングディレクター」という魅力的な役割(役職)が新たに生まれるはずだ。主にチームの財務や雑用全般を担当するマネージャー、自チームや対戦相手チームの戦力を分析するデータ班に加えて、コンディショニング分野で控え選手層の部員が活躍できる戦略的な機会が増えることだろう。そして、結果として、チーム全体が活性化するという副次的なメリットも期待できる。

 また、同時に、佐々木選手のように身体の成長過程にある高校生アスリートの運動負荷や蓄積疲労と怪我や故障の相関について、スポーツ医学の側面からの研究についても目配りが必要になると思われる。カタパルトに代表される最先端のスポーツテック企業と協働を視野に入れながら、研究の助成だけでなく研究者の育成も含めて、競技主催団体である高野連の責任とイニシアティブで推進していかなければならないことは言うまでもない。

 もちろん、そのための財源の確保も喫緊の課題である。これに関しては、科学的なコンディション管理によって選手を守ることを名目に、企業や民間からの寄付や県予選を含む全国高等学校野球選手権大会の入場料の値上げ(たとえば現状500円を700円程度に値上げする)によって基金づくり(公益財団法人化)を行えば、高校野球ファンや選手の父母・後援団体からも幅広く賛同を得やすいのではないかと推察される。

 IoT時代、スポーツ選手の故障の予防法が変わる。いや、待ったなしで変えていかなくてはならない。

 データの力で、この夏に起きた熱い論争に終止符を打つことを、学生時代に肩の故障で選手生命を全うできなかった元野球選手の端くれとしては、切に願うばかりである。

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