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戸田恵子、破かれた家族写真公開 冷めた家族観と両親の介護

NEWSポストセブン のロゴ NEWSポストセブン 2020/11/15 07:05
かつて2度の離婚を経験している戸田恵子 © NEWSポストセブン 提供 かつて2度の離婚を経験している戸田恵子

 厚労省の調査によれば、未成年の子供がいる夫婦の離婚は、離婚全体の58.1%を占めている。親の都合で人生が一変した子供たちは、さまざまな選択をしながら生きている。離れ離れを選んだ、戸田恵子(63才)の家族物語──。

 父さんと母さんが離婚して、11才の女の子の家は2つになった。でも女の子は、泣きわめいたりはしない。父さんと母さんは泣いても、女の子は泣かない。

「大人が泣いたら、私は泣けない」

 親の都合で環境の変化に直面した少女は、揺れ動く心でひとり現実を冷静に受け止め、成長していく──子供の視点で親の離婚を描いた『お引越し』(福音館書店)は、1990年に発売された児童図書で映画化もされている。

 大人びた振る舞いで、子供の心にふたをした少女。この主人公のような半生を送ってきた女優がいる。戸田恵子だ。10月18日、戸田は突然、自身のブログに『しゃしん』とのタイトルで、こう綴った。

「家族写真は、ビリビリに破かれた写真を繋いだ1枚だけ」

 戸田も中学生の頃に両親が離婚している。彼女も涙を見せず家族がバラバラになることを受け止めた。冷めた「家族観」の持ち主ともいえる。だが、今年に入り、その家族観に変化が出始めたようにも見える。戸田がブログで明かした、たった1枚の家族写真に込められた物語とは──。

 戸田は1957年、愛知県に生まれた。恵子という名は、淡路恵子さん(享年80)の大ファンだった父親が名付けた。母親のすすめで小学5年生から劇団に在籍すると、子役として活躍した。一家が暮らしていたのは、三軒連なった長屋で、その建物はもう残っていない。当時の隣人が懐かしそうに振り返る。

「恵子ちゃんは一人っ子で、家族3人とても仲がよかったのを覚えていますよ。恵子ちゃんは小学生の高学年くらいからテレビドラマに出始めてね。みんなで“すごいねえ”って話してたんです。でもあるときを境に、恵子ちゃんとお母さんだけ引っ越しちゃってね。お父さんは何も言わないんだけど、テレビの仕事が忙しくなったから、仕事がしやすいテレビ局の近くとかに引っ越したんじゃないかって話でまとまったんですよ」

 1972年に両親は離婚。父はもともと口数の多い人ではなかったこともあるが、これから有名になる一人娘のことを気にかけて、離婚の事実を口にしなかったのだという。働き者の父と、それを支える母。娘はブラウン管の中で輝き始めている。傍目には幸せに満ちている一家も、その内情は違っていた。

「いまでいう家庭内別居の状態が、しばらく続いていたみたいですよ。離婚直前の頃は家庭全体がギスギスしていた。先日ブログに書いたビリビリの家族写真は、この頃のエピソードのようです」(戸田の知人)

 戸田はそのブログで「家族写真がすべて破かれていたこと」「そのうちの1枚を、戸田自身が繋ぎ合わせたこと」を記し、《誰が破ったのかは追求しなかった。知ったところで…と冷めていた》(ブログママ)と当時の心境を綴っている。

 破片となった幸せな家族の思い出を、ひとりで元に戻す作業の中で、戸田の「家族観」が構築されていったのだろう。そのとき、両親は戸田にある決断を迫った。別れる両親のどちらについていくかの選択だ。戸田はその現実を、中学生とは思えない冷静な観点で捉えていた。

「どちらかについていくのは、不公平だと考えていたようです。できることなら、3人バラバラに暮らしたい。それが公平だと思っていたようです。でもお母さんが、“恵子ちゃんがいないとダメなの”と娘の前で初めて涙を流したんです。その姿を涙なしに見た戸田さんは、お母さんを支えていこうと決めたようです」(前出・戸田の知人)

