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《献身と感謝》「戻りたかったけどイヴァンに日本は遠すぎました…」オシムを58年間支え続けたアシマ夫人から、日本へのメッセージ

Number Web のロゴ Number Web 2022/05/14 17:03 田村修一
2014年9月、UEFA U-21欧州選手権予選のオーストリア対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦会場に現れたオシム夫妻 © Number Web 提供 2014年9月、UEFA U-21欧州選手権予選のオーストリア対ボスニア・ヘルツェゴビナ戦会場に現れたオシム夫妻

 5月1日にイビチャ・オシムが亡くなってから14日が過ぎた。その間、アシマ夫人とは都合3度電話で話をした。最初は亡くなった翌日の2日、次が4日、3度目が10日である。

 翌日の電話では、夫人はフランス語で話すことができなかった。気持ちがいっぱいでその余裕がない。私が指摘すると、承知のうえでドイツ語で話しているといい、会話が通じるようになったのはそれからしばらくたった後だった。

 ただ、2日もまた4日の電話も、短い会話で終わった。家に人の出入りが頻繁で、夫人もさまざまな対応に追われて話をする余裕がない。特に4日は、シュトゥルム・グラーツ主催による追悼セレモニーがメルクール・アレーナ(シュトゥルムのホームスタジアム)でおこなわれる直前であり、ほとんど話ができなかった。それでも彼女は、最後にこう言って電話を切った。

「皆さんによろしくお伝えください。日本からは心に響くメッセージをたくさんの方からいただきましたから。誰もが心から悲しみ、イヴァンを愛していました。イヴァンを思ってくださったすべての日本の方々に、心から感謝します。ジェフや日本協会、サッカーにかかわり、サッカーを愛するすべての方々に。彼らが私たちに贈ってくれたメッセージを私たちは忘れません」

 ようやく落ち着いて話せたのが、10日になってからだった(その前にも1度電話したが、夫人は不在で長女のイルマが対応した)。夫人からはメッセージを託された。オシムがジェフユナイテッド市原(当時)の監督に就任して来日したときから今日までの心遣いと、オシム逝去の際に寄せられたメッセージや日本で行われた追悼のイベントに、家族ともども心から感謝していると。

 ここにそのときの会話の要旨を再現し、読者のみなさんにアシマ夫人と家族の思いを伝えたい。

彼は心から愛されていた

――その後、少しは落ち着きましたか?

「どうでしょうか。悲しみが癒されることはありません。何かをしているときはいいのですが、ふと休んだときなどには深い悲しみにおそわれます。そんな状態がずっと続いています」

――それはそうだと思います。

「イヴァンが亡くなったのがまだ信じられない気持ちもあります。でも、現実に向かい合うしかない。私だけではなく、家族もそう思っています」

――日本も深い悲しみに覆われています。

「たくさんの方からメッセージをもらいました。皆さんがイヴァンのことを本当に思ってくれて、彼への哀悼が伝わってくるものばかりです。本当に感謝しています」

――シュトゥルム・グラーツの追悼セレモニーはどうでしたか?

「多くの人がスタジアムに詰めかけてくれて、誰もがイヴァンの死を心から悲しんでいました。クラブの関係者や選手たち、サポーターはもちろん、そうでない人までがイヴァンを思ってくれていることがよくわかりました。彼は心から愛されていたと思います。それはボスニアや日本も同じで、イヴァンは誰にも分け隔てなく自分のすべてを与えようとしました。だからこそ、受け入れられたしリスペクトもされた。言葉も受け止められた。まるで哲学者のようだと、イヴァンの言葉に真剣に耳を傾けました」

――たしかにサッカーの枠を超えて、人間としての深みと厚さが彼にはありました。温かみも。

「それがイヴァンでした。だから誰からも愛された。日本には心から感謝しています。ジェフも試合の際に追悼セレモニーを行ったそうですし、様々なメディアがイヴァンのことを取りあげた。彼の言葉を紹介して、改めて彼を称えてくれた。今回のことばかりではありません。私たちが日本にいたときから皆さんはとても親切で、日本という国に来て本当に良かったと思っていました。イヴァンが倒れたときの処置や心遣い。グラーツに戻った後も励ましの言葉をいただいた。私たち家族が、そのことを心から喜んでおり感謝していることを、あなたには伝えてほしいのです」

――わかりました。あなたのメッセージは日本の皆さんに伝えます。

アシマ夫人の献身

 イビチャ・オシムとアシマ夫人。ふたりを見て改めて思うのは、本当に仲のいい夫婦だったことである。オシムが脳梗塞で倒れる前も、ふたりは一心同体だった。アシマ夫人はサッカーに造詣が深く、筆者も仕事柄、幾人もの監督夫人と接してきたが、サッカーへの興味と愛着という点で、アシマ夫人は群を抜いている。サッカーを愛することがオシムを愛することとイコールであり、その思いはずっと変わっていないのだろうと思う。

