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悪夢再び、CL大逆転負けのバルサ。「偶然」とは言えない敗因を探る。

Number Web のロゴ Number Web 2019/05/15 11:45 吉田治良
メッシの力で相手をねじ伏せている時はいい。しかしそれができない時のバルサは、あまりに脆い。 © Bungeishunju Ltd. 提供 メッシの力で相手をねじ伏せている時はいい。しかしそれができない時のバルサは、あまりに脆い。

 2年連続となると、さすがに「歴史的」と表現するのも憚られる。

 昨シーズンのチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝でローマに歴史的な逆転負けを喫したバルセロナが、今度はリバプールとのセミファイナルで同じ失態を演じた。

 淡いブルーから蛍光イエローへ。第2レグの戦いで違っていたのはアウェイ用ユニフォームのカラーくらいで、それ以外は何もかもが1年前と同じだった。

 試合開始から10分も経たずに失点したこと、程度の差はあったにせよ、あっさりとCKから“決勝点”を奪われたこと、岩のように立ちはだかった敵の守護神がアリソンだったこと、ホームの第1レグで得た3点のアドバンテージを敵地での第2レグでものの見事にひっくり返されたこと(昨シーズンが4-1→0-3/今シーズンが3-0→0-4)、そして、対戦相手が赤を基調とするチームだったことも含めて。

 ラ・リーガ連覇を成し遂げたスペインのチャンピオンチームが、あろうことか同じ轍を踏んだのだ。「偶然」や「不運」といった言葉を楯にしてやり過ごすのは、かなり抵抗がある。

 彼らがCLでファイナル進出を逃すのはこれで4年連続だが、2016-17シーズンのユベントス戦(準々決勝)を除けば、その“終戦”はいずれもホームで先勝しながらの逆転負け。リバプールの本拠地アンフィールドには魔物が棲むらしいが、近年のバルサにとっては、ビセンテ・カルデロン(かつてのアトレティコ・マドリーの本拠地/2015-16シーズンの準々決勝)しかり、オリンピコ(ローマの本拠地)しかり、至るところ魔物だらけだ。

 ちなみに、唯一第1レグがアウェイだった3年前のユベントスとの準々決勝も、敵地アリアンツ・スタジアムで0-3の完敗を喫している。

なぜこんなに勝負弱くなったのか。

 いったい、どうしてバルサはこれほど勝負弱くなってしまったのか。

 今回のリバプール戦の大逆転負けには、油断や慢心があったのではないかと、そう指摘する向きもある。

 第1レグのアディショナルタイム。まさしくトドメの4点目を決める絶好のチャンスをフイにしたにもかかわらず、ウスマン・デンベレは他人事のように淡々とした表情を浮かべていた。

 第2レグの79分。トレント・アレクサンダー・アーノルドがクイックリスタートでCKを蹴った時、バルサ守備陣は誰ひとりとしてボールを見ていなかった。まるで小学生チームのような恥ずべき失点で、彼らはCLからの撤退を決定づけられた。

 果たして本当に1年前の教訓は胸に刻まれていたのかと、確かにそんな疑念も抱きたくなるが、しかしそれがすべてではないだろう。敗因は、もっと奥深いところにある。

ペップ時代にあった明確な哲学。

 バルサらしさの喪失──。

 ジョゼップ・グアルディオラが監督だった10年前、「バルサとはどんなチームか?」と問われれば、きっと誰もが迷わずこんな風に答えたはずだ。

「ボールプレーを大切にするチーム」

「繋いで繋いで、さらに繋ぐチーム」

「どんな相手に対しても主導権を握り続けるチーム」

 明確なカラーが、揺るぎないフィロソフィーが、そこにはあった。

 もちろん時代は流れ、サッカーのスタイルも変化した。もはや10年前のバルサの「スローテンポなパスサッカー」で、フィジカル能力に秀でた選手たちがスクラムを組んで突進してくるような現代の守備組織は崩せない。求められるのは、攻守が切り替わったその瞬間を逃さず、一気に縦方向へとボールを運ぶスピーディーなアタックだ。

変化自体はネガティブではないが。

 とりわけルイス・エンリケが監督に就任した2014-15シーズン以降、「横」よりも「縦」を意識するようになったチームは、現在のエルネスト・バルベルデ政権下で、さらにインテンシティーと効率性を求めるようになった。

 そうした変化は、決してネガティブな反応ではない。ペップがもたらした特大の成功が、別の道を選択する上でむしろ邪魔になる可能性もあったはずだが、彼らは勇気を持って時代の流れに身を委ね、現代風にそのスタイルをアレンジしたのだ。

