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【田淵幸一物語・第3部(19)完】黒い霧事件の教訓 タダ酒は飲まない

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【田淵幸一物語・第3部(19)完】黒い霧事件の教訓 タダ酒は飲まない: 黒い霧事件発覚で西鉄戦の客足もバッタリ=昭和44年秋 日生球場 © 産経新聞 提供 黒い霧事件発覚で西鉄戦の客足もバッタリ=昭和44年秋 日生球場

 永易を引退させることで「黒い噂」にフタをしようとした西鉄ライオンズだったが、昭和45年4月5日、警視庁捜査4課の事情聴取に対し、永易が「昨夏以来、数回やった八百長試合に私のほかに6人(投手3、捕手1、内野手2)の西鉄選手が関係している」「その口止め料として西鉄球団から550万円もらった」と供述したことで事態は一変した。

 ちょうどパリ訪問から帰国したばかりの西鉄・楠根宗生オーナーは、空港で「あの男の言葉を信じるのか!」と色をなして怒った。

 5月4日、プロ野球コミッショナー委員会は東京・日比谷の日生会館で“永易供述”で名前の挙がった6選手から事情を聴取。6選手とも「八百長をしていない。永易供述は事実無根」と主張した。だが、時間の経過とともに次々と新事実が暴露されていく。例えば-。

 44年4月23日のロッテ-西鉄戦(東京)で彼らが「ロッテの勝ち」に計100万円を賭けた。永易はこの試合で先発。一回、1点を先制したその裏、3安打と四球で同点とされた。試合はロッテが4-3で勝ったが、ロッテに2点のハンデが付いていたため1点差勝ちでは賭けとしては負け。八百長も失敗。賭博も負けに終わった。

 そこで彼らは同年7月29日の南海-西鉄戦(大阪)に「南海の勝ち」に100万円を賭けた。試合は西鉄が三回まで5点をリードしていたが、西鉄は四回に3失点。五回にリリーフが乱れ5点を取られて、5-8で西鉄が負け。彼らは200万円の配当を得て約100万円もうけたという。

 当時、選手会の会長を務めていた巨人・王貞治は「この一連の事件で残念なのは、噂に挙がった人たちがいろいろ否定しながら結局はそれが『事実』という例が多かったこと。これではファンのプロ野球不信につながってしまう。ファンの疑惑の中で一生懸命にプレーしている多くの選手が迷惑している」と悲痛の叫び声をあげた。

 そして5月25日、プロ野球コミッショナー委員会は東京都文京区後楽の野球体育博物館で関与したとみられる3投手の球界からの「永久追放」(その後、1選手が復権)など6選手の処分を発表した。野球選手と暴力団との“黒い交際”はその後も次々と発覚。それらを含めて球界では一連の騒動を「黒い霧事件」と呼ぶようになったのである。

 「どうしてもっと自分の『野球』を大切にしないのか、悲しかった。あの事件があったから僕は現役時代“タニマチ”といわれるような人との交際は一切しなかった。はい、車代だといって10万円も出すような人は普通じゃないだろう。タダ酒は飲むな-っていうことだよ」。田淵が球界から得た多くの「教訓」のひとつである。(田所龍一)(敬称略)

 =第3部おわり

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