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オールスター9者連続奪三振達成の江夏豊 実は15連続だった

NEWSポストセブン のロゴ NEWSポストセブン 2020/05/30 07:05
「マサカリ投法」の村田兆治氏 © NEWSポストセブン 提供 「マサカリ投法」の村田兆治氏

 史上初のプロ野球オールスター戦の中止が発表され、野球ファンはがっかりしている。球宴が今も心を揺さぶるのは、熱狂したかつての記憶があるからだろう。なかでも「史上最高」と語り継がれるのが、あの大記録が生まれた1971年である。

 第1戦では、江夏豊(阪神)が9者連続奪三振という快記録を成し遂げ、継投でノーヒット・ノーランを達成してセが5対0で圧勝。第2戦はパが4対0で快勝。当時、学習院初等科に通っていた浩宮さまも観戦された第3戦では、再び江夏がマウンドに登った。

 6回に江夏がリリーフ登板したときの客席の歓声は凄まじかったという。いきなり江藤(慎一・ロッテ)から三振を奪い、10者連続奪三振となった。実は江夏は前年のオールスターでも5者連続三振を奪っており、合わせて15者連続奪三振の大記録を樹立した。

 それを止めたのは、人一倍セにライバル心を燃やす野村(克也・南海)だった。内野ゴロだったが、野村は試合後にこう振り返った。

「パの恥だ。絶対三振はしない。そのためにヒットを打つことより球に当てることに全神経を集中した。江夏はいやな顔をしていましたよ」

“月見草”としての意地が爆発した名場面であるが、後に江夏を南海に受け入れリリーフとして再生させたのも野村だった。

 試合は7回からパのマウンドに立った村田(兆治・ロッテ)が、打者9人をノーヒットに抑える優秀投手賞に輝くピッチングを披露し、パが1点差で逃げ切った。この年からマサカリ投法を始めた村田は、当時を振り返って言う。

「この年は、新しいフォームがどれぐらい通用するか試したかった。2試合投げてノーヒットだったことが自信につながった。試合で投げるだけでなく、一流のピッチャーとキャッチボールするだけで得るものがある。最高の選手が集まるオールスターだからこその経験は、すべてが貴重だったし、選ばれることに誇りを持っていた。当時の選手たちはみんなそう思っていたんじゃないですか」

 かくして1971年は2勝1敗でパ・リーグが勝ち越し。こんな“夢の球宴”は二度と見られないだろう。

※週刊ポスト2020年6月5日号

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