 かつてのようにボールポゼッションに囚われることなく、いつしか即時奪回からのショートカウンターをひとつの武器とするようにもなった。

 ただし、クラブとしてのアイデンティティーまで蔑ろにしてしまっては、本末転倒だ。

 それは、1つひとつ丁寧にシャリを握っていた腕のいい寿司職人が、効率性を求めて回転寿司店に鞍替えしてしまったような感覚に近い。手間暇かけずとも収益は上がるし、もしかしたらそれほど味も落ちないのかもしれない。けれど、オリジナリティーは確実に損なわれた。

メッシが決めるか、決めないか。

 ボールを握る手間を惜しみ、縦への速さばかり追求するようになっては、もはやバルサではない。

 それでも、前線にはチャンスを高い確率で決めてくれるリオネル・メッシという異星人がいるから、すっかり彼らは安易な道から逃れられなくなってしまったのだ。メッシに預けさえすれば、あとは何とかしてくれる。そう、レーンに皿さえ並べておけば、あとは勝手に客が平らげてくれるように。

 こうして年々メッシへの依存度を深めたバルサは、この大黒柱がゴールを決めれば勝ち、決められなければ苦戦する、そんな実に分かりやすいチームになってしまった。

 2014-15シーズン、「MSN」と呼ばれたメッシ、ルイス・スアレス、ネイマールのタレント力を背景にCL制覇を成し遂げたチームから17年夏に「N」が抜け、メッシにかかる負担はさらに大きくなっただろう。

 ネイマール退団の穴を、彼と入れ替わるようにしてバルサにやって来たバルベルデ監督は、フィジカルやパワーで埋めようとした。いわゆる労働者タイプのパウリーニョ(現・広州恒大)やアルトゥーロ・ビダルの重用は、それが時流に即した変化であったとしても、バルサらしさを削り取るひとつの要因になっている。

アルトゥールとビダルの起用法。

 リバプールとの2試合も、メッシが決めれば勝ち、決められなければ苦戦する典型的なひとつの例に過ぎない。3-0で勝利したカンプノウでの第1レグにしても、試合内容で圧倒したわけでは決してなかった。

 今のバルサには、玉砕覚悟で力押しに押してくるチームを、流れるようなパスワークでいなす技術も余裕もない。国内リーグならともかく、リバプールのような強豪クラブが相手では、その勢いに見るも無残に飲み込まれ、プレスの餌食になってしまうのだ。

 リバプール戦でバルベルデ監督は、ホームでもアウェイでも、中盤の一角に“シャビの後継者”と呼ばれるアルトゥールではなく、肉体派のビダルをスタメンで起用した。

 確かにビダルは誰よりも走り、誰よりもよく戦ったが、しかしそれは、バルサがこれまで是としてきた選択だっただろうか。

 結果論に過ぎないのかもしれないが、アンフィールドではアルトゥールを先発させてまずはパス回しでリバプールの気勢を削ぎ、終盤にビダルを守備のジョーカーとして途中投入すべきではなかったか。相手がモハメド・サラー、ロベルト・フィルミーノの飛車角落ちなら、なおさらそう思えた。

デヨング獲得で本質に戻るのか。

 もっとも、そうした選択肢を迷わずチョイスできないところに、今のバルサの苦悩はあるのだろう。

「本質を見失ってはいけない。見失うと、いつでも改革という美名のもとに大切な本質が失われる。変えるべきは変え、変えないべきは変えないことが大切だ」

『ソニー』の創業者のひとりである盛田昭夫氏は、そんな言葉を残している。門外漢ゆえに的外れであったら申し訳ないが、『ソニー』の凋落は、本質=お家芸である技術や“モノづくり”を軽視したところから始まったのではないか。

 クリスティアーノ・ロナウドの圧倒的な個の力を前面に押し出し、CL3連覇の大偉業を達成した宿敵レアル・マドリーのやり方を模倣しようとしたのなら、それは大きな間違いだ。なぜならそれはマドリーのスタイルであって、バルサのDNAに組み込まれたスタイルではないからだ。

 来シーズン、バルサよりもずっとバルサらしい戦い方で今シーズンのCLを席巻したアヤックスから、中盤のコンダクターとして異彩を放ったフレンキー・デヨングがカタルーニャの地にやって来る。果たしてそれは、バルサがフィロソフィーを、本質を取り戻すきっかけになるのだろうか。

 時代が変化しても、変わってはいけないものが、蔑ろにしてはいけないものが、どんな世界にも必ずあるはずだ。

 CL準決勝で惨めに散ったバルサと華々しく散ったアヤックス。ふたつの古巣の対照的な負けざまを天国で見届けて、近代バルサの創始者であるヨハン・クライフも、きっとこう呟いたに違いない。

「本質を、見失ってはいけない」

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