母の半生を自問自答

 戸田は高校生になると、仕事の関係で単身での上京を決断する。これでそれぞれが別に暮らすことになったが、戸田は破かれた家族写真のように、バラバラとは感じなかった。

「これで誰も不公平じゃない。やっと対等な関係になれたと喜んでいたようです。ただ戸田さんは仕事も忙しくなり、まだ高校生ということもあって、しばらくしてお母さんが身の回りの世話をするために上京しました。その後は、一緒に暮らしたこともあるし、近くで別々に暮らしたこともある。でも基本的には二人三脚の関係を続けていました」(前出・戸田の知人)

 母親の協力もあって、仕事は軌道に乗って行く。『それいけ!アンパンマン』(日本テレビ系/1988年)の声優で知名度を上げると、その後、女優として本格デビューする。『ショムニ』(フジテレビ系/1998年)、『ちゅらさん』(NHK/2001年)など人気ドラマに出演するバイプレーヤーとして開花していった。一方で、故郷で暮らす父親のことを戸田は忘れることはなかった。

「お父さんに会いに、たびたび“実家”に戻っていたようです。戸田さんの中では、父も母もイーブンという考えが強く、お母さんとの距離が縮まった分、忙しくてもお父さんとも会うようにしていたようです」(前出・戸田の知人)

 家族とは、ほどよく距離感を保つもの。そんな感覚が、彼女の中に根付いてしまっていたのかもしれない。戸田は2度、自分の家族を持ったことがある。1度目は1980年の23才のときで、同じ声優の男性と結婚するも4年で離婚。2度目の相手は、1990年に結婚した俳優の井上純一(62才)だった。

「井上さんの実家を訪れたとき、なんとも言えない思いになり、胸が押しつぶされそうになったそうです。家族が互いに遠慮することなく、自然に振る舞っている。食卓には多くの食器が並び、それぞれ座る場所が決まっている。それは、戸田さんが初めて目の当たりにした“普通の家族”だったのでしょう」(芸能関係者)

 結婚で“普通の家族”に飛び込んだはずが、冷めきった家族観が邪魔をしてしまったのだろうか。2006年に離婚。戸田は2009年3月7日号の『婦人公論』で、離婚の理由をこう語っている。

《ホームドラマに出てくるような家庭観は、もともと私の中にはありません。唯一、パートナーと考えのベクトルが同じ方向を向いていることが私にとっての“家庭”の基本でした》《別れたのは、気持ちで合わさる時間が少なくなったから》《今後また誰かと家庭を持つことは、いまのところ考えられない》

 離婚の前年、戸田は最愛の母を4年の介護を経て亡くしている。

「いまでも月命日前後には、必ずお墓参りに行っているそうです。自宅の仏壇にも、お花のほか、お母さんが大好きだったコーヒーと蒸しパンを欠かすことはないそうです」(前出・芸能関係者)

 家族を持とうとしても、うまくいかない。その気持ちを、両親にぶつけたとしてもなんら不思議ではない。だがひとりになった戸田が気にかけたのは、ほかでもない家族だった。

「今年の夏に、ひとりで愛知に住んでいたお父さんを東京に呼び寄せたんです。でも彼女の中で葛藤もあったようです。戸田さんは10代の自分について上京してくれたお母さんのことを、“友達もいない東京に連れて来てしまった。母は本当にそれで幸せだったのか”と、いまでも自問自答しています。だからいままでお父さんを呼ばなかった。

 でも最近、介護も必要になりそうだったので、自宅の近くにあるケアハウスに入居してもらったようです。彼女の中ではやっぱりイーブンでありたいのでしょう。母親にしてあげたのと同じように、父親とも一緒の時間を過ごしたいのだと思います」(前出・戸田の知人)

 戸田がここへきて「ビリビリ家族写真」話をブログで明かした意味は大きい。大事な家族とはそばにいたい。かつて「3人バラバラが公平」、そう言っていた少女は大人になり、少しだけ考えが変わったのかもしれない。

※女性セブン2020年11月26日号

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