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永田裕志男泣き終戦「永田の挑戦は終わりません」

日刊スポーツ のロゴ 日刊スポーツ 2017/08/12
試合後、「永田」と書かれたボードで埋め尽くされた会場に頭を下げる永田(撮影・滝沢徹郎) © 日刊スポーツ 提供 試合後、「永田」と書かれたボードで埋め尽くされた会場に頭を下げる永田(撮影・滝沢徹郎)

今大会でG1クライマックスを卒業する19年連続19度目出場の永田裕志(49)が、最後の夏を終えた。Aブロックでバッドラック・ファレと死闘を展開。かつての教え子の体に、貫き通したストロングスタイルをたたき込んだ。1勝8敗と過去最低の結果も、試合内容で「永田ここにあり」を示し、完全燃焼した。

試合後、感極まり涙を見せる永田(撮影・滝沢徹郎) © 日刊スポーツ 提供 試合後、感極まり涙を見せる永田(撮影・滝沢徹郎)

リングに大の字にのびた永田の表情が、放心状態から笑みに変わった。自身のプラカードがリング周辺を埋め尽くし、ファンの声援が会場を包んだ。リングに座り込んで泣いた。19年連続19度目、G1最多の歴史を刻んできた永田の最後の試合が終わった。

G1クライマックス星取表 © 日刊スポーツ 提供 G1クライマックス星取表

「最後まで現実は厳しかった。こんな成績は初めてだけど、戦った全員が誰ひとりすかすことなく、真っ正面からオレをつぶしに来てくれた」と最後のG1を振り返った。今年限りと決意して臨んだ大会。「最後の花道に」と野心を持って挑んだが、結果は1勝8敗。それでも、棚橋や内藤らと互角の戦いを演じ、そのストロングスタイルを相手の体に刻みつけた。

99年初出場から団体の中心を走りだした。1年目から3年目まで予選1位。3年目の01年には初優勝。武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士に続く世代として、長州力に鍛えられた「第3世代」の旗手として新日本を引っ張った。特にG1への思い入れは強く、両国国技館ですら満員にならない苦境に、今や定番となったあの手この手の公開練習で話題作りもした。

近年は結果を残せず、IWGP王座などベルト戦線からも遠ざかった。それでも若手の指導役を買って出て、その育成に取り組んだ。「今育てている若手の中にいい選手が出てきた。彼らをG1の舞台で活躍させるために身を引くのもいいかと」と、節目の20年にこだわらず卒業宣言した。「G1は今年で終わりだが、永田の挑戦は終わりません」と、晴れ晴れとした表情で言った。【桝田朗】

◆永田裕志(ながた・ゆうじ)1968年(昭43)4月24日、千葉県東金市生まれ。日体大レスリング部で92年に全日本選手権で優勝後に新日本入団。同年9月にプロデビュー。01年にG1初制覇、02年4月にIWGPヘビー級王座奪取。同王座10度防衛は棚橋の11度に次ぐ記録。14年2月にはノアのGHCヘビー級王座も獲得。得意技は白目式腕固め。弟克彦氏(43)は00年シドニー五輪レスリング・グレコローマンスタイル69キロ級で銀メダルを獲得。183センチ、108キロ。

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