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遠藤保仁、J1通算600試合達成へ。親友たちだけが知るヤットの凄さ。

Number Web のロゴ Number Web 2018/11/09 08:00 下薗昌記
遠藤保仁、デビュー戦の横浜ダービー。中村俊輔とボールを競り合う場面も。 © photograph by J.LEAGUE 遠藤保仁、デビュー戦の横浜ダービー。中村俊輔とボールを競り合う場面も。

 遠藤保仁というプレーヤーは、実に多くの「枕詞」で語られる選手である。

 冷静沈着、マイペース、泰然自若、クール、鉄仮面……。いずれの言葉も、稀代のプレーメーカーを構成する一部であるのは間違いないが、遠藤という男は、実のところ、根っからの熱血漢である。

 ガンバ大阪が勝てば、J1残留を確定させる11月10日の湘南ベルマーレ戦。遠藤はJ1通算600試合出場の大台に到達する。歴代最多は名古屋グランパスの楢崎正剛が持つ631試合だが、フィールドプレーヤーとしては史上初めての偉業である。

本人も「誇りに思う」偉業。

 数字には興味がない、と公言してはばからない男が、600試合という大台を目前に、こんな言葉を口にした。

「プロ21年目で、ようやく到達できた数字。20年以上、プロの世界でやれていることはありがたいし、嬉しい。誇りにも思う」

 遠藤が胸を張るのは当然だ。J1のピッチに600回、足を踏み入れるだけでもすでに偉業だが、遠藤はその大半において主力としてフル出場。しかも、歴代最多出場記録を持つ日本代表との掛け持ちを長年続け、600試合という節目にたどり着いたのだから。

 抜群の戦術眼や、長短のパスを繰り出すキックの精度など、もはやプレーヤーとしてのヤット(遠藤)について多くを語る必要はないだろう。

 だからこそ、遠藤を間近で見続けてきた親友たちの証言も交えてその凄さを紐解いてみたい。

山口智、西野朗の見解は?

 まずは、2001年に遠藤とともにガンバ大阪に移籍し、ともに黄金時代を築いてきた山口智氏(現ガンバ大阪コーチ)の言葉である。

「今更、ヤットの凄さをいちいち、説明する必要がありますか。皆さんが見た通りの凄い選手でしょ」と破顔した山口氏だが「シドニー五輪のメディカルチェックか何かで、初めて出会った瞬間から波長が合った」と明かす遠藤の一面についてこう言い切った。

「マイペースとか何だかんだ言われてますけど、ああ見えて、負けん気が凄いし、新戦力が入ってきてもポジションを譲らないって気持ちも強い。それはチームメイトとして近くで見ていて感じたことだった」

 西野朗元監督が率いた全盛期のガンバ大阪では、戦況を見通す眼を生かしながら中盤を支配。「常に2手、3手先を読んでいる。ヤットの思考回路は他の選手と違う」と、指揮官もその華麗なプレースタイルを絶賛していた。だが当時から、その熱さもピッチ内で見え隠れしていたのだ。

 ACLなどで味方がラフプレーを受けた際には、必ずと言っていいほど、激しいチャージで相手に“報復”。そして日本代表との並行日程で、疲労困憊の状態でも「どれだけ疲れていても、気持ちがあれば体は動く」と鹿児島実業高校サッカー部で、メンタル面も鍛え上げられた男ならではの言葉も口にした。

実は根っからの体育会系。

 現在、ガンバ大阪でスカウトを担当する中澤聡太氏は市立船橋高校サッカー部上がりだが、かつてこんな話を聞かせてくれたことがある。

「ヤットさんは根っからの体育会系。高校時代のキツかった練習の話とかにはガッツリ、食いついてくる」

 遠藤自身、600試合にたどり着けた要因として「怪我での離脱がほとんどなかった。それが大きいのかな」と振り返った。2006年と2008年にそれぞれウイルス性肝炎で1カ月以上の戦線離脱を強いられたことはあったが、負傷で長くピッチを離れたことは一度もなかった。

今野、藤春も驚くタフさ。

 湘南戦を目前にした6日の練習後、囲み取材に応じた遠藤には「痛みには強いのか」との質問が飛ばされたが、すっかり馴染んだ大阪弁とともにこう返したのだ。

「よう(よく)やったなという試合も100試合ぐらいはある。ギリギリの状態だった時も」

 現在、チームは4年ぶりの7連勝。遠藤とともに2ボランチを形成するもう1人の鉄人、今野泰幸も遠藤の状態を間近で見続けてきた男である。

「ヤットさんは毎年、怪我をすることなしにフルでシーズンを戦っている。それに痛くてもプレーしている」

 今野の言葉を裏付けるのは藤春廣輝の証言だ。

「ヤットさんの言葉で一番、心に残っているのは『怪我はトモダチ』って一度言っているのを聞いて、凄いなって思った。あの人は人前であまり『痛い』って言わないけど」

 JリーグでMVPを獲得し、ガンバ大阪ではクラブワールドカップを除けば、全てのタイトルを獲得。日本サッカー界屈指の「記録男」を駆り立てるのは、飽くなき試合への飢えなのだ。

「まだまだ上手くなりたいんでね」

「試合にはずっとレギュラーとして出続けたい」

 ルーキーさながらの思いを未だに持ち続けられるメンタル面こそが、遠藤保仁の凄さである。

宮本監督が感じる変化。

 自らのプレーや信念には絶対の自信を持ちながらも、21年のキャリアを通じて変化する柔軟性も持ち合わせることで、今の自分を作り上げて来た。

 ポジションも、もはやボランチの枠組みには収まらない。長谷川健太監督が率いた昨年までのガンバ大阪では時にトップ下や、アンカー、そしてFWでもプレー。長谷川監督は「ポジション名はヤットでいいんじゃないですか」との名言も残したが、現在の指揮官である宮本恒靖監督も、その変化を感じ取ってきた1人である。

「色んな指導者とか、色んなチームで、新たなものを身につけ、自分を磨いた結果だと思う。例えば、昔はそんなに走らなかったけど、オシムさんと出会って走るようになったりとかね。ベースにある技術力の高さを生かしながら変化を遂げて、ここまでずっとやってきた。ピッチ外についても、昔は練習のギリギリに来ていたけど、年齢を重ねるごとに、必要なものを取り入れてケアもしている」

印象深い横浜Fでの初陣。

 過去を語るのを嫌う背番号7が、コツコツとそして着実に積み上げてきたこれまでの599試合の中で、未だに一番印象に残っていると振り返るのが、横浜フリューゲルスでのデビュー戦だ。

「いつかフリューゲルス時代の大先輩に追いつければいいし、フリューゲルス出身で今もプロでやっているのは僕と(楢崎)正剛さんぐらい。その二人で1位と2位を占めるのは嬉しい」

 原点を忘れない男の、偽らざる喜びである。

 やっと(ヤット)600、まだまだ600――。これからも、クールに、そして時に熱く、ヤットはJリーグのピッチを駆ける。

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