 そしてオシムの身体が不自由になってからは、まるでオシムの影であるかのように献身的に彼を支えた。誰かのサポートなしには外出もままならないオシムは、夫人にその大きな身体をゆだね、平均身長が190cmを超える巨人ばかりの家族のなかでただひとりとび抜けて小柄な夫人は、小さな身体で常にオシムに寄り添った。オシムもことあるごとに、夫人への感謝の意を口にした。

 オシムと電話で話すとき、夫人からは「あまり長くならないようにしてください。長い間、受話器を耳に当てているのは脳にとって良くないですから」と言われた。オシムもそれを意識して、会話の途中で「それではまた」と話を終わらせるふりをする。私が慌てて「ちょっと待ってください。まだ終わっていません」と言うと、おもむろにまた話をし始める。いつもそんな感じで、オシムなりに夫人に気を遣っていたのだった。

「あなた(筆者)とは家族同様の付き合いをしてきました。これからも変わらないでしょう。あなたはずっと私たちの子供でした。それは選手も同じです。彼らが私たちのためにいろいろしてくれたすべてのことに感謝を捧げたいです。常にボンジュールとかメルシーと言葉をかけて、イヴァンのことを思ってくれました。あなたのように電話をくれて、彼の健康を気遣ってくれました。とても素晴らしいことだと思います」

――そのことはあなたとあなたの家族に代わって私が書きます。

「ありがとうございます、田村さん。でもそれが真実でもあります。私が真実というのは、私たちに対して気遣ってくれた人たちは、みな素晴らしい人々だったということです。イヴァンも常に彼らのことを考えていました。私たち家族もそうです。他方で私たちの反対側には常にイヴァンを思い気遣う人たちがいた。彼は今どうしているのか。元気でいるのだろうかと」

長い旅行には耐えられなかった…

――誰もがイヴァンに日本に戻ってほしいと思っていました。

「それは私たちも同じでした。彼の健康状態が良くて、誰かがエアチケットを送ってくれたら、日本にもう一度行くことができるのにと。彼とはそんなことをよく話していました。ただイヴァンには難しかった。日本は遠すぎました。長い旅行には、彼の心臓が耐えられなかったでしょう。身体もきつかった」

――私も彼ともう一度直接話したかったです。ずっと会っていなくて、最後に会ったのは6年前でした。その後は電話で話すばかりで……。

「彼はあなたをよくからかっていましたね。今日は何を食べたのかとあなたに聞いては、会話を楽しんでいました。まるで自分の子供に話しかけているようでした。『元気にしていたのか? いったい何を食べているのか?』と(笑)。『もっとちゃんと食べないとダメだ』といって、まるで子供に諭しているようでした。それがイヴァンでした。

 悲しみはつきませんが、誰もが家族のようであり子供であり友人でした。あなたがそうであるように。彼は常に誰かに何か素晴らしいものを与えていました。それが自らの役割であるかのように感じてもいました。スタジアムでもそうです。イヴァンの語ったすべての言葉が、あらゆるところに書かれています。誰もがイヴァンを偉大な哲学者と言っています」

――その通りだと思います。

「彼の語った言葉が集められて、彼はこうだったとスタジアムでもどこでも語られています。試合の際にはそれが横断幕となって掲げられます。彼が何を考えどう語ったか。言葉はテレビやインターネットを通してさらに広がっていきました。彼の言葉にはそれだけの深さと重さがあったからでしょう。日本と同様にここオーストリアやボスニアでも、イヴァンはまるで哲学者のように見なされていましたから。

 そろそろ話を終わりにして、また電話をしてサラエボで会いましょう。パスポートなしでもあなたが来られることを祈っています(笑)。気の毒ですが、パスポートを紛失したとあってはいろいろ大変でしょう。どこで失くしたのかわかっているのですか。誰かに盗まれたのでしょうか?」

――パリから空港に向かう電車の中だと思います。たぶん掏られました。しかし明後日には新しいパスポートが発給されます。

「そんなに早くもらえるのですか?」

――日本大使館が迅速に対応してくれました。サラエボでのイヴァンの告別式に出席しなければならないと事情を説明したら、彼らも配慮してくれました。

愛し、愛されたオシムと日本

「素晴らしい。先ほども言ったように、それが日本人の気遣いだと思います。本来ならばそこまでスムーズにはいかないのでしょうが、イヴァンのためということならばそれに応じた対応をしてくれる。彼がどうであったかを、誰もがよくわかっている。どこでもそれは同じだと思います」

――誰からも愛されていました。

「そうでしょうね。そろそろ本当に電話を切らないと。人がやってきますし、ドクターの報告も受けなければならないですから。昨日、最初の報告があって今日は2度目です。明日が3度目でその後に私たちもサラエボに戻り告別式を執り行います。戻るのは明日か明後日になるでしょう。いずれにせよ直前です」

――私も電話します。サラエボに発つ前か葬儀の前日に。

「向こうで会いましょう。良い旅を」

――それまであなたもお元気で。

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